賢者と参謀が火花を散らしている。巻き込まないでほしい
賢者と参謀が火花を散らしている。巻き込まないでほしい
ザガンが合流して二日目の昼、事件は起きた。
いや、事件というほど大層なものではない。ただ昼食の席で、フェリクスがザガンに話しかけた。それだけのことだ。
それだけのことが、なぜこうも恐ろしいのか。
「ザガン殿。一つ確認させていただきたいのですが」
フェリクスがモノクルの位置を直しながら、涼しい顔で切り出した。手帳はすでに開かれている。
「何でしょう」
ザガンも涼しい顔で応じた。干し肉を裂く手が止まらない。
「あなたは先日、我々が散った隙に陛下と二人きりの場を作りましたね」
(やめてくれ。その話題には触れないでくれ)
「ええ。少々、主君とお話がしたかっただけですが」
「なるほど。ではその会話の内容について——」
「参謀と主君の密談の内容を、合流二日目の者にお伝えするわけにはまいりません」
フェリクスの目が細まった。
「では逆に聞きましょう。あなたは魔王殿の『真の実力』をどの程度把握されていますか」
(聞くな聞くな聞くな!)
ヴァルゼンは干し肉を噛む振りをして、全身を強張らせた。
ザガンの琥珀色の瞳が、微かに揺れた——ように見えた。しかし次の瞬間には、いつもの穏やかな微笑に戻っている。
「ほう。あなたは把握されているのですか?」
「質問を質問で返すのは、参謀の基本話法ですか」
「いえ。純粋な興味です。あの方の『真の実力』を把握していると自負される方がいらっしゃるなら、ぜひお話を伺いたい」
フェリクスの手帳を持つ手が、わずかに止まった。
(二人とも笑顔だ。笑顔なのに空気が凍っている。これは知略の応酬というやつだ。僕にはさっぱりわからないが、とにかく怖い)
「……僕の見解では」
フェリクスが慎重に言葉を選んだ。
「魔王殿の実力は、観測不能です。あらゆる指標が矛盾する。戦闘力の数値は低い。しかし結果だけを見れば、常に最適解に到達している。この矛盾を説明できる仮説は——」
「偽装、ですか」
ザガンが静かに言い当てた。
「……ええ。完璧な偽装。あるいは、我々の尺度では測れない次元の能力」
「興味深い見解です」
ザガンが干し肉を一切れ口に運んだ。咀嚼し、飲み込んでから、何気ない口調で続けた。
「私の見解を申し上げてもよろしいですか」
「ぜひ」
「陛下の真の実力は——測る必要がありません」
フェリクスの眉が片方だけ上がった。
「測る必要がない?」
「ええ。強いか弱いか、その二元論は陛下には当てはまらない。重要なのは——陛下の傍に誰が集まるか、です」
(何を言い出すんだこの人は)
「聖剣の勇者。銀狼の女騎士。万象の解剖者。聖都の癒し手。そして——三代の魔王に仕えた老いぼれの参謀」
ザガンが淡々と指折り数えた。
「これだけの人材が一人の周囲に集まる。その事実こそが、陛下の『実力』の証明です。個の戦闘力を測定する必要がどこにありましょう」
沈黙。
フェリクスが手帳に何かを書きつけた。筆圧がいつもより強い。
「……なるほど。つまりあなたは、魔王殿の真の力を『人を惹きつける力』だと」
「そのようには申しておりません。ただ、結果を見よと申し上げただけです」
(この二人、会話しているようで全く噛み合っていない。いや、噛み合わないように互いが仕向けている? わからない。怖い)
「フム」
フェリクスがモノクルを外し、丁寧に拭いた。それは彼が本気で思考しているときの癖だった。
「あなたは真実を知っている。そうですね?」
「真実とは?」
「魔王殿の——本当の姿を」
ザガンの尾の先端が、微かに左に揺れた。
「本当の姿であれば、毎日拝見しておりますが」
「そういう意味ではなく——」
「フェリクス殿」
ザガンが穏やかに、しかし明確に遮った。
「私は四百年を生きた老兵です。その経験から一つだけ申し上げる。——真実を追いすぎると、目の前にあるものを見失います」
フェリクスの目が鋭くなった。
「それは忠告ですか。それとも牽制ですか」
「どちらでもお好きなように」
ヴァルゼンは二人のやりとりを見ながら、胃がきりきりと痛むのを感じていた。
(この人たちは何を探り合っているんだ。僕の正体? 僕が最弱だってことを、フェリクスに知られたら——いや、フェリクスはまだ「偽装」だと思っている。ザガンは真実を知っている。この二人が本気でぶつかったら——)
「ヴァルゼン」
エルヴィンが能天気な声で割って入った。
「この二人、さっきからずっと小難しい話をしているな。何の話かわかるか?」
「い、いや、僕には——」
「ふっ、だろうな。お前にとっては、あの程度の駆け引きなど児戯に等しいか」
(児戯どころか全く理解できてない。怖くて耳だけダンボにしていただけだ)
「見ろ、ヴァルゼン」
エルヴィンが嬉しそうに笑った。
「お前の参謀とお前の軍師が、お前のために知恵を競い合っている。こんな光景——俺はずっと見たかったんだ」
(フェリクスは僕の軍師じゃない。ザガンも勝手に参謀を名乗っているだけだ。そして何より、二人が競い合っているのは「僕の秘密」をめぐってだ)
「さすがは陛下」
ザガンが涼しい顔で言った。
「この場を黙って見守る判断。やはり、臣下の成長を見届ける器をお持ちだ」
「興味深い。魔王殿は二人の知恵者の論争を、あえて介入せず観察していた。——いえ、させていた、と言うべきですか。フム、また僕の予測を超えた」
フェリクスが手帳に書き込んだ。
(何も考えていなかっただけです。怖くて口を挟めなかっただけです)
「ヴァルゼン様……」
ミラベルが心配そうに覗き込んできた。
「あの、お顔が青いですが、大丈夫ですか……?」
「大丈夫です。大丈夫」
「無理はなさらないでください。お二人の議論を見守るお心労、私にはわかります……」
(わかっていない。心労の種類が全然違う)
グリゼルダが腕を組んだまま、低い声で言った。
「知恵比べも結構だが——結局のところ、ヴァルゼン様が一番恐ろしいという結論は変わるまい」
「「……」」
フェリクスとザガンが同時に黙った。
そして同時に、頷いた。
(なぜそこだけ意見が一致するんだ。僕が一番弱いのに。この世界はどうなっているんだ)
ヴァルゼンは干し肉を噛みしめた。
硬くて顎が痛い。しかしその痛みのほうが、この場の空気よりはるかにましだった。




