「最弱だ」と見抜いているのに忠誠を誓われた。意味がわからない
「最弱だ」と見抜いているのに忠誠を誓われた。意味がわからない
ザガンが合流して、最初の朝が来た。
ヴァルゼンは一睡もできなかった。
(あの人、絶対に気づいている。僕が弱いことに。あの目は——全部見透かしている目だ)
焚き火の番をしていたザガンは、夜明けとともに全員分の食事を手際よく準備していた。干し肉を薄く切り、野草を摘んできて汁物を作り、パンを火で温めている。その動作には数百年を生きた者の無駄のない洗練があった。
「おお、ザガン殿。料理もできるのか」
エルヴィンが寝ぼけ眼を擦りながら感嘆した。
「軍の参謀たるもの、兵站の管理は基本中の基本ですので」
「なるほど、さすがだ!」
「いえ。さすがなのは陛下です。昨夜、一度も眠られなかったでしょう。おそらく、私の忠誠の真偽を——一晩かけて見極めておられたのだと推察します」
(寝れなかったのは怖かったからです。あなたが隣にいるのが怖くて一睡もできなかっただけです)
「あ、あの、ザガンさん——」
「ザガンで結構です、陛下。さん付けなど——」
「じゃあ、ザガン。その、『陛下』っていうのも——」
「お気に召しませんか?」
「気に召さないというか、大袈裟というか……」
「畏まりました。では人前以外では控えましょう。ただ——」
ザガンの琥珀色の瞳が、静かにヴァルゼンを捉えた。
「あなたが魔王であるという事実は変わりません。呼び方が変わろうと、私の忠誠は同じです」
(重い。朝から重い)
朝食を終え、パーティが出発の準備を始めた頃——ヴァルゼンはザガンと二人きりになる瞬間が訪れた。
エルヴィンが水汲みに、グリゼルダが周囲の偵察に、フェリクスが探査魔法の再展開に、ミラベルが祈りの時間に——それぞれ散った。
計ったようなタイミングだった。
(いや、計ったんだろうな。この人が。参謀だもの)
ザガンは焚き火の残り火を丁寧に始末しながら、何気ない口調で言った。
「陛下」
「……はい」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「……はい」
「あなたの戦闘力は——どの程度ですか」
直球だった。
ヴァルゼンの心臓が跳ね上がった。血の気が引く。指先が冷たくなる。
(来た。ついに来た。この質問が。この人は——やっぱり気づいている)
嘘をつくか。誤魔化すか。
しかしザガンの琥珀色の瞳は、嘘を見抜く光を湛えていた。四百年、三代の魔王に仕えた老臣を欺けるとは思えなかった。
「……ないです」
ヴァルゼンは、絞り出すように答えた。
「ない?」
「戦闘力は、ないです。ゴブリン以下です。剣は持てないし、攻撃魔法は不発か暴発するし、走ったら転ぶし——」
声が震えていた。
「僕は最弱です。魔王なんて名ばかりで、血筋が残っていたから押しつけられただけで、本当は何の力もない——」
言葉が途切れた。
怖くてザガンの顔が見られなかった。
ここで全てが終わる。この人は真実を知り、呆れ、あるいは怒り——パーティの皆に伝えるだろう。そして僕は——
「やはりそうですか」
ザガンの声は、驚くほど穏やかだった。
ヴァルゼンが恐る恐る顔を上げると、ザガンは微かに——笑っていた。
「……え?」
「薄々、察しておりました。戦闘力に関しては、おそらく私の予想通りです」
「じ、じゃあ——なぜ」
「なぜ忠誠を誓ったか、ですか」
ザガンが残り火の最後の一つを砂で覆った。
「陛下。私は四百年、三代の魔王に仕えてまいりました」
琥珀色の瞳に、遠い記憶の影が過ぎった。
「先々代は暴君でした。力で全てを支配し、逆らう者は容赦なく滅ぼした。先代は英雄でした。比類なき武勇で魔族を率い、人間との大戦を戦い抜いた」
