全員の誤解フィルターが合体した。もう何も言えない
全員の誤解フィルターが合体した。もう何も言えない
次の町に着いたのは、日が暮れかけた頃だった。
宿の一室を借り切って、パーティ会議が開かれた。
エルヴィンが言い出したのだ。「今日起きたことを、全員で整理しよう」と。
ヴァルゼンは宿の椅子に座っていた。テーブルの向かい側に四人が並んでいる。全員の視線がヴァルゼンに集中している。裁判のようだった。いや、裁判の方がまだましかもしれない。有罪判決なら刑を受ければ済む。この場では——称賛を受けなければならない。
「まず、事実を確認する」
エルヴィンが真剣な表情で切り出した。
「今日、俺たちは残存魔王軍の小部隊と遭遇した。そしてその兵士たちは——ヴァルゼンを『魔王様』と呼んだ。つまり、ヴァルゼンが本物の魔王であることが、敵側の証言で確認された」
(敵側じゃない。元・味方だ。しかも確認も何も、最初からそう言ってた。ただし「最凶」じゃなくて「最弱」の魔王なんだ——)
「これを踏まえて、各自の所見を聞きたい」
エルヴィンが四人を見回した。
「グリゼルダ、お前から」
「はい」
グリゼルダが背筋を伸ばした。甲冑が微かに鳴る。
「私は——最初からわかっていました」
(わかってなかった部分が多いと思う)
「初めてヴァルゼン様と手合わせをした時。私の全力の一撃を、息ひとつ乱さず躱された。あの瞬間に、悟りました。この方は、私が知るどの武人よりも格が上だと」
(息は乱れてた! 死ぬほど乱れてた! 必死で逃げてただけだ!)
「以来、ヴァルゼン様の挙動を注視してきましたが——理解が追いつかないのです。動きに無駄がない。常に最適な位置にいる。岩竜戦での地形利用、先日の残存兵との対峙における威圧。どれも——」
グリゼルダが目を閉じた。
「人間の武芸では到達できない領域でした。今日、その理由が判明した」
蒼灰色の瞳が開いた。確信に満ちていた。
「魔王だったからです。人間の尺度では測れない存在だった。——だから私の直感が、最初から『敵わない』と叫んでいたのです」
(直感がすごく間違った方向に働いている!)
「私の所見は以上です。剣を捧げた判断に、一片の悔いもありません」
グリゼルダが言い切った。ヴァルゼンの胃が軋んだ。
「フェリクス」
「はい」
フェリクスが手帳を開いた。分厚い。前より確実に分厚くなっている。
「僕がヴァルゼン殿——いえ、魔王殿の行動記録をつけ始めて以来、最大の謎は『なぜ全てのデータが最弱を示すのに、結果だけが最強なのか』でした」
(結果も最弱だ! 周りが勝手に解決してるだけだ!)
「当初の仮説は『完璧な偽装』でした。戦闘力を意図的に隠蔽し、無能を装うことで敵の油断を誘う——高度ではあるが、理論的には説明可能な戦略です」
フェリクスがモノクルを指で押し上げた。
「しかし今日、新たな変数が加わりました。残存魔王軍の兵士が魔王殿を認識し、即座に従った。これは偽装理論では説明しきれない。偽装された弱者に、歴戦の兵士が本能で従うことはありえません」
(従ったのは勇者パーティが怖かったからだと思う!)
「つまり——偽装の深度が、僕の想定を遥かに超えているということです」
(超えてない! 偽装してない!)
「結論を修正します。魔王殿は、戦闘力を隠しているのではない。『戦闘力という概念そのもの』が、この方には適用できないのです。剣を振るわず、魔法を使わず、ただ存在するだけで敵を屈服させる。それが——魔王という存在の本質なのでしょう」
フェリクスが手帳を閉じた。薄い笑みが浮かんでいる。
「分析を始めた時より、むしろ謎は深まりました。これほど愉快なことはありません」
(愉快じゃない! 答えは単純なんだ! 弱いだけなんだ!)
