全ての力を受け取ったヴァルゼンが、最後の「繋ぎ」に入った。
全ての力を受け取ったヴァルゼンが、最後の「繋ぎ」に入った。
意識の中で、世界が輝いていた。
魔族の魔力が赤い光となって脈を打ち、勇者の力が白金の輝きで道を照らし、神の力が金色の奔流となって虚淵の闇を押し退ける。そして無数の──数え切れないほどの、小さな光。世界中の人々が寄せた想いの欠片が、満天の星のようにヴァルゼンの意識を包んでいた。
赤と白金と金と、翡翠と銀と紺と暗赤色。
全ての色が混じり合い、虹色の光となってヴァルゼンの中を駆け巡る。
その全てを──繋ぐ。
ヴァルゼンの手が動いた。
物理的な手ではない。意識の手だ。しかしその手は──もう震えていなかった。
みんなの力がある。
一人ではない。
虚淵の核に最も近い領域。最も太い魔力の主幹線が三本、完全に断絶していた。世界の大動脈が止まっている。心臓が動いていない。これを繋ぎ直せば──心臓が再び動き出せば──魔力循環は自律的に回復を始める。
一本目。
ヴァルゼンは魔族の魔力を媒介にして糸を掴んだ。赤い光が闇を切り裂き、途切れた糸の端を引き寄せる。虚淵の虚無が抵抗する──「そこには何もない」と告げる。しかし赤い光が「いや、ある」と押し返す。魔族の戦士たちの意地だった。
両端を合わせ、繋ぐ。赤い光が橋を架けるように二つの端を繋ぎ止め、ヴァルゼンの感知が接続を安定させる。
接続。
85パーセント。
世界が揺れた。
大地の底から低い振動が伝わり、地上では木々の葉が一斉に揺れた。五パーセントの回復──それだけで、世界はこれほど変わる。
二本目。
勇者の力が触媒となる。白金の輝きが虚淵の抵抗を弾き、糸を守る。エルヴィンの「信じる力」は虚無に対して特効だった。「何もない」という虚淵の主張に対して、「いや、ある。ヴァルゼンがいる」と言い切る──その愚直な信念が、物理的な力になっている。
ヴァルゼンは安全な経路を確保し、糸を通す。白金の光がトンネルのように闇を穿ち、その中を糸が走る。
接続。
90パーセント。
虚淵が──明確に縮小し始めた。
外の世界では、劇的な変化が起きていた。
黒い空が端から崩れ落ちるように消えていく。まるで紙が焼けるように──しかし炎ではなく、光によって。闇が剥がれた後に残るのは、澄んだ青空と白い雲。太陽の光が世界に降り注ぎ、荒廃した大地が息を吹き返していく。
枯れていた花が一斉に咲いた。赤、青、黄、白──色とりどりの花が、荒れ地を埋め尽くすように芽吹いた。
涸れていた泉が清らかな水を噴き上げ、小川となって流れ始めた。
灰色だった空が、透き通るような青になった。
各要所で、歓声が爆発した。
「虚淵が……消えてるぞ!」
「空が戻ってきた!」
「勝てる──勝てるぞ!」
しかし──群衆が見ているのは、核心だった。
ヴァルゼンは、相変わらず目を閉じて立っていた。
魔法陣の中央で、両手を下ろし、一歩も動かず。灰銀の髪が風に揺れ、繕い跡だらけのローブの裾がはためく。涙の跡が頬に残っている。汗で前髪が額に張り付き、額の小さな角がわずかに覗いている。
外から見れば──何もしていない。
世界が劇的に変わっているのに、魔王だけが何一つ変わっていない。
「……何もしてないのに、虚淵が消えてるぞ」
丘の上の群衆から、畏怖の声が漏れた。もはや議論は起きなかった。太った商人も、痩せた書記官も、元兵士の老人も──全員が口を噤み、核心を見つめていた。
「何もしてないんじゃない。あれが──あの方の力なんだ」
「目を閉じて立っているだけで、虚淵を消す……」
「これが最凶の魔王か……」
伝説が生まれる瞬間だった。
「何もせずして世界を救った魔王」。
千年後の歴史書にはこう記されることになる。
──最終決戦の日、魔王ヴァルゼンは核心の魔法陣に立ち、目を閉じた。以後、一歩も動かず、一言も発さず、ただ立っていた。その間に虚淵は消滅し、世界は再生した。全種族の力がいかにして集約されたかについては諸説あるが、確実なのは全てが魔王の手によって「繋がれた」ことである。史上最凶にして最も謎めいた魔王の所業として、後世に永く語り継がれることとなる──
全部誤解だった。
ヴァルゼンは意識の中で死に物狂いで糸を繋いでいた。汗だくで、泣きながら、みんなの力を借りて必死に世界を紡いでいた。「何もしていないように見える」のは、戦いが意識の中で起きているからであって、何もしていないわけでは断じてない。
だが外からは、永遠にそう見えない。
最弱の魔王が最凶の伝説になる──その瞬間が、今だった。
三本目──最後の主幹線。
ヴァルゼンは全ての力を束ねた。魔族の赤。勇者の白金。神の金。無数の星。
それを一本の糸に練り上げ──虚淵の核に最も近い、最も暗い場所に手を伸ばした。
虚淵が抵抗した。
闇が糸を食い破ろうとする。消滅の力がヴァルゼンの手を弾こうとする。「ここには何もない」「お前も消えろ」──虚無が叫んでいる。
だが──退かなかった。
みんなの力がある。
一人じゃない。
糸の端を掴んだ。
引き寄せた。
合わせた。
95パーセント。
あと少し。あと──少し。
しかし──虚淵が、最後の抵抗を始めた。
ヴァルゼンの意識に、闇が纏わりつく。
糸を繋ぐのではなく──ヴァルゼン自身を飲み込もうとしている。
核心であるヴァルゼンを消せば、再起動は永久に失敗する。
虚淵は、それを知っていた。
冷たい闇が、ヴァルゼンの意識を侵食し始めた。
外の世界で、エルヴィンが叫んだ。
「ヴァルゼン! あと少しだ!」
聖剣の輝きが一瞬、核心の方角を照らした。
グリゼルダが大剣を掲げ、東の防衛線から吠えた。ミラベルが祈るように杖を握りしめた。ザガンが空を見上げ、ベリオスが戦斧を構え直した。
全員が──核心を、見つめていた。
消えかけているヴァルゼンを。
まだ終わっていない。
あと5パーセント。あと──少しだけ。




