酒場で自分の噂を聞いた。全部盛りすぎなんですけど
酒場で自分の噂を聞いた。全部盛りすぎなんですけど
バルトの関所町に到着した。
関所町というだけあって、交易路の要衝に位置する中規模の町だ。冒険者ギルドの支部もあり、周辺の依頼を受ける拠点として賑わっている。
宿を確保し、装備の補充を済ませた後——エルヴィンが満面の笑みで言った。
「よし、飲みに行くぞ!」
「昨日も飲んだでしょう」
「野営で飲む酒と、町で飲む酒は別物だ!」
(反論の余地がない笑顔だった)
パーティ六人——いや、五人で酒場に入った。ザガンは「少し情報収集を」と言って別行動をとっている。
(情報収集。この人が言うと本当に情報収集なんだろうな。何の情報を集めるのかは怖くて聞けない)
酒場は冒険者で賑わっていた。革鎧の戦士、杖を持った魔法使い、弓を背負った狩人。雑多な人種が卓を囲み、大声で笑い、酒を煽っている。
パーティが奥の席に着くと、給仕が注文を取りに来た。
「エール五つ。つまみは適当に。あと肉だ、肉!」
エルヴィンが元気に注文している間、ヴァルゼンは帽子を目深に被って存在感を消そうとしていた。角を隠すためだ。小さいとはいえ、魔族の角を人間の町で晒すのは危険すぎる。
(帽子で隠れている。大丈夫。誰も気づかない)
エールが届き、乾杯をした。グリゼルダが一息でジョッキを空にした。ミラベルが一口で顔を赤くした。フェリクスは匂いを嗅いだだけで眉をひそめた。
ヴァルゼンがようやく緊張を解いてエールに口をつけたとき——隣の卓の会話が耳に飛び込んできた。
「聞いたか? 一言で魔王軍を退けた魔王の話」
エールが気管に入った。
咳き込むヴァルゼンを、ミラベルが心配そうに背中をさすった。
「大丈夫ですか、ヴァルゼン様?」
「だ、大丈夫——」
全然大丈夫ではなかった。
(聞こえた。今、確かに「一言で魔王軍を退けた魔王」って言った。それ僕のことだ。僕のことを話している)
隣の卓の冒険者たちは、酒の勢いで声が大きくなっていた。
「ああ、聞いた聞いた。勇者エルヴィンのパーティにいるっていう——元魔王だろ?」
「元じゃねえよ、現役の魔王だ。なんでも大戦を裏から操っていた黒幕だって話だぜ」
(操ってない。玉座に座って怯えていただけだ)
「一声で千の軍勢が膝をついたんだろ? すげえよな」
(千もいなかった。あと膝をついたのは僕が叫んだからで——いや、まあそうなんだけど、意味が全然違う)
「それだけじゃねえ。魔族の村では子供たちと遊んで種族和解を成し遂げたとか」
(遊んだだけです。子供たちが楽しそうだったから一緒に遊んだだけです。種族和解は成し遂げていません)
「しかも人間のパーティと一緒に冒険者やってるんだろ? 魔王が? 信じらんねえ」
「器がでけえんだよ。魔族も人間も関係ねえ——真の王ってのはそういうもんなんだろうな」
(器が大きいんじゃなくて、他に行く場所がなかっただけです)
「極めつけは——勇者を従えてるって話だ。聖剣の勇者エルヴィンが、魔王に忠誠を誓ったとか」
(従えてない。むしろ僕が従っている。というかエルヴィンが勝手についてきたんだ)
ヴァルゼンは帽子をさらに深く被り、テーブルに突っ伏したくなった。
(全部盛りすぎる。尾ひれがつきすぎている。噂というのはなぜこうなるんだ)
「聞いたか、ヴァルゼン」
エルヴィンが嬉しそうにこちらを見ている。
「お前の噂が、もうここまで広がっている」
「……聞きたくなかったです」
「謙虚だな。だがこれが真実だ。お前の偉業は、正当に評価されるべきだ」
(偉業じゃない。全部誤解だ)
「フム。興味深いですね」
フェリクスが手帳を広げた。
