パーティ全員が「一言だぞ、一言で」と興奮している。僕が一番びっくりしてるんですけど
パーティ全員が「一言だぞ、一言で」と興奮している。僕が一番びっくりしてるんですけど
あの軍勢が去ってから、もう半刻は経っている。
にもかかわらず、パーティの興奮は冷める気配がなかった。
ヴァルゼンは草原の真ん中で膝を抱えて座り込んでいた。心臓がまだ暴れている。指先が震えている。胃の中身が全部逆流しかけたのは、つい先ほどのことだ。
(死ぬかと思った。本当に死ぬかと思った。いや実際もう半分死んでた)
目の前の光景は——異様だった。
「一言だ」
エルヴィンが聖剣の柄に手を置いたまま、遠い目をしていた。金髪が夕風に揺れている。英雄譚の一場面のような絵面だが、口から出てくる言葉の方向性がおかしい。
「たった一言だ。ヴァルゼン、お前はたった一言で、あの軍勢を膝つかせた」
(違う。僕はただ「やめてください」と叫んだだけだ。恐怖で。全力の恐怖で)
「見たか、フェリクス。あの瞬間を見たか」
「ええ、見ました」
フェリクスがモノクルの位置を直しながら頷いた。その手帳には、既に何ページにもわたって文字がびっしりと書き連ねられていた。
「正確に言えば、音声による威圧術、空間制圧型の魔力放射、そして血統に由来する種族的権威——その三つが複合的に作用したと考えられます」
(何一つ合ってない。音声による威圧って、あれはただの悲鳴だ)
「しかし」とフェリクスは目を細めた。「それだけでは説明がつかない。あの規模の部隊を一斉に制圧するには、少なくともAランク以上の魔力が必要です。魔王殿の魔力値は——」
一瞬、沈黙が落ちた。
ヴァルゼンの心臓が跳ねた。
(気づいた? まさか。ここでバレる? 終わった?)
「——計測不能、でしたね。やはりそういうことですか」
フェリクスが深く頷いた。
(計測不能って、低すぎて測定器が反応しなかっただけなんですが)
「計測不能……ふっ。器が測りを超えているということか」
エルヴィンが腕を組み、満足げに呟いた。
(いや、器じゃなくて。器じゃなくてですね)
「ヴァルゼン様」
凛とした声が背後から降ってきた。
振り向くと、グリゼルダが片膝をついていた。甲冑が重々しく鳴り、銀髪が地面に触れるほど深く頭を下げている。蒼灰色の瞳には、明確な畏怖が宿っていた。
「正直に申し上げます。あの瞬間——私も膝が折れました」
(え?)
「魔族の軍勢だけではありません。あの威圧は味方にも及んでいた。にもかかわらず、私たちが恐怖で動けなくなるのではなく、ただ膝を折りたくなった——それは威圧ではなく、《《王威》》です」
(王威? 王威って何? 僕はただ怖くて叫んだだけなのに、なぜ新しい概念が生まれているんだ)
「私も同じでした」
ミラベルが目を潤ませながら、両手を胸の前で組んでいた。
「あの声を聞いた瞬間、体中が震えて……でも、怖いのではなくて、なぜか安心したんです。守られている、って」
(守ってない。全く守ってない。自分のことで精一杯だった)
「やはり」とエルヴィンが拳を握った。「やはりお前は——」
「ち、違います! あれはその、僕はただ——」
「謙虚だな、ヴァルゼン」
エルヴィンの碧眼が真っ直ぐにヴァルゼンを射抜いた。あの目だ。あの「俺は信じている」の目だ。この目を向けられると、何を言っても無駄になる。
「だがな、俺たちは全員見た。お前が一言発しただけで、六十人の魔族の兵が膝をついた。それは事実だ」
(事実だけど! 事実だけど文脈が違うんだよ!)
「……あの」
「何だ?」
「本当に、僕はただ、怖くて——」
「ああ、わかっている」
エルヴィンが優しく微笑んだ。
「お前にとっては、あの程度のこと、取るに足らないのだろう。だが俺たちにとっては違う。歴史が動く瞬間を見た。そういうことだ」
(聞いてない。一ミリも聞いてない)
ヴァルゼンは膝を抱えたまま、草原の空を仰いだ。
夕焼けが美しかった。赤と橙が混じり合い、世界を暖かく染めている。
その美しい空の下で、ヴァルゼンは静かに絶望していた。
(この人たち、どうやったら僕の話を聞いてくれるんだろう)
答えは出なかった。
そしてフェリクスの手帳には、新たな項目が追加されていた。
——「王威」。魔王殿固有の能力と推定。音声を媒介とし、対象の戦意を完全に奪う広域制圧術。計測不能の魔力が裏付け。ランク外。
(……もう、いいです)
ヴァルゼンは草の上に仰向けに倒れ込んだ。
夕焼け空に浮かぶ雲が、なぜか泣いている顔に見えた。
気のせいだと思いたかった。




