魔王がギルドで依頼を受けている——って、そんなに変ですか?
魔王がギルドで依頼を受けている——って、そんなに変ですか?
ローデンの街のギルド支部は、朝から冒険者で賑わっていた。
掲示板には羊皮紙の依頼書がびっしりと貼られ、武装した冒険者たちが品定めをしている。受付カウンターには三人の職員が座り、次々と依頼の受注処理をこなしていた。
その雑踏の中を、ヴァルゼンは肩を縮めて歩いていた。
(ギルドに来るたびに思うけど、ここの空気は胃に悪い)
筋骨隆々の戦士が剣を肩に担いで歩き、魔法使いが杖を振り回しながら議論し、魔族の斥候が壁に寄りかかって周囲を観察している。誰もが殺気とまでは言わないが、一種の気迫をまとっている。
その中で、ヴァルゼンだけが場違いに小さく、場違いに怯えていた。
「ヴァルゼン、今日はどの依頼を受ける?」
エルヴィンが掲示板の前で腕を組んだ。金髪碧眼の勇者が立っているだけで、周囲の冒険者がさりげなく距離を取る。英雄としての名声は、この地方にも届いているらしい。
「お任せします」
「だから、お前の意見を聞きたいんだ」
(前みたいに勝手に選んでくれていいのに)
正体発覚後のエルヴィンは、何かにつけてヴァルゼンの意向を確認してくる。以前の「行くぞ!」の勢いが懐かしい。
「じゃあ、あの……あまり危なくないやつで」
「ふむ。あえて低難度を選ぶか。何か意図があるな」
(意図はない。怖いだけだ)
掲示板を眺めていると、フェリクスが一枚の依頼書を指差した。
「これはどうでしょう。街の北東にある旧鉱山に魔獣が棲みつき、交易路の安全が脅かされている。ランクはB。報酬もそれなりです」
「Bランク……」
「我々の実力からすれば問題ない難度です。そして、街道に出れば旅の途中で情報も集められる」
「魔王殿が選んだ低難度路線と、パーティとしての実績維持。その両立を考えると、これが最適解かと」
(僕が選んだことになっている)
「いい依頼だな! さすがフェリクス、ヴァルゼンの意図を汲むのが上手い」
「恐縮です。もっとも、魔王殿の真意はもっと深いところにあるのでしょうが」
(ないです)
ヴァルゼンがカウンターに依頼書を持っていくと、受付の女性職員が目を丸くした。
若い職員だった。栗色の髪をきっちりと結い上げ、ギルドの制服を几帳面に着こなしている。名札には「リーネ」と書かれていた。
「あ、あの……こちらの依頼を受注したいのですが」
「は、はい。冒険者証をお願いしま……」
リーネが冒険者証を受け取り、内容を確認した瞬間、手が止まった。
「え」
顔が引きつっている。
「あの、こちらの冒険者証なんですが——種族の欄に——」
「あ……」
ヴァルゼンの冒険者証には、種族欄に「魔族」と記載されている。正体発覚後、ギルドの記録も更新されてしまったのだ。
(まずい。やっぱりまずい)
「ま、魔族の方が、ギルドで依頼を……」
リーネの声が震えている。というか、周囲の冒険者数人がこちらを見始めた。
「おい、今あの受付の子、『魔族』って言ったか?」
「あの小さいの、魔族? 嘘だろ」
ざわめきが広がる。ヴァルゼンの胃がぎゅっと縮んだ。
(帰りたい。今すぐ帰りたい)
「何か問題が?」
フェリクスが涼しい顔でカウンターに近づいた。モノクルの奥の目が、冷静に状況を観察している。
「い、いえ、規則上は魔族の方の依頼受注を禁じる条項はないのですが……前例がなくて……」
「では問題ありませんね。前例は今日作ればいい」
フェリクスの一言に、リーネが「は、はい」と慌てて処理を再開した。
しかし周囲のざわめきは収まらない。
「魔族がギルドで依頼受注? 聞いたことねえぞ」
「あの勇者エルヴィンのパーティだろ。なんで魔族が混じってんだ」
「おい、あの魔族、角が——小さいな。子供か?」
