「実は——」と言いかけたら勇者が先に叫んだ。もう訂正できない
「実は——」と言いかけたら勇者が先に叫んだ。もう訂正できない
あの遭遇から、一時間が経っていた。
パーティは無言で歩き続けていた。誰も口を開かない。重苦しいのとは違う。全員が、何かを咀嚼している沈黙だった。
ヴァルゼンの心臓は、ずっと嫌な速さで脈打っていた。
(バレた。いや、バレたというか——確認された。僕が魔王だということが、外部の証言で裏付けられた)
それ自体は、もともとパーティが信じていたことと同じだ。何も変わっていないはずだ。
でも——何かが変わろうとしている。空気が変わった。パーティの中に、明確な「区切り」が入ろうとしている。
ヴァルゼンは考えていた。
(今しかない)
告白するなら——今だ。
残存魔王軍の兵士に「魔王様」と呼ばれた。あの場面を全員が見ていた。このまま黙っていたら、誤解はもう取り返しがつかない次元に進んでしまう。
今なら、まだ間に合う。
「魔王は魔王だけど、最弱の魔王なんです」と言えば——。
(……追い出される)
心臓が縮んだ。
(追い出されるかもしれない。いや、エルヴィンは追い出さないかもしれない。でもあの目——あの信頼に満ちた目が、失望に変わるのが——)
怖い。
それでも。
(言わなきゃいけない。これ以上嘘をつき続けたら、もっと取り返しがつかなくなる)
ヴァルゼンは、立ち止まった。
「あの——みんな、少し聞いてほしいことが」
四人が足を止めた。振り返る。
エルヴィンの碧い目。グリゼルダの蒼灰色の目。フェリクスのモノクルの奥の目。ミラベルの翡翠色の目。
四つの視線が、ヴァルゼンに集まった。
喉が渇いた。心臓がうるさい。手が震えている。
「実は——僕は——」
言え。今言え。「最弱の魔王です」と。「あなたたちが思っているような存在じゃありません」と。「戦闘力はゴブリン以下で、怖がりで、逃げてばかりで、何の取り柄もない——」
「——俺はずっと、この瞬間を待っていた!」
エルヴィンの声が、ヴァルゼンの言葉を吹き飛ばした。
「え?」
「ヴァルゼン! お前がついに——自分の口から真実を語ろうとしてくれている!」
(待って。ちょっと待って)
エルヴィンが、大股でヴァルゼンに歩み寄った。聖剣が背中で揺れている。碧い目が——涙ぐんでいた。何で泣いてるんだこの人は。
「さっきの戦い——いや、戦いですらなかった。お前は、言葉だけで十五人の魔族兵を退かせた。剣も魔法も使わず、ただ言葉で。あの兵士たちは、お前の声を聞いただけで武器を下ろした」
(いやあれは相手が勇者パーティを恐れただけで——)
「そして——隊長は言った。『魔王なら命令に従う義務がある』と」
エルヴィンが、ヴァルゼンの両肩をがっしりと掴んだ。力が強い。めちゃくちゃ強い。肩が軋む。
「お前は——本物の魔王だ。敵側の、最強の存在が——俺たちの仲間になったんだ!」
(ならない! なってない! 最強じゃない!)
「ヴァルゼン! お前が真実を語ろうとしてくれたこと、俺は死ぬまで忘れない! 魔王としての出自を、仲間の前で認めてくれた——お前の勇気に、俺は——!」
(そこじゃない! 僕が言いたかったのは——!)
「エルヴィン、肩を——肩が——!」
「おっと、すまん」
エルヴィンが手を離した。肩に跡がついている。絶対ついている。
「だが聞いてくれ、ヴァルゼン。俺は最初からわかっていた。お前が魔王であること。そしてお前が——敵味方の垣根を超えて、世界のために立ち上がった者であること。今日、それが証明された」
(証明されてない!)
「敵側の最強が——俺たちの仲間に」
エルヴィンが、天を仰いだ。碧い空に向かって、拳を突き上げた。
「これほど心強いことがあるか!」
(ない! 心強くない! 僕が仲間にいても戦力はゼロだ!)
