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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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作戦開始まで、あと数分。

 作戦開始まで、あと数分。


 台地の頂。ヴァルゼンは核心に立ち、目を閉じて呼吸を整えていた。風が吹いている。荒涼とした大地の匂い。遠くで虚淵の侵食が大地を蝕む、低い地鳴りのような音。


 世界中の要所が待機している。全勢力が持ち場についている。あとはヴァルゼンが「繋ぐ」だけ。


 その最後の瞬間に——エルヴィンがヴァルゼンの前に立った。


 聖剣を背負い、白銀の軽鎧が曇り空の光をわずかに弾いている。金髪碧眼の勇者。絵に描いたような英雄。この世界で最も強い男の一人。


 だが、その表情はいつもの快活な笑みではなかった。


 静かだった。


 エルヴィンがこんな顔をするのを、ヴァルゼンは初めて見た。いつもの底抜けの明るさが鳴りを潜め、代わりにそこにあったのは——深い、深い信頼の色だった。


「エルヴィンさん……?」


「ヴァルゼン」


 名前を呼ばれた。


 いつもと同じ呼び方。だが、声の重みが違った。一つ一つの音に、これまで共に過ごした日々の全てが込められているかのようだった。


「一つだけ言わせてくれ」


 エルヴィンが一歩、前に出た。


 二人の距離が縮まる。勇者と魔王が、台地の頂で向かい合っていた。世界の終わりを背景に、二人だけの空間が生まれた。


「俺はさ」


 エルヴィンが——珍しく、言葉を選んでいた。いつもは考えるより先に口が動く男が、一語一語を確かめるように話している。


「お前と初めて会った時から、ずっと信じてた。お前は最凶の魔王だって。俺が今まで会った誰よりも恐ろしくて、誰よりも強い存在だって」


 ヴァルゼンは何も言えなかった。


 それは誤解だ。最初から最後まで、壮大な誤解だ。自分は最弱の魔王で、ゴブリンより弱くて、逃げ回っているだけの臆病者で——


「でもな」


 エルヴィンが続けた。


「途中から気づいたんだ。お前が最凶かどうかなんて——どうでもよかったんだって」


 ヴァルゼンの思考が止まった。


(どうでもいい……?)


「お前は弱いかもしれない。いや、たぶん——俺が思ってるよりずっと弱いんだろう」


 心臓が跳ねた。


(バレてる——? いや、まさか——いや、でも、今の言い方は——)


「でもな、ヴァルゼン。弱くたって関係ねえんだ。お前は俺の隣にいてくれた。ずっと。怖がりながら、震えながら、それでも——一度も逃げなかった」


 エルヴィンの碧い瞳が、真っ直ぐにヴァルゼンを見ていた。嘘のない、曇りのない瞳だった。


「強いから信じたんじゃない。お前だから信じたんだ」


 その言葉が、胸の奥深くに沈んでいった。重くて、温かくて、二度と浮かび上がらないほど深い場所に。


 長い旅だった。その全ての日々が、この一言に集約されていた。エルヴィンが最初にヴァルゼンに声をかけた日。一緒に旅をした日々。ヴァルゼンが怯えるたびにエルヴィンが「さすがだ」と笑った日。誤解の上に誤解が積み重なり、しかしその下に本物の絆が育っていった日々。


「お前が最凶かどうかなんて、もうどうでもいい。お前は——俺が信じた男だ。それだけで十分だ」


 ヴァルゼンの目が熱くなった。視界が滲んだ。


(エルヴィンさん。あなたは——ずっと、そう思ってくれてたんですか。最凶の魔王だからじゃなくて。僕だから——信じてくれてたんですか)


 エルヴィンが右手を差し出した。


「ヴァルゼン。お前に任せる」


 勇者が、魔王に世界を委ねた。


 物語の構造が——反転していた。


 本来なら、勇者が魔王を倒して世界を救う。それがこの世界の「物語」のはずだった。


 だが今、勇者は剣を振るうことで世界を救おうとはしていなかった。


 魔王を——信じていた。


 最弱の魔王を。戦えない魔王を。震えて、怯えて、それでも立ち上がり続ける、小さな魔王を。


「お前の後ろは俺が守る。だから——お前は前だけを見ろ。世界を繋げ」


 エルヴィンの声は、穏やかで、力強くて、揺るぎなかった。


 三百四十話。


 その全てが、この瞬間に集約されていた。


 勇者の「信じる力」。最初はギャグだったそれが——今、世界の命運を託す言葉になっていた。同じ言葉が、同じ男が、まったく違う重みを持っている。


 ヴァルゼンは差し出された手を見つめた。


 大きな手だった。剣だこがあり、古い傷跡がある。何百もの敵を倒してきた手。何千もの命を救ってきた手。


 震える手で——握り返した。


「……うん」


 敬語を忘れていた。


「はい」でも「わかりました」でもなく。


 ただの——「うん」。


 それは、ヴァルゼンが初めてエルヴィンに見せた、飾りのない素の反応だった。敬語でも謙遜でもない。ただの「うん」。壁が一つ、崩れた音がした。三百四十話かけて積み上げてきた、「最弱であることを隠す」という壁が。


 エルヴィンが——笑った。


 いつもの、太陽のような笑顔。


「よし。行こう」


 勇者が背を向け、前線に向かって歩き出した。


 聖剣が曇り空の光を反射して煌めく。その背中は——大きくて、頼もしくて、眩しかった。


 ヴァルゼンは一人、台地の頂に残った。


 握った手のひらに、エルヴィンの体温がまだ残っていた。


 怖かった。


 でも——もう、大丈夫だった。


 勇者が信じてくれている。仲間が待っていてくれている。世界中の人々が、自分に力を託してくれている。


 その全てを背負うには、ヴァルゼンの身体は小さすぎるかもしれない。でも——背負えないなら、繋げばいい。全ての想いを、全ての力を、一つに繋ぐ。


 それが、自分にできる唯一のこと。


 ヴァルゼンは目を閉じ、深く息を吸った。台地の頂で、たった一人で。しかし——決して一人ではなく。


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