参謀が威圧しただけで挑戦者が逃げた。「取り巻きすら恐ろしい」って何
参謀が威圧しただけで挑戦者が逃げた。「取り巻きすら恐ろしい」って何
それは、次の町に着いて半日も経たないうちに起きた。
冒険者ギルドの受付で依頼を物色していたヴァルゼンの前に、三人組の冒険者が立ちふさがったのだ。
先頭に立った大柄な剣士が、腕を組んで見下ろしてくる。首から下げた銀のプレートが、中堅ランクであることを示していた。
「おい。お前が噂の『一言の魔王』か?」
(来た。ついに来た。この手の人種が。噂が広がれば、こうなることはわかっていた)
「い、いえ、僕は——」
「ふん。見た目は貧弱だな。本当にお前が百人の魔族を一言で従えたのか?」
(百人じゃなくて——いや、正確な数はどうでもいい。問題はこの人たちの目だ。完全に喧嘩を売りに来ている)
ヴァルゼンの背中に冷たい汗が流れた。
エルヴィンは依頼板の前で掲示を眺めている。グリゼルダは武器屋に行っている。フェリクスは書店、ミラベルは教会。散り散りだった。
(このタイミングで。なぜこういう時に限って一人なんだ。いや、一人じゃない。ザガンが——)
「失礼」
穏やかな声が、ヴァルゼンの横から響いた。
ザガンだった。
いつの間にか隣に立っていた。長身の魔族は背筋を正したまま、三人組の冒険者に視線を向けた。
それだけだった。
言葉は発していない。威嚇めいた動作もしていない。ただ、琥珀色の瞳で——見ただけだ。
先頭の剣士の顔色が変わった。
「な……」
隣の二人が一歩後退した。そしてもう一歩。さらにもう一歩。
「す、すまん。人違いだった」
大柄な剣士が、震える声でそう言い残して——三人は逃げるように去っていった。
ギルドの受付嬢が、ぽかんと口を開けている。周囲の冒険者たちが、息を呑んでいた。
(……今、何が起きた?)
「申し訳ございません、陛下。お手を煩わせる前に排除すべきでした」
「いや、あの——ザガン、何をしたの?」
「何も。目を合わせただけです」
(目を合わせただけで三人の冒険者を撤退させた。この人、やっぱり怖い)
しかし問題は、そのやり取りを周囲の全員が目撃していたことだった。
「おい、見たか……? あの魔王の従者、目を合わせただけで——」
「銀ランクのガルド三人組だぞ。あいつら、オークの群れを蹴散らすような連中だ」
「それが、目を合わせただけで……」
「取り巻きがあれなら、本体はどれほど——」
(本体って言うな。僕は魔物じゃない)
「ふむ」
ザガンが微かに口元を緩めた。
「よい抑止力になったかと存じます。今後、陛下に安易に手を出す者は減るでしょう」
(抑止力。この人自身が抑止力になっている。参謀のくせに前線でも強いなんて聞いてない)
「ザガン……その、ありがとう」
「礼には及びません。臣下として当然のことです」
ザガンの尾の先端が、わずかに揺れた。得意げに。
(尾は正直だな、この人)
夕方にはもう、噂が町中に広がっていた。
宿の食堂で夕食を取っていると、隣のテーブルから声が聞こえてくる。
「『一言の魔王』の取り巻きが、目線で銀ランク三人を気絶させたらしいぞ」
(気絶してない。逃げただけだ。しかも取り巻きじゃなくて元参謀だ——いや、外から見たら取り巻きか)
「目線で気絶って、それ魔眼の類じゃないのか?」
「魔眼持ちを従えている魔王……やべえな」
(魔眼じゃない。ただ威圧しただけだ。たぶん。いや、本当にただの威圧だったのか? ちょっと自信がなくなってきた)
「ヴァルゼン」
エルヴィンが肉を頬張りながら、嬉しそうに言った。
「ザガンが加わってから、パーティの格が一段上がった感じがするな。さすが、お前が認めた参謀だ」
「僕が認めたというか、断れなかっただけで——」
「謙遜するな。あの場で迷いなく受け入れたのは、お前の判断力があってこそだ」
(迷いしかなかった。迷いの塊だった。観念しただけだ)
「しかし」
グリゼルダが食事の手を止めず、淡々と言った。
「今日の一件で、陛下の名はさらに広まるでしょう。『一言の魔王、その取り巻きすら恐ろしい』——と」
「恐ろしい取り巻き……」
「ふふ。光栄ですな」
ザガンが涼しい顔で茶を啜った。光栄がるところじゃない。
「魔王殿の勢力圏が確立されつつありますね」
フェリクスが手帳を広げた。またか。
「パーティの戦力に加え、間接的な威圧効果——すなわち『魔王に近づくこと自体がリスク』という認知が社会に浸透し始めている。これは非常に効率的な——」
「フェリクス。ご飯、冷めますよ」
「……ああ、そうでした」
ミラベルが、静かにヴァルゼンの皿に野菜を足した。
「ヴァルゼン様。お野菜も食べてくださいね。今日はお顔色が悪かったですから……」
(顔色が悪いのは恐怖のせいです。栄養不足じゃなくて精神的なものです)
「ヴァルゼン様は、いつも皆のことばかり気にかけて……ご自分のお体を後回しにされるのですから……」
ミラベルの瞳が潤み始めた。
(泣かないで。お願いだから泣かないで。僕がいたたまれなくなるから)
「あ、ありがとう、ミラベル。食べます。食べますから」
慌てて野菜を口に運ぶ。
六人になった食卓は、以前より賑やかだった。エルヴィンの豪快な笑い声、グリゼルダの静かな相槌、フェリクスのペンの走る音、ミラベルの小さな笑顔、そしてザガンの落ち着いた佇まい。
賑やかで——温かかった。
(取り巻きすら恐ろしい魔王。とんでもない噂が広がっていくけれど——)
ヴァルゼンは食堂の喧噪の中で、小さくため息をついた。
(——まあ、この食卓は、悪くない)
翌朝、宿を発つ際に女将から「『一言の魔王』様の御一行に泊まっていただけるなんて光栄です」と宿代を半額にされた。
断ろうとしたら「ご謙遜を」と押し返された。
断ることすらできない世界に、ヴァルゼンは完全に囚われていた。




