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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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朝が来た。

 朝が来た。


 ヴァルゼンが最初に起きたのは、旅を始めて以来、初めてのことだった。


 普段は誰よりも遅く起きる。エルヴィンに叩き起こされるか、グリゼルダの「出発の時間です」という低い声で跳ね起きるかの二択だ。酷いときはフェリクスに「ヴァルゼン殿、太陽が中天に達しております」と冷静に報告される。

 だが今日は、夜明け前に目が覚めた。


 不思議と体は軽かった。

 昨夜ほとんど眠れなかったはずなのに。三日連続でまともに寝ていないはずなのに。


 テントを出ると、空が白み始めていた。東の地平線がうっすらと朱に染まっている。紫がかった空が、少しずつ明るくなっていく。南の空には虚淵の闇が広がっているが、東の空は──朝日に向かって、明るかった。


 ヴァルゼンは広間に向かった。

 遺跡の大広間。セラフィオンの鏡が現れたあの場所。全ての誤解が暴かれ、膝をつき、仲間に支えられて立ち上がった場所。


 広間は静かだった。光源石の青白い光が、変わらず空間を照らしている。

 壁面の紋様が、微かに脈動していた。魔力循環の名残だ。先代が止まっても、遺跡だけはまだ微かに生きている。最後の力で、次の魔王を待ちながら。


 ヴァルゼンは広間の中央に立った。


 ここで膝をついた。

 ここで「ごめんなさい」と言った。

 ここでエルヴィンに手を引かれて立ち上がった。

 ここでミラベルに「弱いあなただから」と言われた。

 ここでフェリクスに「遥かに恐ろしい」と言われた。

 ここでグリゼルダが剣を捧げ直した。


 全部、ここだ。


 足音が聞こえた。

 振り返ると、エルヴィンが立っていた。寝癖がついている。目をこすっている。だが碧い瞳は、もう覚めていた。


「お。珍しいな、お前が先に起きてるなんて。太陽が西から昇ったか」


「……うん。ちょっと、ね」


「なんだ、眠れなかったのか? 顔色が──いや、いつもと変わらないな。いつも顔色悪いもんな」


「余計なお世話だよ」


 続いてグリゼルダ。鎧の音。いつ寝ても起きても鎧を着ているのは、もはや七不思議の一つだ。

 フェリクス。モノクルを拭きながら。おそらく一睡もしていないが、顔色は平然としている。

 ミラベル。帽子を被り直しながら、まだ少し眠そうな目で。ヴァルゼンの姿を見つけると、ぱっと目が覚めたように瞳が輝いた。

 ザガン。影のように。いつの間にか壁際に立っていた。


 一人ずつ、広間に入ってきた。示し合わせたわけではないだろう。だが全員が、ここに集まった。いつもそうだ。このパーティはいつも、自然と同じ場所に集まる。


 セラフィオンは──最初からいた。広間の隅で、腕を組んで浮かんでいた。いつから。おそらくずっと。


 ヴァルゼンは全員を見渡した。


 六つの顔。六つの瞳。

 それぞれ違う色の目が、自分を見ている。

 金色、碧、鉄灰色、知性の灰、翡翠、漆黒。そして──金色の紋様。


 怖かった。正直に言えば、まだ怖かった。

 世界の命運を背負う覚悟なんて、できているとは言いがたい。胃はきりきり痛むし、膝は震えそうだし、今すぐ逃げ出したい気持ちは消えていない。

 消えていないけれど──それより強いものが、胸の中にあった。


 怖いまま、震えたまま。

 それが自分だ。

 それでいい。


「みんな」


 ヴァルゼンの声が、広間に響いた。


 いつもの小さな声ではなかった。震えてはいる。だが──通る声だった。広間の壁に反響して、全員に届く声だった。


「俺は弱い」


 まず、それを言った。もう隠さない。隠す意味がない。


「それは変わらない。戦えない。魔法も使えない。ゴブリンにすら──」


「そこはもういい」


 エルヴィンが言った。笑いながら。


「──ゴブリンにすら舐められる」


 言い切った。ここは言い切りたかった。自分の口で。自分の言葉で。


「一人じゃ何もできない。それも変わらない。一人で世界を支えることなんて、絶対にできない。先代のようにはなれない。どう足掻いても」


 視線が仲間たちを巡る。一人一人の顔を見た。目をそらさずに。


「昨日まで──ずっと怯えてた。弱いと知られたら終わりだと思ってた。全部偶然だと思ってた。俺に魔王なんて務まるわけないと思ってた」


