エルヴィンが去った後、残りの仲間たちが一人ずつ、ヴァルゼンの元を訪れた。
エルヴィンが去った後、残りの仲間たちが一人ずつ、ヴァルゼンの元を訪れた。
最初はグリゼルダだった。
大剣を背に、銀の甲冑が曇り空の光を鈍く反射している。銀髪が風に揺れ、刀傷の走る頬に、硬い——しかし温かな微笑みが浮かんでいた。いつもの厳格な武人の顔ではなかった。
「ヴァルゼン様」
姿勢を正し、胸に拳を当てた。騎士の最敬礼。かつて騎士団で部隊を率いていた頃の、最も正式な敬礼だった。
「私の剣は、あなたの盾です。何が来ようと——あなたの背後に影は差させません」
「グリゼルダさん……」
「武人としての誇りにかけて。あなたのお傍に仕えたこの時間——それが、私の生涯で最も誇らしい戦いです」
その言葉の奥に、かつて失った部隊への想いが滲んでいた。あの時は守れなかった。だが今度は——今度こそは守り抜く。
グリゼルダが踵を返した。一度だけ振り向いて、不器用に笑った。目尻の傷が歪んだが、それすらも温かく見えた。
「……終わったら、酒を飲みましょう。私が奢ります」
「は、はい。ぜひ」
次に来たのはフェリクスだった。
いつもの紺のローブ。モノクルが曇り空の光を反射している。手帳は——珍しく、閉じたままだった。分析者が分析を止めている。それだけで、この瞬間の特別さがわかった。
「魔王殿」
「フェリクスさん」
「私の知恵は、あなたの道具です。術式管理は完璧にやります。一秒の狂いも出しません。私の生涯の知識の全てを、この作戦に注ぎます」
「信じてます」
フェリクスが口元に薄い笑みを浮かべた。いつもの皮肉な笑みではなく、どこか穏やかな——素の笑みだった。
「……私はずっと、あなたを分析し続けてきました。解けないパズルだと。完璧な偽装だと。深謀遠慮の化身だと。あなたの行動の一つ一つに存在しない意図を読み取り、存在しない計算を見出してきた」
「えっと……」
「今もまだ、完全には解けていません。でも——一つだけわかったことがあります」
「何ですか?」
「私は分析を間違えていた。だが——結論だけは正しかったのかもしれない」
意味がわかるようで、わからなかった。分析は間違っていたのに、結論は正しい。つまり——「ヴァルゼンは偉大だ」という結論は正しいが、その理由は自分が思っていたものとは違う、ということだろうか。
フェリクスは「考えるのは後で結構です。今は目の前のことに集中を」と微笑んで、持ち場に向かった。
ミラベルは——もう来ていた。
台地の端に立ち、ヴァルゼンを見守っていた。つば広の帽子を両手で押さえ、風に髪を遊ばせている。翡翠色の瞳は潤んでいたが——泣いてはいなかった。昨夜と同じだ。この人はもう、泣くだけの人ではない。
「ヴァルゼン様」
「ミラベルさん。昨夜はありがとうございました。おかげで——少し、楽になれました」
「いいえ。あれは——私のためでもありましたから」
ミラベルが微笑んだ。目が少し赤いのは、泣いた後だからだろうか。それとも、泣くのを堪えた後だからだろうか。
「回復は私に任せてください。誰も死なせません。——あなたも」
「はい」
短い言葉だった。でも、それで十分だった。
ザガンが来た。
老参謀は深く一礼した。長い角が曇り空に影を落とす。紺色の長衣が風に揺れ、胸元の参謀章が鈍く光った。
「我が王」
四百七十年を生きた男の声が、静かに台地に響いた。
「世界をお救いください」
短く、力強く、そして——愛おしげに。三代の魔王に仕えた男が、四代目に託す最後の言葉。
「ザガンさん」
「はい」
「ありがとう、ございます。ずっと——ずっと、支えてくれて。僕みたいな頼りない魔王に、四百七十年の経験を全部注いでくれて」
ザガンの琥珀の瞳が、一瞬だけ揺れた。尾の先が微かに震えた。
「もったいないお言葉です。……仕える喜びを教えてくださったのは、陛下です。先代も先々代も偉大でしたが——仕えて幸福だったのは、陛下が初めてです」
ザガンが去り、一人になった——と思った瞬間、通信の魔術が唸った。
ベリオスの声だった。北東の要所から。
「……おい。偽魔王」
「ベリオスさん」
「一つだけ言っておく」
長い沈黙。通信の向こうで、ベリオスが言葉を探しているのがわかった。
「……死ぬなよ」
ぶっきらぼうな声だった。素っ気なくて、無愛想で、まるで天気の話でもするような口調だった。
だが——その三文字に込められた感情の重さは、誰の言葉にも劣らなかった。力を信じた男が、力なき魔王に「生きろ」と言っている。
遠くで、エルヴィンの声が聞こえた。通信に割り込んだらしい。
「あいつ、完全にデレたな」
「聞こえてるぞ勇者ァ!! 今すぐそこに行って首をへし折ってやる!!」
「ほら照れてる」
「照れてない!!」
ヴァルゼンは思わず笑った。こんな状況でも、この二人は変わらない。世界が終わりかけていても、日常は日常のままだ。
最後の最後に——セラフィオンの声が降ってきた。
天から。文字通り。
半透明の翼が曇り空の中で光を帯びて輝き、神使が台地の上空に浮かんでいた。金色の瞳の幾何学紋様が、ゆっくりと回転している。
「見届けよう」
セラフィオンの声は、もはや超然とした冷たさだけではなかった。そこには——微かな、しかし確かな期待が滲んでいた。
「新しい時代の魔王を」
それだけ言い残して、セラフィオンは空へ消えた。
全員が持ち場に散った。
台地の頂には、ヴァルゼンだけが残された。
一人。
しかし——一人ではなかった。
仲間たちの言葉が、体温が、声が、まだ鮮やかに残っていた。
ヴァルゼンは核心に向かって歩き出した。
一歩。また一歩。
震えていた。当然だ。
でも——足は止まらなかった。