「噂の内容を分析すると、事実から最大で三段階の誇張が加えられています。しかし——核となる事実は正確だ。魔王殿が軍勢を退けたことも、魔族の村で交流したことも。つまり、誇張はされているが捏造ではない。これは噂の信頼度としてはかなり高い」
(信頼度が高くても全部誤解なんですが)
「ヴァルゼン様……」
ミラベルが涙ぐんでいる。いつものことだが、今回は少し違うニュアンスだった。
「あの方々は、ヴァルゼン様のことを正しく理解しているわけではありません。でも——ヴァルゼン様のお人柄は、噂を通じてでも人の心に届くのですね。私、なんだか嬉しくて……」
(ミラベルの解釈だけが唯一優しいけど、それもまた誤解だ)
グリゼルダが腕を組んで、低い声で言った。
「噂が広がるのは良いことばかりではない。——挑戦者が出てくる」
「挑戦者?」
「名を上げたい冒険者は、強者に挑むものだ。ヴァルゼン様の噂がこの規模で広がれば、必ず——」
「おい、お前ら」
隣の卓の冒険者の一人が、こちらに声をかけてきた。
(来た)
「さっきから聞いてりゃ——お前ら、もしかしてエルヴィンのパーティか?」
エルヴィンが「ああ、そうだ」と堂々と答えた。
酒場が、一瞬で静まった。
全員の視線が、こちらに集中した。
(やめて。注目しないで。帽子の下から角が見えたらどうするんだ)
「ってことは——その帽子の奴が」
「ああ」
エルヴィンが誇らしげに言った。
「こちらが魔王ヴァルゼンだ」
(なぜ紹介した! なぜこの流れで紹介したんだ!)
酒場中がどよめいた。
「本物かよ……」
「ちっこいな……?」
「いやいや、あれが擬態だろ。本気出したらヤバいって」
(擬態じゃない。これが本体だ。ちっこいのも本物だ)
ヴァルゼンは震える手でエールを掴み、一気に飲み干した。
不味い。でも飲まなければやっていられない。
「ヴァルゼン様」
グリゼルダが立ち上がり、大剣の柄に手をかけた。
「ご安心ください。無礼者は私が——」
「いいです。いいですから。座ってください」
ヴァルゼンは必死に落ち着こうとした。
(ここで騒ぎを起こしたら、もっと噂が広がる。今は静かにやり過ごすのが最善だ)
「さすがですね、ヴァルゼン様」
いつの間にか戻っていたザガンが、背後から涼しい声をかけた。
「衆目の中で泰然としておられる。群衆の前で狼狽しないのは、王たる者の基本です」
(泰然としてない。内心で大パニックだ。あと、いつ戻ったんですか)
「情報収集の成果を報告します。この町では——」
ザガンが声を潜めた。
「——陛下の噂は、もはや冒険者だけでなく、商人や関所の役人にまで広がっています。ギルド上層部も動き始めている兆候がありました」
(ギルド上層部?)
「詳しくは宿でお話しします。今は——」
ザガンの琥珀色の瞳が、酒場の中を一巡した。
「今は、この場を楽しまれるのがよろしいでしょう。王が民の前で笑顔を見せることは、何よりの治世です」
(治世ってなんですか。僕は冒険者です。王じゃない)
しかし——もうどうしようもなかった。
酒場の冒険者たちが次々とエールを送ってきた。「魔王様に一杯」「お近づきの印に」「あんたの噂、聞いてるぜ」。
断れなかった。断る勇気がなかった。
結果、ヴァルゼンは人生で最も大量の酒を飲む羽目になり、翌朝は頭痛で動けなくなった。
「さすがだヴァルゼン。町中の冒険者と杯を交わすとは——民と同じ目線に立てるのが、お前の凄いところだ」
(凄くない。断れなかっただけだ。頭が割れそうだ)
「ヴァルゼン様、お水です……二日酔いには治癒魔法が効きますから……」
ミラベルの治癒魔法が染み渡った。
(この旅で一番ありがたい瞬間かもしれない)
噂は——もう止められないところまで来ていた。
ヴァルゼンだけがそれを理解していて、ヴァルゼンだけがそれを恐れていた。




