ヴァルゼンの言葉が、世界に届いた。
ヴァルゼンの言葉が、世界に届いた。
魔力の流れを通じて、微かに──しかし確かに。
「みんなと──旅ができて、よかった」
エルヴィンの手が止まった。
聖剣を握る手が震えた。声が聞こえたのではない。ただ──何かが、胸の奥に触れた。
「馬鹿か、お前は」
呟いた声が、掠れていた。
「まだ終わってねえだろ……!」
エルヴィンが聖剣を天に掲げた。全身の力を、最後の一滴まで聖剣に注ぎ込む。白金の光が爆発し、光の柱が天を衝いた。
その光が──核心に向かって走った。
グリゼルダが。
ミラベルが。
フェリクスが。
ザガンが。
ベリオスが。
セラフィオンが。
全員が、同時に──自分の全てを、ヴァルゼンに送った。
闇の中で消えかけていたヴァルゼンの意識に、光が差し込んだ。
白金。金。赤。翡翠。紺。琥珀。銀。無数の色が、ヴァルゼンを包み込む。
温かかった。
消えかけていた体に、熱が戻る。
一人では弱い。
それは変わらない。ヴァルゼンは最弱の魔王だ。ゴブリン以下の戦闘力。暴発する攻撃魔法。腰が引ける剣捌き。
それは──一つも変わっていない。
でも。
「僕は弱い」
ヴァルゼンの声が、闇の中に響いた。
震えていた。いつもの、弱くて小さな声。
「でも──」
光が集まった。
全ての力が、ヴァルゼンの手の中にあった。
「繋ぐことは──できる!」
ヴァルゼンが手を伸ばした。
最後の糸。虚淵の核の、最も深い場所にある──世界の大動脈の最終接続点。
虚淵が全力で抵抗した。消滅の闇がヴァルゼンの手を弾こうとする。存在を消そうとする。
だが──もう退かなかった。
みんなの力が、盾になった。
みんなの想いが、道を作った。
みんなの信頼が──ヴァルゼンの手を、最後まで導いた。
糸を掴んだ。
引き寄せた。
合わせた。
繋いだ。
再起動率──100パーセント。
世界が──光に包まれた。
魔力循環が完全に再起動した瞬間、大地の底から光が噴き上がった。世界中の要所が同時に輝き、魔力の流れが脈打ちながら全てを繋いでいく。
虚淵が──消えた。
黒い空が端から崩れ落ち、裏側から青空が広がっていく。虚無が消滅し、代わりに光と風と生命が戻ってくる。
各要所で、歓声が爆発した。
「虚淵が消えた!」
「空が……空が戻った!」
「勝った──勝ったぞ!」
人間が叫び、魔族が吠え、精霊が舞った。荒廃した大地に緑が芽吹き、枯れた花が咲き、涸れた泉が清らかな水を噴き上げた。
世界が、再生していた。
空に、光が戻った。
太陽が──まるで今日初めて昇ったかのように、世界を照らしていた。
核心で──ヴァルゼンが倒れた。
音もなく。
目を閉じたまま、糸が切れたように前に崩れ落ちた。
「ヴァルゼン!」
エルヴィンが駆けた。
聖剣を投げ捨て、全力で核心に向かって走った。
「ヴァルゼン様!」
グリゼルダが走った。
大剣を地面に突き刺し、満身創痍の体で走った。
「魔王殿!」
フェリクスが管制塔を飛び出した。
「ヴァルゼン様ぁ……!」
ミラベルが泣きながら走った。
全員が、核心に集まった。
倒れたヴァルゼンを、エルヴィンが抱き起こした。顔色は蒼白で、息が微かにしか感じられない。魔力は完全に枯渇し、体温が下がっている。
「おい、ヴァルゼン! 目を開けろ!」
エルヴィンの声が震えていた。初めて──本当の初めて、この男の声が震えていた。
ミラベルが治癒の光を当てた。しかし魔力の枯渇による衰弱は、回復魔法では治らない。ただ──死なないように、ぎりぎりの線で支えることしかできない。
「ヴァルゼン様、お願いです……目を開けてください……っ」
ミラベルが泣いていた。涙が、ヴァルゼンの顔に落ちた。
グリゼルダが片膝をついて、ヴァルゼンの手を握った。武人の大きな手が、魔王の小さな手を包み込む。
「……頼む。目を開けてくれ」
グリゼルダの声も──震えていた。
フェリクスは何も言わず、脈を測っていた。手帳は開いていない。モノクルすら外していた。ただ──指先で、ヴァルゼンの脈を感じている。
ザガンは少し離れた場所に立ち、空を見上げていた。尾が──大きく揺れていた。
時間が過ぎた。
どれほど経ったのか。数分か、数十分か。
ヴァルゼンの指が──微かに、動いた。
エルヴィンが息を呑んだ。
瞼が震えた。
ゆっくりと──目が開いた。
淡い紫の瞳が、ぼんやりと世界を映した。
空が──青かった。
太陽が──眩しかった。
そして目の前に──泣いている人たちがいた。
エルヴィンが泣いていた。碧い瞳から涙が溢れ、頬を伝っている。勇者が──泣いている。
ミラベルが号泣していた。声にならない嗚咽を漏らしながら、ヴァルゼンの手を握っている。
グリゼルダが──目を真っ赤にして、唇を噛んでいた。「泣いていない」と言い張るつもりなのだろうが、完全に泣いていた。
フェリクスが安堵のため息をつき、モノクルの奥の目が潤んでいた。
ヴァルゼンは──状況が理解できなかった。
「え……」
掠れた声が漏れた。
「なんで……泣いてるんですか……」
エルヴィンが笑った。泣きながら笑った。
「お前が死にかけたからだ馬鹿!」
「ヴァルゼン様……ヴァルゼン様ぁ……」
ミラベルが号泣しながらヴァルゼンにしがみついた。小さな体が震えている。
「よくぞ……ご無事で……」
グリゼルダの声が、震えていた。涙が一筋、頬を伝ったが、本人は気づいていないふりをしている。
フェリクスが小さく笑った。
「まったく……心配させないでください、魔王殿」
ザガンが、少し離れた場所で呟いた。
「さすがは陛下」
尾が──大きく揺れていた。本心だった。
ヴァルゼンは、みんなの顔を見回した。
泣いている人たちを。笑っている人たちを。
ああ、そうか。
終わったんだ。
「あの……僕は、何か……したんですか……?」
全員が一瞬黙り──そして、泣き笑いした。
世界は光に包まれていた。
再生の光の中で──最弱の魔王が、仲間たちに囲まれていた。
誤解でもなく。真実でもなく。
ただの──仲間として。