(子供じゃないです。二十二歳です)
エルヴィンが一歩前に出た。
それだけで、ギルド内の空気が変わった。聖剣の勇者が放つ気迫は、酒場の酔っ払いを黙らせるのに十分だった。
「紹介しよう。こちらは俺たちのパーティメンバー、ヴァルゼンだ」
エルヴィンの声がギルド全体に響いた。
「身分に拘泥せず、仲間と共に歩む道を選んだ男だ。文句がある者は、俺に言え」
沈黙が落ちた。勇者エルヴィンに文句を言える冒険者は、この場にはいなかった。
(エルヴィン、ありがたいけど、紹介の仕方がおかしい。「身分に拘泥せず」って、僕はただギルドの依頼で食い繋ぎたいだけなんだけど)
「す、すごい……」
リーネが目を輝かせていた。先ほどの怯えは消え、代わりに興奮に頬を紅潮させている。
「魔族の方が、ギルドで人間と一緒に依頼を受けるなんて……種族の壁を超えた絆、ですね」
(絆じゃなくて生活のためです)
「受注、完了いたしました。ヴァルゼン様、どうかお気をつけて。応援しています」
(なんで応援されているのか全くわからない)
ギルドを出ると、グリゼルダが腕を組んで感嘆した。
「見事でした、ヴァルゼン様。あの場で動じることなく依頼を受注する胆力——魔王でありながらギルドの依頼をこなすなど、普通は思いつきもしない。民の目線で世界を知ろうとする姿勢、まさに真の王」
(動じてました。めちゃくちゃ動じてました。帰りたかったです)
「さすがは魔王殿。身分に拘泥しない器の大きさ、ではなく——むしろ、あえて身分を公にすることで既成事実を作っている。魔族がギルドで活動する前例を、自らの手で」
フェリクスがペンを走らせた。
(前例を作る気なんてこれっぽっちもなかった)
「ヴァルゼン様、あのギルドの方、すごく感動されていましたね」
ミラベルが嬉しそうに微笑んだ。
「種族の壁を超える——ヴァルゼン様がいらっしゃるだけで、そういう希望が生まれるんですね」
(僕がいるだけで希望が生まれるわけがない。胃痛なら生まれているけど)
「よし! 北東の旧鉱山に向かうぞ!」
エルヴィンが拳を掲げた。
「ヴァルゼンの選んだ依頼だ。必ずやり遂げよう!」
(僕が選んだわけじゃないんだけど)
街道を歩きながら、ヴァルゼンはちらりと後ろを振り返った。
ギルドの入口で、受付のリーネが手を振っていた。その隣に、さっきまでざわついていた冒険者が数人並び、こちらを見ている。その表情は——敵意ではなく、好奇心と、少しの敬意に見えた。
(……あれ?)
不思議な感覚だった。
魔族であることを隠す必要がなくなった、その事実は——確かに気持ちを少しだけ軽くしてくれている。隠し事が一つ減った。まだ最大の嘘は抱えたままだけれど。
「どうした、ヴァルゼン? 何か気になるものが?」
「いえ。なんでもないです」
「ふっ、気配を探っていたのか。さすがだな」
(探ってない)
ローデンのギルド支部では、その日のうちに噂が広まった。
「勇者エルヴィンのパーティに、魔族の男がいる」
「しかもギルドで普通に依頼を受けた。小さくて大人しくて、全然魔族に見えない」
「でもエルヴィンが『文句がある者は俺に言え』って。相当な信頼だぞ」
カウンターの向こうで、リーネが同僚に熱く語っていた。
「身分に拘泥しない、って勇者様が仰ったの。種族の壁を超えた絆よ。私、感動しちゃった」
「それ、ちょっと盛ってない?」
「盛ってないわよ! むしろ足りないくらい!」
こうして、ローデンのギルド支部に一つの前例が刻まれた。
魔族の冒険者による、初めての依頼受注。
ヴァルゼン本人は知らないが、この前例は後に「種族融和の先駆けとなった歴史的一歩」として語り継がれることになる。
本人はただ、食い繋ぐために依頼を受けただけなのに。