「……」
「そのどちらも——最後は孤独でした」
焚き火の煙が、朝の空に細く昇っていく。
「力で人を従えれば、力を失った瞬間に全てが崩れる。先々代も先代も、そうでした。配下は恐怖で従い、恐怖が消えれば離散した」
ザガンが立ち上がり、ヴァルゼンに向き直った。
「しかし陛下——あなたは違う」
「僕が……違う?」
「即位式の日、あなたは膝をついた兵に『立ってください』と言った。魔族の村では子供と遊び、軍勢には『やめてください』と叫んだ」
ザガンの口元に、皮肉とも敬意ともつかない微笑が浮かんだ。
「その全てが——力ではなく、あなた自身の言葉だった。だからこそ人が動いた。力を恐れたのではなく、あなたという存在に心を動かされた」
(違う。全部怖かっただけだ。善意で動いたんじゃなくて、怯えて、泣きそうになって——)
「最弱であることは問題ではありません」
ザガンが静かに断言した。
「問題なのは、最弱であるにもかかわらず、これほどの人材があなたの傍に集まっているという事実です。勇者が、騎士が、賢者が、聖職者が——誰一人離れない。それは力では成し得ないことです」
(それは僕の力じゃない。皆が勝手に誤解して——)
「誤解かもしれません」
ヴァルゼンの内心を読んだかのように、ザガンが言った。
「しかし、誤解であろうとなかろうと、人が集まるという結果は変わらない。そしてその結果を生み出しているのは——紛れもなくあなたです」
ヴァルゼンは言葉を失った。
反論したかった。違うと言いたかった。でも——ザガンの言葉には、四百年の重みがあった。
「ですから」
ザガンが再び、穏やかに頭を下げた。
「改めて申し上げます。私はあなたに仕えます。最弱の魔王に。いえ——」
琥珀色の瞳が、真っ直ぐにヴァルゼンを見た。
「——最弱《《だからこそ》》、仕えるに値する魔王に」
ヴァルゼンの目の奥が、じわりと熱くなった。
(意味がわからない。この人の言っていることは、全く意味がわからない)
でも——嬉しかった。
理屈じゃなく、ただ、嬉しかった。
「……ありがとう、ございます」
声が震えた。情けない声だった。
ザガンは何も言わず、ただ穏やかに微笑んだ。その尾の先端が——左右に小さく揺れていた。
やがてパーティが戻ってきた。
「おっ、二人で何を話していたんだ?」
エルヴィンが水桶を担ぎながら朗らかに聞いた。
「いえ、何も——」
「さすがは陛下」
ザガンが涼しい顔で答えた。
「今後の方針について、実に深い示唆をいただきました」
(何ももらってない。あなたが一方的に喋っていただけだ)
「おお、さすがヴァルゼンだ! 朝一番から参謀と戦略会議とは、やはり魔王は違うな!」
「ヴァルゼン様……朝から難しいお話を……お体に障りませんか……?」
ミラベルが目を潤ませている。もう日常の光景になりつつある。
「フム。興味深い。ザガンと二人きりの場を意図的に作った——いえ、我々が散ったタイミングを利用した、か。やはり魔王殿の状況把握能力は——」
フェリクスが手帳に書き込んでいる。もはや止めても無駄だと悟っている。
「さて、出発しましょうか」
ザガンが自然にパーティの輪に加わった。隊列の位置はフェリクスの隣——後衛の、しかし全体を俯瞰できるポジション。参謀らしい判断だった。
ヴァルゼンは隊列の真ん中を歩きながら、ちらりとザガンの背中を見た。
(この人は、僕が最弱だと知っている。知った上で、ここにいる)
それは恐ろしいことであり、同時に——不思議と心強いことでもあった。
(意味がわからない。でも——悪くない)
五人になったパーティは、朝の街道を歩き始めた。
ヴァルゼンの居場所が、また少し広くなった気がした。




