ザガンの確信
ザガンの確信
その夜の野営地で、事件が起きた。
事件といっても、敵襲ではない。ザガンが、珍しく自分からヴァルゼンに話しかけてきたのだ。
ザガンは忠義の人だが、自分から主君に語りかけることは少ない。いつも一歩引いた場所で控え、求められた時に助言を述べ、必要な時に動く。四百年の参謀人生で培われた距離感だ。
だがこの夜、ザガンは違った。
焚き火の番をしていたヴァルゼンの隣に、老臣が腰を下ろした。いつもは少し距離を置いて控えているザガンが、肩が触れそうな近さにいる。暗灰色の角が焚き火の光に照らされ、琥珀色の瞳が真剣な光を宿していた。
「陛下。少しよろしいですか」
「あ、うん。どうしたの、ザガン」
「旅路のことで、お話ししたいことがございます」
ザガンの声には、いつもの余裕のある響きがなかった。静かだが、真剣だった。尾が微かに揺れている。緊張しているのだ。四百年の老臣が緊張している。
「私はこの旅の間、陛下の行動を——いえ、陛下が歩んでこられた全ての道を、ずっと観察しておりました」
「観察……?」
「はい。旅の序盤の頃から。いえ、もっと前——陛下が魔王軍にいらした頃から」
ヴァルゼンは少し身構えた。ザガンは自分の本当の実力を——最弱であることを——薄々察している、唯一の人物だ。その人が改まって何かを言おうとしている。
(ついにバラされるのか。『陛下、あなたは実は弱いですよね?』と言われるのか。終わった。完全に終わった。ここで真実が露見して、全員に失望されて、パーティから追い出されて——)
内心で七転八倒していたが、ザガンの口から出た言葉は予想と違った。
「陛下。我が王の旅路を見ていて、ようやく確信しました」
「確信……?」
「あなたは意図せずして、世界に魔力の道を敷いていた」
焚き火がぱちりと爆ぜた。火の粉が夜空に舞い上がり、ザガンの角を照らした。
「え? 道? 僕、ただ歩いてただけですよ?」
「はい。それが凄まじいのです」
ザガンの声が、微かに震えていた。
この老臣が声を震わせるのを、ヴァルゼンは初めて見た。四百年を生きた元参謀が、三代の魔王に仕えた歴戦の軍師が、声を震わせている。尾の揺れが大きくなっていた。
「旅の序盤。陛下が逃走しておられた時の経路を覚えておいでですか」
「……いえ、必死で走ってたので。前しか見てなかったです」
「でしょうな。しかし私は覚えております。参謀として、陛下の全行程を記録しておりましたから。陛下の逃走経路は、大陸の魔力が最も穏やかな場所を繋いでおりました。戦闘力のない者が本能的に安全な道を選んだ——それだけのことです。だがその道は、結果として魔力循環の結節点を通過していた」
ヴァルゼンは息を呑んだ。
「王都での日々。陛下が各地を遊説された際の移動経路も同じです。人々の集まる場所、交易の中心地——それらは大抵、魔力の集中する場所でもある。水が集まる低地に人が住むように、魔力が集まる場所に人は集う。陛下が善意で人々と関わるたびに、魔力の道はさらに明確になっていった」
「偶然だよ。全部偶然だ」
「偶然です。私もそう思います」
ザガンが微笑んだ。四百年の皺が深くなる。
「偶然です。しかし——偶然にこれほどの道を敷ける者が、この世に他にいるでしょうか」
答えられなかった。
「私は最初から気づいておりました——いえ、正確には薄々感じておりました。陛下のお傍にいると、魔力の流れが穏やかになることを。先代も先々代も、圧倒的な魔力で世界を支配した。だが陛下の傍にいると、魔力は支配されるのではなく——穏やかに流れるのです。まるで川が自然な流路を見つけたかのように」
ザガンの尾が微かに揺れていた。感情が漏れている。四百年の制御が、今夜ばかりは効かないようだった。
「陛下。あなたは歩くだけで、世界の魔力を整える。戦わずして、世界を癒す。それは先代にも先々代にもできなかったことです」
「ザガン……」
「私が陛下にお仕えすると決めたのは、戦闘力のためではありません。あの日——即位直後に、ゴブリンたちの安全を真っ先に気にかけた陛下の姿を見た時からです。強さではなく、在り方に仕えると決めた」
老臣が静かに頭を垂れた。角が焚き火の光に照らされ、暗灰色に輝いている。
「我が選択は、間違っていなかった」
焚き火の炎が揺れた。
ヴァルゼンは何も言えなかった。胸がいっぱいで、言葉が出なかった。
「……ザガン」
「はい、陛下」
「ありがとう」
それだけしか言えなかった。
ザガンの尾が——今度ははっきりと——揺れた。




