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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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膠着状態は、すでに二時間を超えていた。

 膠着状態は、すでに二時間を超えていた。


 各勢力の代表は疲弊し始めていた。議論は同じ場所を何度も旋回し、新しい言葉はもう出尽くしていた。水差しの水が何度も注ぎ足され、空になった杯が円卓の上に並んでいる。


 人間の王レグルスが椅子の肘掛けを指で叩いている。規則正しいリズム。苛立ちではなく、思案の仕草だった。何かを待っているようにも見えた。魔族の長老たちは腕を組んだまま瞑目し、精霊の代弁者は最初から変わらぬ無表情で壁際に立ち、神殿の神官たちは互いに目配せを繰り返していた。


 ヴァルゼンのメモ帳は、もう余白がなかった。


 全員の言葉を書き留めた。全員の主張を理解した。そして——全員が正しいということも、わかった。


 だからこそ、行き詰まっていた。


 正しさと正しさがぶつかるとき、何が正解になるのか。ヴァルゼンにはわからなかった。交渉術なんて学んだことがない。外交の経験もない。あるのはただ、ゴブリンより弱い戦闘力と、怯える日々で培った——人の話を聞く習慣だけだ。


 フェリクスの資料には、想定されるいくつかの交渉シナリオが書かれていた。妥協点の提示。利害の調整。条件付き合意への誘導。巧みな言い回しで各勢力のプライドを傷つけずに落としどころを見つける方法。


 どれも正しい。でも、どれも——違う気がした。


 策を弄するのは、自分の役目じゃない。そもそも策を弄する能力がない。


 ならば——何ができるのか。


 ヴァルゼンは手帳を閉じた。


 そして、静かに口を開いた。


「正直に言います」


 その一言で、会場の空気が変わった。


 沈んでいた各代表の視線が一斉に壇上に集まる。何か策を打ち出すのか。交渉の転換点を作る一手が来るのか。期待と警戒が入り混じった眼差しがヴァルゼンに突き刺さった。


 ヴァルゼンは深く息を吸った。そして——


「僕は弱いです」


 沈黙が落ちた。


 会場を満たしていた空気が、一瞬で凍りついた。


 誰も、その言葉を予想していなかった。


「虚淵と戦う力は、僕にはありません。剣も振れない。魔法も使えない。一人では何もできません」


 レグルスの指が止まった。肘掛けを叩くリズムが途切れた。長老たちが瞑目を解き、皺だらけの顔にかすかな驚きが浮かんだ。精霊の代弁者が、わずかにフードを上げた。翡翠の瞳が、初めてはっきりとヴァルゼンを捉えていた。


「皆さんの言うことは全部正しいと思います。人間の立場も、魔族の立場も、精霊の立場も、神殿の立場も。誰が悪いわけでもない。皆さんがそれぞれの民を守りたいと思うのは、当然のことです」


 声は震えていた。用意された台詞ではない。心の底から湧き上がってくる、飾りのない言葉だった。


「僕には、誰の意見も否定できません。否定する力もない。否定する権利もない」


 エルヴィンが目を見開いた。隣に立つグリゼルダの蒼灰色の瞳も、大きく見開かれていた。フェリクスのモノクルの奥で、分析者の目が揺れている。


「だから——お願いするしかないんです。力を、貸してください」


 ヴァルゼンの声が、広間に響いた。震えてはいたが、途切れなかった。


「僕一人では何もできないから。皆さんの力がなければ、この世界は救えないから。どうか——」


 ヴァルゼンは、壇上で頭を下げた。


 深く。


 魔王が、頭を下げていた。


 人間の王に。魔族の長老に。精霊に。神殿に。


 世界で最も恐れられているはずの存在が、世界のすべてに頭を垂れていた。灰銀の髪が額にかかり、小さな角が震える光を受けてかすかに輝いた。


 会場に、完全な静寂が訪れた。


 水が滴る音すら聞こえそうなほどの、圧倒的な沈黙。


 その沈黙の中で、各代表の心に異なる衝撃が走っていた。


 レグルスは思った。——最凶と呼ばれる魔王が、頭を下げている。プライドをかなぐり捨てて。力で従わせることもできるだろうに、あえて頭を下げることを選んだ。これは——王としての最も難しい判断だ。頭を下げられる王こそが、本物の王だと私は知っている。


 魔族の最古参の長老は思った。——魔王が頭を下げるなど前代未聞。先代も先々代も、決して膝を折らぬことを矜持とした。それが魔王の誇りだった。この若い魔王は、それを捨てた。いや——捨てたのではない。最初から、持っていないのだ。虚栄を。虚飾を。


 精霊の代弁者は思った。——この者の声に、嘘がない。風に混じる嘘の匂いがしない。自然の中で嘘をつく生き物は存在しない。嵐は嘘をつかない。川は虚勢を張らない。この者は——自然と同じだ。


 神殿の神官たちは、三人が三人とも同じことを思った。——誠意だ。策略でも外交術でもない。これは、純粋な誠意だ。神の前でもこうはできまい。


 ヴァルゼンは頭を下げたまま、自分の心臓の音を聞いていた。


(正直に言った。正直に言うしかなかった。だって本当のことだから。僕は弱い。僕には何もない。お願いするしかないんだ。格好悪くても、情けなくても、それしかできないんだ)


 それが交渉術だとは、本人には微塵も思っていない。


 だが、力関係で押し合う交渉は、ここで終わった。


 代わりに始まったのは——信頼を賭けた交渉だった。


「……続けろ、魔王」


 レグルスの声が響いた。


 その声のトーンは、会議の冒頭とは明らかに違っていた。


 冷徹な王の目に、かすかな——しかし確かな敬意の光が宿っていた。


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