「同感です」
グリゼルダの声が、静かに続いた。
「あの場で、ヴァルゼン様は一歩も退かなかった。十五の敵兵を前にして、微動だにしなかった。私は——背筋が凍る思いでした」
(凍ってたのは僕の背筋だ! 恐怖で足が動かなかっただけだ!)
「そして、言葉だけで制した。武人として認めざるを得ません。あれは——剣では到達できない領域です」
グリゼルダが、深く頭を下げた。
「改めて——この剣を、魔王ヴァルゼン様に」
(やめて! 頭を上げて!)
「計算通りですね、魔王殿」
フェリクスの声は、いつもより少し興奮していた。モノクルの奥の目が輝いている。
「あなたは最初から、この瞬間を設計していた。パーティ内で信頼を構築し、その上で元部下との遭遇という『証拠』を使って、自身の魔王としての正当性を仲間に追認させる。——見事です。僕の分析をまた一手超えた」
(設計してない! 偶然だ! 全部偶然だ!)
「これで全てのデータに整合性が取れました。なぜ戦闘力の数値が低いのか——答えは簡単です。隠しているのです。あれだけの魔力隠蔽が可能なら、戦闘力のデータを偽装することなど造作もない」
(隠してないし偽装もしてない! 本当に弱いんだ!)
「ヴァルゼン様……!」
ミラベルの声が、震えていた。
翡翠色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「だから——だから、あんなに孤独だったんですね」
(え?)
「魔王だから。誰にも理解されない立場だから。人間にも、魔族にも——本当の居場所がないから」
ミラベルが泣いていた。両手で口元を覆い、嗚咽を堪えながら。
「あの残存兵の方々を見た時の——ヴァルゼン様のお顔。あれは、かつての仲間を想う顔でした。裏切り者と呼ばれても、それでも彼らを案じている——」
(それは……それだけは、間違ってない)
「なんて優しい方なんでしょう……! 魔王でありながら……っ!」
ミラベルの涙を見て、エルヴィンの目も赤くなった。グリゼルダが甲冑の下で唇を噛んでいる。フェリクスだけは手帳に書き込んでいたが——ペンを持つ手が、僅かに震えていた。
ヴァルゼンは——もう、何も言えなかった。
告白のタイミングは、永遠に失われた。
エルヴィンが先に叫んだ時点で、ヴァルゼンの「実は」は「魔王であることの告白」として処理された。「最弱です」ではなく「魔王です」として。
もう訂正できない。
ここから先、「実は弱いんです」と言っても、全員が「またご謙遜を」と微笑むだけだろう。フェリクスが「完璧な偽装の継続ですね」と手帳に書くだけだろう。ミラベルが「弱さを見せまいとする強さ」と泣くだけだろう。
詰んだ。完全に詰んだ。
「ヴァルゼン」
エルヴィンが、右手を差し出した。
「改めて——仲間として。勇者と魔王が、同じ道を歩む。こんな面白いこと、他にないだろう?」
その笑顔は、眩しかった。
嘘を暴かれるのが怖い。失望されるのが怖い。追い出されるのが怖い。
でも——この手を振り払うことは、もっと怖かった。
「……はい」
ヴァルゼンは、震える手を、エルヴィンの掌に重ねた。
エルヴィンの手は大きくて、温かくて、確信に満ちていた。
「よし!」
エルヴィンが力強く握った。骨が軋んだ。
「これからは遠慮するなよ! お前は魔王で、俺たちの仲間だ。それ以上でもそれ以下でもない!」
(それ以下なんだ……。はるかに、それ以下なんだ……)
だが、もう後には引けなかった。
最弱の魔王は——「最凶の魔王」として、正式にパーティに迎え入れられてしまった。
エルヴィンの手を握り返しながら、ヴァルゼンは思った。
(いつか——本当のことを言える日が来るんだろうか)
来ないかもしれない。
でも今は——この手の温かさが、嘘ではないことだけは確かだった。




