応答は、一斉に返ってきた。
応答は、一斉に返ってきた。
最初はエルヴィンだった。
北の前線。聖剣を握り直したエルヴィンが、天に向かって叫んだ。碧い瞳に涙が浮かんでいるのは、戦闘の熱気のせいだと本人は言い張るだろう。
「無理じゃない!」
声が──魔力に乗った。
聖剣が白金に輝き、その輝きが魔力の流れに共鳴する。聖剣は使い手の信念を力に変える武器だ。エルヴィンの「信じる力」が、今、かつてないほどの純度で聖剣を通じて解放された。白金の光が天を貫き、魔力の波となってヴァルゼンに向かって走った。
「お前は最凶の魔王だ! 今さら弱音なんか吐くな、馬鹿!」
的外れだった。
壮大に的外れだった。ヴァルゼンは最凶の魔王などではないし、弱音は本物の弱音だった。別に演出でも檄でもない。ただ疲れて弱音が漏れただけだ。
だが──その声は、確かにヴァルゼンの意識に届いた。暗闘の中で揺れる一筋の光のように。
次はグリゼルダだった。
東の防衛線。満身創痍の体で大剣を掲げ、戦場に轟く声で叫んだ。銀髪が血に染まり、甲冑は半壊し、足は引きずっている。それでも──声だけは、誰よりも強かった。
「まだ戦えます! ヴァルゼン様の盾は、まだ折れていません!」
彼女の声にも、魔力が乗った。大剣が振動し、その波動が大地を伝ってヴァルゼンに届く。武人の気迫が──意地が──魔力となって核心に向かう。
南の管制塔では、フェリクスが。
「魔王殿、データは全て僕が管理しています。あなたは感じることだけに集中してください」
穏やかな声だった。いつもの皮肉な調子はない。しかし術式の制御盤を通じて、フェリクスの補助魔力が最大出力でヴァルゼンに向かっていた。全ての術式のリソースを──防衛も警戒も全部削って、ヴァルゼンの支援に集中させている。
「──大丈夫、あなたの感覚は世界一正確だ」
西の救護陣地では、ミラベルが。
「ヴァルゼン様──あなたは一人じゃありません。みんな、ここにいます」
涙声だった。いつもの涙声だった。だが治癒の杖が放つ光は強く──ヴァルゼンが送ってくれた、あの微かな魔力を大切に抱えながら──その光が魔力の流れに乗ってヴァルゼンを包み込んだ。温かい光。癒しの光。
ザガンが。
「陛下。四百年仕えてきた中で、あなたほど弱音を吐いてよい王はおりませんでした」
一拍の間があった。尾が大きく揺れている。
「──だからこそ、仕えているのですよ」
皮肉なのか本心なのか、わからない。おそらく──いや、確実に両方だった。ザガンの声にも魔力が乗り、四百年の忠誠の重みがヴァルゼンに向かって流れた。
ベリオスが。
「……諦めるな、魔王」
たった一言だった。しかしその一言に、「力がないのに立ち上がった」魔王への敬意の全てが詰まっていた。戦斧から放たれた赤い魔力が、地面を走ってヴァルゼンに向かう。
セラフィオンが。
「──おい、魔王」
超然とした神使の仮面の下で、翼が大きく明滅していた。金色の瞳の幾何学紋様が高速で回転している。
「ここで倒れたら、我の観測報告書が未完成になる。それは困る」
理由としては最悪だった。しかし──その声に込められた感情は、本物だった。
そして──各要所の兵士たちが。
「魔王様を信じてる!」
「我が王のために!」
「あの方なら、絶対にやり遂げる!」
「魔王万歳!」
人間の兵士が。魔族の戦士が。精霊たちが。僧侶たちが。
それぞれの場所で、それぞれの言葉で、声を上げた。
かつてヴァルゼンに助けられた人々──交渉で救われた村の住民、誤解から生まれた信頼で結ばれた部族、弱い魔王の善良さに触れて心を変えた者たち。名前も知らない兵士。顔も見たことのない民衆。それでもヴァルゼンが繋いだ魔力の流れを通じて──全員が、ヴァルゼンを「感じている」。
その全員の声が、魔力の波に乗って──世界中から、ヴァルゼンの元に集まった。
ヴァルゼンの意識の中で──暗闘が、揺れた。
朦朧としていた意識に、声が染み込んでくる。
一つ。二つ。三つ。十。百。千。
数え切れないほどの声が、魔力の糸を通じて流れ込んでくる。温かい。うるさい。騒がしい。でも──温かい。
「……え」
ヴァルゼンは、泣いていた。
目を閉じたまま、涙が頬を伝っていた。自覚はなかった。ただ──温かかった。体の内側が、じんわりと温まっていく。
弱音が漏れた。
それを恥じる暇もなく、世界中から声が返ってきた。
それぞれが、それぞれのフィルターで解釈していた。
エルヴィンは「魔王の檄だ。俺たちを奮い立たせるために、あえて弱さを見せたのだ。さすがは最凶の──」と思っていた。壮大に間違っている。
グリゼルダは「我々を試しているのだ。この局面で踏みとどまれるかどうか」と解釈していた。試していない。
フェリクスは「戦略的な士気操作だ。弱音を見せることで全軍の結束を高める高等技術──いや」と分析しかけて、やめた。「ただの弱音だ。それでいい」と結論づけた。
ミラベルだけが──本当の弱音だと知っていた。知った上で、「だからこそ助けたい」と思っていた。
全員が違う解釈をしていた。
だが全員が同じ結論に達した。
──力になりたい。
その想いが魔力となって、ヴァルゼンに流れ込んでいた。
ヴァルゼンは泣きながら、糸を紡いだ。
弱い手で。震える指で。涙で霞む意識の中で。
だが──一人ではなかった。
魔力の流れが安定し始めた。
世界中から集まった想いが、ヴァルゼンの魔力感知を内側から支えている。一人では繋げなかった糸が、みんなの力を借りて繋がっていく。虚淵の抵抗に対して、人々の想いが盾となり、糸を守る。
再起動率が、再び上昇し始めた。
73パーセント。75パーセント。
ヴァルゼンは泣いていた。
弱音を漏らした自分が情けなかった。こんな大事な場面で、弱さを晒してしまった。
でも──その弱さが、力を集めた。
78パーセント。80パーセント。
世界中の力が、ヴァルゼンに流れ込んでいた。
弱いからこそ、助けを求められた。助けを求めたからこそ、みんなが応えてくれた。
一人では弱い。
だが、繋がっている。
ヴァルゼンは涙を流しながら、糸を紡ぎ続けた。
世界中の声を、力を、想いを──受け取りながら。