「ミラベル」
「はい……」
ミラベルの声は、まだ震えていた。翡翠色の瞳は赤く腫れている。あれからずっと泣いていたのだろう。
「私は——ヴァルゼン様の強さを語る資格がありません。戦闘のことも、知略のことも、私にはわかりません」
ミラベルが、胸の前で手を組んだ。
「でも——一つだけ、確信していることがあります」
涙が、また一つ落ちた。
「ヴァルゼン様は——ずっと、ずっとお一人だったのだと」
(……)
「魔王として魔族を率いながら、心は誰にも理解されなかった。人間を傷つけることが辛くて、でもそれを口にできなくて。大戦が終わって——居場所を失って。それでも笑おうとして——」
ミラベルの声が、途切れた。涙を拭い、息を整え、続けた。
「今日、残存兵の方々に——ヴァルゼン様は言いました。『僕も同じだった』と。居場所がないのは同じだった、と」
(言った。確かに言った)
「あの一言に——ヴァルゼン様の全てが詰まっていると、私は思いました。魔王でありながら、敵であるはずの人間の中に居場所を求めた。魔族の元部下たちにも——去り際に、心を寄せた」
ミラベルが顔を上げた。涙で濡れた瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見ていた。
「だから——孤独だったんですね。どこにも属せない方だったから」
その言葉は——的外れなのに、胸を貫いた。
方向は間違っている。理由も違う。ミラベルが想像する「孤独な魔王」は、実在しない。
でも——居場所がなかったのは本当だ。魔王軍で孤立していたのも本当だ。この仲間たちの中にいたいと思っているのも本当だ。
ミラベルの共感は、真実を歪んだ鏡で映している。歪んでいるのに、核心だけは——妙に正確だった。
「最後に、俺の所見を言う」
エルヴィンが立ち上がった。
碧い目が、燃えていた。
「俺は——一年前にヴァルゼンと出会った時から、一度もこの男を疑ったことがない」
(疑ってほしかった! 少しは疑ってほしかった!)
「グリゼルダは『格が違った』と言った。フェリクスは『分析を超えている』と言った。ミラベルは『孤独を抱えている』と言った。——全部正しい」
エルヴィンが、拳をテーブルに置いた。
「だが俺は、もっと単純に言う」
勇者が——笑った。太陽のような、眩しい笑顔。
「こいつは、俺たちの仲間だ」
沈黙が落ちた。
グリゼルダが頷いた。フェリクスが手帳に何か書き——いや、ペンを止めた。書くのをやめた。ミラベルが——また泣いた。
「魔王だろうが、最凶だろうが関係ない。こいつは——俺が信じた男で、俺たちが選んだ仲間だ。それ以上の真実は、いらない」
(——)
ヴァルゼンは、何も言えなかった。
全員の誤解フィルターが——「魔王」という事実と合体していた。
グリゼルダの「格が違う」は、「魔王だから当然」に進化した。
フェリクスの「完璧な偽装」は、「魔王という次元の存在」に進化した。
ミラベルの「孤独な優しさ」は、「どこにも属せない魔王の悲哀」に進化した。
エルヴィンの「信じる力」は——最初から、何があっても揺るがなかった。
四つの誤解フィルターが融合し、互いを補強し合い、もはや誰にも——ヴァルゼン本人にすら——解体不可能な構造体が完成していた。
「ヴァルゼン。何か言いたいことはあるか?」
エルヴィンの問いかけに、ヴァルゼンは口を開いた。
閉じた。
もう一度開いた。
「……みんな」
声が震えた。
「ありがとう——ございます」
それしか言えなかった。
本当のことは言えなかった。もう言えない。四人の信頼が大きすぎて、重すぎて、温かすぎて——壊す勇気が出なかった。
「おう!」
エルヴィンが杯を掲げた。
「じゃあ、改めて——勇者と魔王の旅路に、乾杯だ!」
「乾杯」
「乾杯ですね」
「かん……ぱい、です……っ」
四つの杯が鳴った。
ヴァルゼンは、自分の杯をそっと掲げた。中身は水だった。酒を飲む余裕は、今の胃にはない。
杯を口に運ぶ。水が、喉を通った。
冷たいはずなのに、温かく感じた。
——嘘の上に建てられた信頼。
——誤解の上に積まれた絆。
——最弱の魔王が、最凶の魔王として迎えられた夜。
全てが間違っていて、全てが温かかった。
ヴァルゼンは杯の水面に映る自分の顔を見た。淡い紫の瞳が、泣き笑いで歪んでいた。
(もう——何も言えない)
それが、ヴァルゼンの結論だった。
言えない。言わない。この温かさを守るために、最弱の魔王は「最凶の魔王」を生き続ける。
パーティの笑い声が、宿の部屋に満ちていた。
エルヴィンの哄笑。グリゼルダの低い笑い声。フェリクスの皮肉めいた微笑。ミラベルの涙混じりの笑顔。
その真ん中で——ヴァルゼンは、震える唇で、精一杯の笑顔を作った。
もう引き返せない。
けれど、引き返したくないのも——また、本当だった。




