再起動率80パーセントで、完全に停滞した。
再起動率80パーセントで、完全に停滞した。
世界中から集まった力で一気に回復した勢いが、ここに来て壁にぶつかった。
残り20パーセント。虚淵の核に最も近い領域。世界の魔力循環の心臓部とも言うべき場所。そこに張り巡らされた魔力の糸は虚無そのものに侵食され、繋いだ瞬間に消滅する。触れることすら困難だった。氷に指を突っ込むような──いや、それは不正確だ。存在しない場所に手を伸ばすような感覚。手を伸ばしても、そこには何もない。何もない場所に何かを繋ぐことは──原理的に不可能に思えた。
ヴァルゼン一人の魔力感知では、もはや手が届かなかった。
意識が朦朧としていた。
目を閉じたまま立ち続けて、もうどれほどの時間が経ったのか。体の感覚は完全に消え、自分が立っているのか倒れているのかすら定かではない。呼吸しているかすら、わからない。ただ意識だけが、薄れゆく光の中で──糸を掴もうともがいている。
魔力の糸を掴もうとした。
指が──すり抜けた。
80パーセント。動かない。
もう一度。
すり抜けた。糸がそこにあるのはわかる。感じられる。しかし手が届かない。あと一歩。あと一センチ。その最後の距離が、途方もなく遠い。
79パーセント。下がり始めた。
維持するだけの力すら、もう残っていない。
世界が──消えかけている。
ヴァルゼンの意識が薄れていく。暗闇が広がり、光の糸が見えなくなっていく。
このまま意識を失えば、繋いだ八割の回路も維持できなくなる。ヴァルゼンの意識が途切れた瞬間に、全ての糸が一斉に切れる。世界が──ゼロに戻る。
だめだ。
ここで終わるわけにはいかない。
でも──体が、動かない。心が、動かない。意志だけでは越えられない壁が、そこにあった。
そのとき。
闇の中に、声が響いた。
「我が王。受け取れ」
ザガンだった。
ヴァルゼンの意識に、巨大な魔力の奔流が流れ込んだ。一個人のものではない。魔族の──魔族全体の魔力を、ザガンが集約してヴァルゼンに注いでいた。
四百年の経験を持つ老参謀は、前線に立ちながら同時に魔族軍全体の魔力の流れを掌握していた。各部隊の兵士たちに「戦闘に使う魔力の一割を供出せよ」と命じ、その全てを自分の体を媒介にしてヴァルゼンに送っている。
「これは魔族全軍の力だ。四百年、三代の王に仕えてきた老骨の最後の奉公と思ってくだされ」
ザガンの声は穏やかだった。しかしその奥に、揺るぎない忠誠があった。皮肉の一滴もない──純粋な忠義だった。
「陛下。我らの全てを──お使いください」
魔力が流れ込んでくる。赤い光。魔族の命の色。
魔族の戦士たちが戦闘に使うはずだった魔力を削り、ザガンを媒介にしてヴァルゼンに送っている。各要所の魔族が、一斉に自分の魔力を差し出した。それは戦闘力の低下を意味する──自分の命を危険に晒すことを意味する。それでも、迷いなく。
ヴァルゼンの意識が、少しだけ明るくなった。
暗闇の中に色が戻る。糸が見え始める。しかし──
だがまだ足りない。
魔族の魔力だけでは、残り20パーセントの領域には手が届かない。虚淵の核が放つ虚無の力は、魔族の魔力を呑み込んでしまう。
次の声が来た。
「俺の力も使え、ヴァルゼン!」
エルヴィンだった。
聖剣が──爆発的な輝きを放った。白金の光が天を貫き、雲を割り、星のように輝いた。その光が魔力の流れに変換されてヴァルゼンに流れ込む。
聖剣の力。使い手の信念を力に変える──信じる力の結晶。エルヴィンの「ヴァルゼンを信じる」という揺るがない確信が、物理的な力になってヴァルゼンを貫いた。
勇者の力。
聖剣の力。
人類最強の男が持つ、全ての力。
「勇者の力は──魔王のためにある!」
エルヴィンが叫んだ。
その言葉は矛盾していた。勇者は魔王を倒す存在のはずだ。世界の理として、歴史の定めとして。しかしエルヴィンにとって、そんな常識は最初からどうでもよかった。
信じると決めた。
最初に戦場跡で出会ったあの日から、一度も疑わなかった。
だから──力を預ける。全部。残らず。
聖剣の力が触媒となり、ヴァルゼンの魔力感知の範囲が急激に拡大した。闇の中に沈んでいた糸が、再び光を取り戻す。白金の輝きが虚淵の闇を押し退け、糸の端を照らし出す。見えなかったものが、見えるようになった。
さらに──
「これは神々の贈り物だ」
セラフィオンが、動いた。
三対の翼が全開になり、金色の光が世界を照らした。神使としての力──神々から授かった権能の全てを解放し、ヴァルゼンに注ぎ込む。
観測者としての中立性を、ここで完全に捨てた。神々への報告義務も、不介入の原則も、全て──ヴァルゼンのために、捨てた。
「使い切れ、魔王」
超然とした神使の仮面は、とうに剥がれ落ちていた。
金色の瞳にあったのは──超然でも観測でも判断でもなく、信頼だった。
「汝は力なき王。力なきゆえに、全ての力を受け入れられる。器が空であるからこそ、何でも注げる。──それが、我が見出した答えだ」
神の力が流れ込んだ。金色の奔流。世界の秩序を司る力。
ヴァルゼンの意識が一気に覚醒した。暗闇が消え、世界全体の魔力の流れが鮮明に浮かび上がる。
魔族の魔力。赤い光。
勇者の力。白金の輝き。
神の力。金色の奔流。
そして──世界中の人々の想い。無数の星のような、小さな光の粒。
全てがヴァルゼンに集まっていた。
グリゼルダが剣を掲げた。武人の気迫が魔力となって流れ込む。銀色の光。
フェリクスが術式の全出力をヴァルゼンに集中させた。知性の全てを捧げる。紺色の光。
ミラベルが治癒の光を最大にした。癒しの力が、ヴァルゼンの疲弊した意識を回復させる。翡翠の光。
ベリオスが戦斧を天に掲げ、「力」の全てを魔王に預けた。暗赤色の光。
一人では弱い。
ヴァルゼンは、それを誰よりも知っている。
だが──繋ぐことはできる。
全ての力がヴァルゼンに集まった。
ヴァルゼンというハブを通じて、魔族の力と人間の力と神の力が交差し、融合し、一つの巨大な奔流となった。虹色に輝く光が、ヴァルゼンの意識を中心に渦を巻く。
一人では届かなかった糸に──手が届いた。
ヴァルゼンの意識の中で、世界全体が光に包まれた。
虚淵の核に最も近い領域。最も暗い場所に、光が射した。
残り20パーセント。
みんなの力を──繋げば。




