全軍が配置に就くまでに、半日かかった。
全軍が配置に就くまでに、半日かかった。
各勢力の部隊が世界中に散っていく。人間の正規軍は西方の三要所を担い、魔族の部隊は北方と東方を押さえ、精霊たちは南方の森林地帯に展開した。神殿の治癒師団は各要所の後方に配置され、冒険者ギルドの精鋭が各地の中継点を守った。辺境から駆けつけた民兵たちは補給線の維持を担当した。戦えなくとも、できることがある——彼らはそう言って自ら志願した。
ベリオスの軍団は、最も虚淵に近い北東の要所に陣取った。最も危険な場所を自ら選んだのだ。「一番厄介な場所は俺がやる。文句あるか」と啖呵を切ったらしい。エルヴィンが「やっぱりいい奴じゃないか」と言い、ベリオスが通信越しに「殺すぞ」と怒鳴り返す一幕もあったが、それはもういつものことだった。誰も止めないし、誰も驚かない。
ヴァルゼンは核心——八つの要所の中心に位置する台地の頂に立っていた。
荒涼とした台地だった。草木は少なく、風が吹き抜ける。だが足元の大地は古い魔力を宿しており、世界の魔力が自然と収束する地点だった。ここが、世界の結節点になる場所だった。
風が強い。髪が乱れるが、気にしている余裕はなかった。空の亀裂から吹き込む風は、普通の風とは違っていた。温度がない。匂いがない。ただ空虚な風。
目を閉じた。
魔力感知を広げる。昨日の訓練と同じように——だが、今度は模擬ではない。本物の世界を、本物の魔力を感じ取る。虚淵の侵食が魔力を掻き乱す中で、八つの要所を見つけなければならない。
東の要所。温かい魔力が脈打っている。人間の兵士たちの気配と重なっている。緊張と決意と、少しの恐怖。
西の要所。冷たく澄んだ魔力。魔族の部隊が配置に就いた気配。規律正しく、整然としている。
南の要所。緑に輝く魔力。精霊たちの息吹が感じられる。森そのものが呼吸しているような脈動。
北東の要所。激しく渦巻く魔力。ベリオスの軍団が放つ、力強い魔力の波動。荒々しいが——迷いがない。
一つ、二つ、三つ——十二。
全要所との「接続」が確認できた。訓練とは段違いの情報量が流れ込んでくる。頭が重い。意識が散逸しそうになる。だが——繋がっている。十二の光が、確かに感じ取れる。
そして——その接続を俯瞰した瞬間、ヴァルゼンは息を呑んだ。
世界地図の上に、光の線が浮かび上がっていた。
八つの要所を結ぶ光の線。それぞれの要所を繋ぐ魔力の流れが、一つの巨大な模様を描いている。
その模様は——ヴァルゼンの旅の軌跡そのものだった。偶然ではない。ヴァルゼンが歩いた道のりが、世界の魔力の流れに沿っていたのだ。あるいは——魔力の流れが、ヴァルゼンの足を導いていたのかもしれない。
初めてエルヴィンと出会った場所。グリゼルダと剣を交えた峠。フェリクスが合流した学院の町。ミラベルを助けた聖都。ザガンと再会した魔族領の荒野。セラフィオンが現れた神殿。ベリオスと対峙した火山地帯。
全ての場所が、光の線で繋がっていた。
三百四十話の旅が、一つの回路図を描いていた。逃げ回って、怯えて、誤解されて、振り回されて——それでも歩き続けた道のりが、世界を救う設計図になっていた。
「……きれいだ」
思わず呟いた。
恐怖を忘れていた。虚淵のことも、世界の崩壊のことも、一瞬だけ頭から消えていた。
ただ——自分が歩いてきた道が、こんなにも美しい形をしていたことに、心を奪われていた。
エルヴィンが隣で声を上げた。前線に向かう直前の、最後の見送りだった。
「おい——ヴァルゼンの周りに、光が……!」
ヴァルゼンを中心に、淡い光が放射状に広がっていた。八つの要所と繋がる光の線が、台地の頂から世界の果てへと伸びている。まるで夜空に描かれた星座のようだった。
「世界の全てを見通す魔眼……!」エルヴィンが畏敬の声を漏らした。
(魔眼じゃないです。ただ感じてるだけです。見通してもいない。きれいだなと思っただけです)
フェリクスが震える手で手帳に書き込んでいた。
「信じられない。全要所の魔力が——ヴァルゼン殿を通じて、一つの回路を形成している。理論上は可能だが、実行できる者がいるなど、どの文献にも記録がない……」
ザガンが静かに言った。琥珀の瞳が、誇らしげに光っていた。尾の先が揺れているのを隠そうともしなかった。
「この世界に一人しかいないのです。我が王だけです」
エルヴィンが聖剣の柄を叩いた。
「よし。俺は前線に出る。ヴァルゼン、お前は——」
「ここにいます。ここで、繋ぎます」
「……ああ。頼んだぞ」
エルヴィンの碧い瞳に、いつもとは違う光が宿っていた。快活な笑顔の奥に、決意と——少しの寂しさが混じっている。ここからは別々の持ち場だ。隣にいてやれない。それがエルヴィンには歯がゆいのだろう。
回路図が完成していた。
八つの要所が光の線で結ばれ、その全てがヴァルゼンの立つ台地に収束している。世界の魔力循環を復活させるための設計図が、ヴァルゼンの旅の軌跡によって自然と描かれていた。
あとは——繋ぐだけだった。
ヴァルゼンは目を開けた。
空の亀裂は広がり続けている。時間はない。
だが——道筋は見えた。
「フェリクスさん」
「はい」
「回路図は、できました」
フェリクスが頷いた。
「ええ。あとは——始めるだけです」
フェリクスの声は冷静だったが、手帳を持つ手がわずかに震えていた。それは恐怖ではなく——興奮だった。人類史上初の試みが、今まさに始まろうとしている。分析者の魂が、震えずにはいられなかった。




