核心に立った。
核心に立った。
台地の頂。世界の中心。八つの要所が収束する一点。
ヴァルゼンはそこに立ち、空を見上げた。
虚淵の亀裂が空を引き裂いている。闇が大地を侵食し続けている。世界の終わりが、目に見える形で進行していた。遠くの山脈がまた一つ消えた。大地の端が崩れ落ちるように虚無に呑まれていく。
怖かった。
当然だ。
でも——もう、それでいいと思えた。
怖い自分のまま、ここに立つ。それが、自分にできる唯一のことだから。
強くなれなくてもいい。震えたままでいい。
この場所に立つこと。それだけが、ヴァルゼンの戦い方だった。
目を閉じた。
魔力感知を——極限まで広げた。
世界が、開いた。
訓練の時とは比較にならない情報量が流れ込んでくる。八つの要所の魔力が、波のようにヴァルゼンの意識に押し寄せた。
東の要所が見える。人間の兵士たちが陣形を組み、虚淵の侵食体に備えている。その中心にいる指揮官の魔力が、安定した光を放っている。恐れている。だが、退かない。
西の要所。魔族の部隊が展開している。ザガンの魔力が老練な光を纏い、若い兵士たちの魔力を穏やかに包み込んでいる。父が子を守るような、温かな包容力。
南の要所。精霊たちの魔力が、森の緑のように脈打っている。穏やかで、深く、大地に根差した力。世界と共に在ろうとする、静かな決意。
北東の要所。ベリオスの魔力が激しく燃えている。荒々しくて、猛々しくて——だが、不思議なほど温かい。「死ぬなよ」と言った男の魔力は、口調よりもずっと優しかった。
八つの要所が、ヴァルゼンの意識の中で光の点になった。
それぞれが異なる色を持ち、異なるリズムで脈打っている。人間の魔力は黄金色。魔族の魔力は深い紫。精霊の魔力は翠緑。神殿の魔力は白銀。冒険者の魔力は赤銅色。民兵の魔力は素朴な土の色。
一つとして同じものはない。
だが——その全てが、ヴァルゼンに向かって流れ込んできた。
光の線が、世界中からヴァルゼンの立つ台地に収束する。十二本の光が、一人の小さな魔王の身体を通過し、繋がり、一つの回路を形成していく。
そしてその流れの中に——ヴァルゼンは、気づいた。
魔力に、想いが込められていた。
東の要所から流れ込む魔力には、「守りたい」という意志が混じっていた。人間の兵士たちが家族を、故郷を、守りたいと願う心。子供の笑顔。妻の声。故郷の風景。それらが魔力の奥に、宝石のように輝いていた。
西の要所の魔力には、「仕えたい」という忠誠があった。ザガンと魔族の部隊が、王のために力を尽くすという誓い。四百七十年の忠義が、一つの魔力の中に凝縮されていた。
南の要所の魔力には、「共に在りたい」という祈りがあった。精霊たちが世界と共に生き、共に息づくことを願う声。森のざわめき。川のせせらぎ。風の歌。
北東の要所の魔力には——言葉にならない、不器用な何かがあった。ベリオスが決して口にはしないだろう、しかし確かに存在する感情。認めたくないが、認めざるを得ない。この偽魔王を——嫌いではないのだ、と。
エルヴィンの魔力が流れ込んできた。前線から。聖剣を通じて。
その魔力には——「信じる」という力が、純粋に、何の混じりけもなく込められていた。疑いが一片もない。曇りが一点もない。ただ信じている。ヴァルゼンという男を。三百四十話の旅の全てを賭けて。
グリゼルダの魔力。「守る」という鋼鉄の意志。今度こそは。今度こそは守り抜くのだと。
フェリクスの魔力。「理解したい」という知の光。分析ではなく——理解。この男を、ただ理解したいのだと。
ミラベルの魔力。「癒したい」という祈り。そしてその奥に——ほんの少しだけ、「傍にいたい」という想いが混じっていた。
セラフィオンの魔力。「見届ける」という静かな覚悟。観測者が初めて、観測の向こう側を見ようとしている。
全てが——ヴァルゼンの中に流れ込み、混ざり合い、一つの大きな流れになっていった。
ヴァルゼンは気づいた。
自分は「繋いでいる」のではない。
繋がれているのだ。
全ての人々の想いが、自分を通じて一つになろうとしている。自分はその中心にいるだけだ。ハブであり、結節点であり——器。
セラフィオンが言った「器」の意味が、今ようやくわかった。
戦う力はない。壊す力もない。
だが——受け止める力がある。
全ての想いを、全ての魔力を、一つも零さずに受け止めて、繋ぎ合わせる力。
それが——ヴァルゼンの魔力だった。
弱さの中にしか宿らない力。強ければ持てない力。他者を従わせる者には決して手に入らない力。
涙が頬を伝った。
目を閉じたまま、声にならない声で呟いた。
「……みんな、ありがとう」
誰にも聞こえない声で。
しかし——その想いは、魔力の流れに乗って、世界中に伝わった。
各要所で、兵士たちが不思議な温かさを感じていた。胸の奥がじんわりと温まるような、懐かしいような、安心するような——
エルヴィンが前線で剣を構えたまま、ふっと笑った。
「始まったな」
グリゼルダが防衛線で大剣を構え、目を閉じた。
「……あの方の魔力は。温かいな」
フェリクスがモノクルの数値を見て、手帳を閉じた。もう分析する必要はなかった。
「答えが——出ましたね」
ミラベルが涙を拭いた。笑っていた。
「頑張って。ヴァルゼン様」
ザガンが目を閉じ、深く息を吐いた。
「さすがは——我が王」
ベリオスが北東の要所で腕を組み、空を見上げた。何も言わなかった。だが——口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。
台地の頂で、ヴァルゼンが立っていた。
小さな魔王。最弱の魔王。角は小指の先ほどしかなく、剣も振れず、魔法も使えない。
だが——その身体を、世界中の光が貫いていた。
八つの要所から伸びる光の線が、ヴァルゼンを中心に輝きを増していく。小さな身体が、世界で最も明るい光に包まれている。
遠くから見守る群衆が、息を呑んだ。
「始まった」
誰かが呟いた。
「最凶の魔王の——最後の戦いが」
光が走った。
世界中の要所が——一斉に、輝き始めた。
大地が震え、空が鳴り、魔力の奔流が世界を駆け巡る。
魔力循環の再起動が——始まった。