 ヴァルゼンの手が、拳を握った。小さな手だ。力のない手だ。だが──握ることはできた。


「今でも──正直、自信はない。世界の魔力循環を再起動するなんて、考えただけで胃が痛い。失敗するかもしれない。いや、たぶん一人なら失敗する。確実に」


 間を置いた。


 エルヴィンが微かに笑った。何を言うか、わかっている顔だった。この男だけは──いつだって、ヴァルゼンの言葉の続きを信じて待っている。


「──でも、一人じゃないなら」


 ヴァルゼンの目が、仲間たちを見渡した。


「みんながいるなら」


 背筋を伸ばした。

 小さな体で、できる限り。百六十五センチの、決して大きくない体で。

 前髪の下の小さな角が、光源石の光を受けて微かに光った。魔王の証だ。小さくて、ほとんど見えなくて──だが確かに、ある。


「俺が──魔王をやる」


 声が、広間に響いた。

 震えていた。だが──届いた。壁に反響し、天井に届き、紋様を震わせた。

 壁面の紋様が──一斉に光った。微かに。だが確かに。遺跡全体が応えたように。


 一瞬の沈黙。


「よしっ! 決まりだ!」


 エルヴィンが拳を突き上げた。碧い瞳が太陽のように輝いていた。


「ついに覚醒したな、ヴァルゼン! これが真の魔王の姿だ! 俺は最初からわかっていたぞ!」


「覚醒してない! 何も変わってないから! まだ弱いから!」


「この謙虚さ……底知れぬ器よ……」


「聞いてる!? ていうか最初からわかってたのは全部間違いだったって昨日──」


「それはそれ! これはこれだ!」


 グリゼルダが剣の柄に手を当てた。口元に微かな笑みを浮かべて。


「承りました。最後まで、お供いたします」


 フェリクスがモノクルを押し上げた。目の下の隈が深いが、瞳は明るかった。


「再起動の術式設計、本日から着手します。データは──ヴァルゼン殿の行動を観測して収集するしかありませんが」


「観測って言い方やめて。セラフィオンみたいで怖いから」


「……我のことか」


 セラフィオンの声が聞こえた。翼が不規則に明滅している。


 ミラベルが──泣いていた。また泣いていた。帽子を押さえながら、涙を流しながら。


「ヴァルゼン様……!」


「泣かないで! 俺まで泣きそうになるから!」


「だって──嬉しくて──あなたが自分で──魔王をやるって──」


「うん。言った。言ったよ。だから泣かないで」


「無理です……!」


 ザガンが一歩前に出て、深く頭を下げた。


「魔王のお言葉、承りました」


 それだけだった。それで十分だった。だが──頭を上げたザガンの目が、ほんの一瞬だけ潤んでいた気がした。気のせいかもしれない。あのザガンが泣くはずがない。きっと光源石の光のせいだ。


 ヴァルゼンは全員の顔を見た。

 泣きそうだった。泣いていたかもしれない。いや、確実に泣いていた。鼻をすすっていた。目が赤かった。


 そして──ふと、気づいた。


 言ってしまった。


 言ってしまったのだ。「俺が魔王をやる」と。


 全員の前で。セラフィオンの前で。高らかに──いや、震える声でだけど──宣言してしまった。


 もう取り消せない。


 取り消せないじゃん。


 ヴァルゼンの内心で、今さらのように恐怖が押し寄せてきた。


 言っちゃった。言っちゃったよ俺。「魔王をやる」って。世界の魔力循環を再起動するって。何なら背筋まで伸ばした。角が光った。格好つけた。壁の紋様まで光った。


 もう後戻りできないじゃん。


「あの──今の、撤回とかは」


「できるわけないだろ!」


 エルヴィンが即答した。満面の笑みで。歯が光っていた。


「ですよね」


 ヴァルゼンは小さく笑った。


 怖い。死ぬほど怖い。世界の命運を背負うなんて、冗談じゃない。胃に穴が開く。いや、もう開いてるかもしれない。


 でも──不思議と、最悪の気分ではなかった。


 仲間がいる。

 一人じゃない。


 最弱の魔王が、自分の意志で──魔王を引き受けた。


 東の空から、朝日が差し込んできた。

 遺跡の大広間を、金色の光が満たしていく。壁面の紋様が光に反応して、淡く──脈動した。先代の遺跡が、新しい魔王を迎えるように。


 世界はまだ、死んでいない。


 南の空の闇に向かって、最弱の魔王が──仲間と共に、歩き出そうとしていた。


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