偽魔王への伝令
偽魔王への伝令
翌朝、野営地に予期せぬ客が現れた。
魔族の伝令兵だった。黒い甲冑に身を包み、背中に大きな翼を畳んだ若い魔族が、空から急降下して一行の前に着地した。着地の衝撃で地面に罅が入る。魔族の身体能力の凄まじさを改めて思い知らされる瞬間だった。
伝令兵が片膝をつき、胸の紋章を示した。紋章は旧魔王軍の強硬派を示す赤い牙のデザインだ。
「ベリオス総大将より、魔王陛下への伝令です」
ベリオス。
その名前を聞いた瞬間、一行の空気が変わった。エルヴィンが剣の柄に手をかけ、グリゼルダが目を細める。フェリクスだけが冷静に「ほう」と呟いた。ガロンたちの間にも緊張が走る。
ベリオス。元魔王軍の強硬派総大将。三メートルに迫る巨体と真紅の角を持つ豪傑。王都での日々でヴァルゼンと真っ向から対立し、「偽魔王」と呼んで敵視していた男だ。「力なき者に魔王を名乗る資格はない」と公言し、一時は武力による王位奪還すら画策していた。
最終的には試練の時の危機を経て——完全に和解したとは言い難いが——少なくとも明確な敵対関係は解消されていた。だが今でも「偽魔王」呼ばわりは撤回していない。
「伝令の内容をお伝えします」
伝令兵が巻き物を広げた。黒い羊皮紙に赤い墨で書かれた、いかにも強硬派らしい物騒な見た目だ。
「『魔族領内の要所は我々が確保した。早く来い、偽魔王』」
沈黙が落ちた。
「……偽魔王って言ってるのに、協力してくれるんですね」
ヴァルゼンが呆然と呟いた。
エルヴィンが大きく頷いた。
「ツンデレだな!」
「ツンデレ?」
「口では偽魔王と言いつつ、行動では魔王を認めている。これをツンデレと言わずして何と言う!」
(いや、本気で偽物だと思ってるんじゃないかな……。協力してるのは虚淵の侵食が魔族領にも及んでいるからで、別に僕を認めたわけでは……)
フェリクスが伝令兵に質問した。
「ベリオス総大将は、具体的にどのような確保をされたのですか?」
「はい。魔族領内にある要所二箇所の周辺を、強硬派の精鋭部隊千名が三交代制で警備しております。虚淵の侵食から要所を守り、魔王陛下の到着まで安全を確保する——とのことです」
千名。三交代制。
ベリオスは本気だった。魔族の精鋭千名を動員するのは容易ではない。兵站の確保だけでも莫大な労力がかかる。それだけの規模を、自発的に動かしている。
「二箇所。第七と第八の要所は魔族領の奥深くにあります。そこへの道を確保してくれたのは、実務的に極めて大きい」
フェリクスが地図に書き込みを加えた。
「なるほど。ベリオスの軍事力が味方についたなら、魔族領での行動が格段に楽になる。侵食域の突破にも、彼の部隊の支援が期待できます」
グリゼルダが腕を組んだ。銀髪が風に揺れている。
「あの男が自発的に動くとはな。王都での日々の時は、ヴァルゼン様を殺すとまで言っていたのに」
「人は変わるものだ」
エルヴィンが力強く言った。
「ヴァルゼンの器がベリオスを変えたんだ。これぞ真の魔王の力——」
「変えてないです。たぶん今でも嫌われてます」
「嫌いながらも従う。それがツンデレの美学だ!」
ツンデレの美学とは何なのか。エルヴィンの口からこの言葉が出ると、壮大な英雄譚と日常コメディの境界線が完全に消失する。
伝令兵が最後に付け加えた。若い魔族の顔に、微かな戸惑いの色が浮かんでいた。
「それと、もう一つお伝えすることがございます」
「何でしょう」
「ベリオス総大将は——笑っておられました」
全員が固まった。
「……笑う? あのベリオスが?」
グリゼルダが信じられないという顔をした。王都での日々のベリオスは常に険しい顔をしており、笑顔を見た者はいないと言われていた。怒りと矜持だけで出来ているような男だ。
「はい。伝令を出す時、『偽魔王でも使い道はある。せいぜい死なずに来い』と仰って——そして笑っておられました。長くお仕えしておりますが、あのような表情は初めて拝見しました」
ヴァルゼンは何とも言えない気持ちになった。
偽魔王。使い道がある。死なずに来い。
褒められてはいない。まったく褒められてはいない。だが——ベリオスが笑った。あの頑固で、誇り高くて、力こそ全てと信じていた男が。
「ベリオス殿に伝えてください。『ありがとうございます。必ず行きます』と」
伝令兵が頭を下げて飛び立った。黒い翼が朝の空に消えていく。
エルヴィンが満足そうに頷いた。
「ツンデレの壁を超えた。これでまた一歩、世界が——」
「ツンデレの話はもういいです」
ザガンが穏やかに微笑んでいた。
「ベリオス殿がお動きになりましたか。あの男は不器用ですが、一度決めたことは覆しません。心強い味方です」
「ザガンはベリオスのこと、よく知ってるんだね」
「ええ。先代の時代には何度も剣を交えた仲ですから。意見が合わず殴り合いになったことも一度や二度ではありません。——あの男が笑ったということは、本気です。覚悟を決めたのでしょう」
本気。
偽魔王と呼びながら、本気で協力してくれている。
その矛盾が——少しだけ、嬉しかった。




