自発的な守り手
自発的な守り手
第五の要所は、大陸南部の交易都市ラドミアの近郊にあった。
ラドミアは港に面した大きな都市で、大陸各地から商人が集まる交易の要衝だ。石畳の大通りに色とりどりの市場が並び、港には帆船がずらりと停泊している。試練の時で虚淵の大規模拡大が起きた時、ヴァルゼンたちが駆けつけて——正確にはヴァルゼンの魔力感知が侵食の弱点を見抜いて——住民の避難と反撃の糸口を作った都市だ。
あの日、侵食は市街地の東半分まで迫っていた。何千人もの住民が西へ逃げ、港は避難民で溢れかえった。ヴァルゼンの感知がなければ、侵食の弱点を突くことはできず、都市全体が飲み込まれていたかもしれない。
到着して、ヴァルゼンは目を疑った。
要所の周囲に、人がいた。
百人、二百人——いや、もっと。都市の住民たちが、要所を取り囲むように立っていた。武装した者もいれば、普段着のままの者もいる。子供を背負った母親、杖をついた老人、商人風の男たち、港の漁師、市場の露天商。年齢も職業もばらばらの人々が、要所の周りに自然と集まっている。
組織されたものではなかった。制服もなければ、指揮系統もない。ただ人々が、自分の意志で、ここに来ていた。
「な、何ですかこれは……」
「魔王様が来ると聞いて」
群衆の中から、恰幅のいい中年の女性が歩み出てきた。ラドミアの市長、マリエンだ。試練の時の危機の時に一緒に避難計画を立てた人だった。あの時は鬼気迫る表情だったが、今日は穏やかに微笑んでいる。
「住民たちが自発的に集まったのです。要所の周辺に怪しい者が近づかないよう、見張りをしたいと。三日前から交代で見張りを続けています」
「自発的に? 僕は何も頼んでないですよ」
「ええ。だからこそ」
マリエンが微笑んだ。
「あの時救ってもらった恩を返したい——皆、そう言っているのです。魔王様が来る前に、要所を安全にしておきたいと。誰が言い出したわけでもなく、自然と人が集まりました」
ヴァルゼンは振り返った。群衆の一人一人が、ヴァルゼンを見ていた。
敵意はない。恐怖もない。そこにあるのは——感謝と、信頼と、ほんの少しの誇らしさだった。「自分たちの魔王」を迎える誇り。命令されたからではなく、自分の意志でここに立っている誇り。
「魔王様のおかげで、私の子供は生きています」
「あの日、避難誘導してもらえなかったら、この市場は消えていた」
「だから今度は、私たちが魔王様のために動きたい」
一人、また一人と声が上がった。
ヴァルゼンは命令していない。指示もしていない。報酬を約束したわけでもない。
それなのに、人が集まった。
グリゼルダが静かに呟いた。
「魔王の威光に自然と人が集まる。これがカリスマか」
(カリスマじゃないです。この人たちが優しいだけです)
だがそのツッコミは、胸の奥に留めた。今はそれを言うべき時ではない気がした。
活性化作業が始まった。
ヴァルゼンは目を閉じた。
結節点の構造が浮かび上がる。今回は五分で全容を把握できた。もう迷いはない。魔力の流れに触れ、詰まりを解し、道を通す。
作業中、不思議な感覚があった。
周囲の人々の——気配。魔力ではない。もっと漠然とした、温かいもの。何百人もの人が自分を見守っている気配が、魔力感知の端に触れていた。祈りに似たもの。期待に似たもの。信頼に似たもの。
怖くなかった。
いつもは目を閉じると怖い。世界がぐにゃりと歪んで見えるから。だが今回は、周囲の温かい気配に包まれて、怖さが薄れていた。守られている。この人たちに、守られている。
四分三十秒。
最速記録だった。
目を開けた。
要所が光を宿している。淡い光が地面から立ち上り、周囲の空気を浄化するように広がっていく。光が広がった場所では、侵食で枯れていた草が芽を吹き返し、黒ずんでいた土が本来の色を取り戻していた。
拍手は——なかった。
代わりにあったのは、涙だった。
目の前の住民たちが、泣いていた。老人が。母親が。子供が。商人が。静かに、声を殺して、涙を流していた。
「……え」
ヴァルゼンは戸惑った。なぜ泣いているのかわからなかった。
マリエンが涙を拭きながら言った。
「光が——あの日失われた光が、戻ってきた。魔王様、あなたが戻してくれた」
あの日。虚淵の侵食でラドミアの周辺が枯れた日。草が枯れ、花が散り、空が曇った日。子供たちが怯え、老人たちが嘆いた日。
今、要所から溢れた光が、枯れた大地に色を取り戻していた。
草が——芽吹いていた。
「……あ」
ヴァルゼンの目にも、涙が滲んだ。
ミラベルはとうに号泣していた。グリゼルダは拳を握りしめ、目を伏せている。エルヴィンは唇を噛み、空を仰いでいた。フェリクスはモノクルを外し、手の甲で目を拭っていた。
ザガンだけが、静かに微笑んでいた。
「陛下。これが、あなたの力です」
その言葉が——今は、少しだけ信じられた。
第五の要所、活性化完了。
残り三つ。




