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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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弱さゆえの精度

 弱さゆえの精度


 侵食域の内部は、地獄だった。


 黒い靄が視界を遮り、十メートル先が霞んで見えない。地面は腐食して黒く変色し、踏み出すたびにべちゃりと嫌な音がした。空気は冷たく、骨の芯まで染み込むような悪寒が全身を這い回る。呼吸するたびに喉が焼けるように痛い。


 先遣隊が切り開いた通路は確かに安全だったが、両側の黒い壁が迫ってくるようで、ヴァルゼンの心臓は破裂寸前だった。


(怖い怖い怖い怖い怖い)


 足が震えている。手も震えている。全身が「逃げろ」と叫んでいる。


 だが——その恐怖が、魔力感知を極限まで研ぎ澄ませていた。


 怖いから、全神経を集中する。危険を察知しなければ死ぬ。戦えないから、感じることに全てを注ぐ。一瞬でも油断すれば、黒い靄の中から何かが飛び出してくるかもしれない。だから——感知を止められない。止めたら怖い。止めなくても怖い。だが感知していれば、少なくとも何が来るかはわかる。


 侵食域の中を歩きながら、ヴァルゼンの感知は周囲のあらゆる魔力の変動を拾い上げていた。


「左に十五メートル。小さい侵食痕。動いてない。ただし六時間以内に活性化する可能性があります」


「了解」


 フェリクスが記録する。モノクルでは捉えきれない情報を、ヴァルゼンの魔力感知が補完していた。


「前方六十メートル。魔物の気配。一体。下級。右に迂回すれば避けられます。迂回路は安全です」


「よし、右だ」


 エルヴィンが先導する。ヴァルゼンの指示を一切疑わない。信頼。それは誤解に基づいているが、今この瞬間においては——正しい判断だった。


「地面が脆い場所が三メートル先。左寄りに踏み込んでください。右側は地中に空洞があって、体重をかけると崩れます」


「ヴァルゼン様、目を閉じたままですが足元は——」


「ミラベル、大丈夫。足元は、感じるので」


 ヴァルゼンは目を閉じたまま歩いていた。


 侵食域の中では、目を開けると黒い靄のせいでほとんど何も見えない。だが目を閉じて魔力感知だけに頼れば、周囲の状況が手に取るようにわかった。視界よりも遥かに広い範囲を、魔力感知がカバーしている。


 侵食のパターンが読める。どこが安全で、どこが危険か。魔物がどの方向に動いているか。地面のどこに罠のような魔力の溜まりがあるか。侵食がどの方向に拡大しようとしているか。


 全部、わかる。


 戦えないから。


 戦う力がないから、感じる力だけを磨いてきた。逃げ足と魔力感知だけが、自分の生存手段だった。その二つを、何百日もの旅で無意識に鍛え続けてきた。逃げるたびに、怯えるたびに、感知は精度を増していった。


 弱さゆえの能力。


 強ければ必要なかった力。剣で敵を倒せるなら、こんな繊細な感知は不要だ。魔法で道を切り開けるなら、足元の魔力の微妙な変動など気にする必要はない。だが弱いからこそ、全てを感じ取らなければ生き残れなかった。


 弱さが、ここまで研ぎ澄ませた。


 グリゼルダが足を止めた。


 ヴァルゼンが目を閉じたまま歩き、声だけで一行を導いている。その背中は頼りなく見える。小柄で、ローブはくたびれていて、角は見えないほど小さい。しかしその背中が、今、この侵食域で最も頼れる道標になっていた。


「この方の本当の戦場は、ここだ」


 小声で呟いた。蒼灰色の瞳に、新たな理解の光が宿っていた。隣のエルヴィンが聞き取り、深く頷いた。


「ああ。剣で戦う戦場じゃない。世界そのものと向き合う戦場だ。俺たちには見えない世界で、ヴァルゼンは戦っている」


(向き合いたくて向き合ってるわけじゃないんだが……。怖いから必死なだけなんだが……)


 ヴァルゼンの内心のツッコミは、声にはならなかった。今は集中が途切れると危険だ。


 三十分の行軍。ヴァルゼンの感知だけを頼りに、一行は侵食域を突破した。全員が無傷だった。


 第七の要所に到着した。


 峡谷の奥、岩壁に囲まれた小さな空間。かつての採掘場の名残か、壁面に鉱石の結晶が散らばっている。地面に刻まれた古い紋様が、微かに脈動している。ここが結節点だ。


 活性化作業に入る。


 目を閉じる。もう慣れた——いや、慣れたのではない。怖いのは相変わらずだ。だが怖さの先にあるものを知っている。だから閉じられる。怖さを超えた先に、世界の美しい流れがある。それを知っている。


 三分四十秒。


 最速記録を更新した。


 第七の要所が光を宿した。


 侵食域の黒い靄が——要所を中心に、じわりと退いた。光が闇を押し返すように、浄化が始まっている。枯れた岩壁に、鉱石の結晶が輝きを取り戻していく。


「すごい……」


 ミラベルが息を呑んだ。


「残りはあと一つ」


 グリゼルダが告げた。


 あと一つ。第八の要所を活性化すれば、全ての要所が光を宿す。


 ヴァルゼンは膝に手をついて呼吸を整えた。


 弱い。自分は弱い。


 だがこの弱さが——この怖がりが——今日、仲間を安全に導いた。


 それは——少しだけ、誇ってもいいことなのかもしれなかった。


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