試練の翌日、フェリクスとザガンが広間に全員を集めた。
試練の翌日、フェリクスとザガンが広間に全員を集めた。
二人の顔に疲労の色が濃かった。一睡もしていないのだろう。フェリクスの目の下には隈があり、ザガンですら瞬きの回数が普段より多い。しかしその目には、疲労を凌駕する発見の光が宿っていた。
二人の前には、大量の羊皮紙と古文書が積み上げられていた。先代魔王の記録庫から持ち出した資料、道中で回収した虚淵の観測データ、そしてヴァルゼンの魔力感知記録。それらが整然と並べられ、赤い糸で相互に結ばれている。
フェリクスが徹夜で構築した相関図だった。壁一面に貼られた羊皮紙を赤い糸が蜘蛛の巣のように結んでおり、その中心に「虚淵」と大書された紙がある。
「全ての辻褄が、合いました」
フェリクスの声は疲労を帯びていたが、その目には発見の興奮が灯っていた。知的探究者の最も輝く瞬間だ。
「虚淵の根本原因に到達しました。ザガン殿の先代魔王に関する知識と、ヴァルゼン殿の魔力感知データがなければ、永遠に解けなかったでしょう」
エルヴィンが身を乗り出した。
「本当か! さすがはフェリクスとザガンだ!」
「いえ」
フェリクスが羊皮紙を一枚手に取った。ヴァルゼンの魔力感知記録だ。旅の途中で「嫌な感じがする」とヴァルゼンが報告するたびに、フェリクスが几帳面に記録していたものだった。日付、場所、方角、強度。全てが細かく書き込まれている。
「功績はヴァルゼン殿にあります。あの方の魔力感知データが全ての鍵でした。我々が気づかなかった虚淵間の相関──複数の虚淵が地下の魔力経路で繋がっているという事実を、ヴァルゼン殿は感知で捉えていた」
ヴァルゼンは首を横に振りたかった。「嫌な感じがする」と言っただけだ。相関も何も、ただ「あっちも嫌な感じ、こっちも嫌な感じ」と報告しただけだ。地下の魔力経路のことなど考えもしなかった。
だが昨日の今日で「違います」と言い出すのも気まずく、黙っていた。いや、昨日あれだけ真実が暴かれた後なのだから、ここで「実は何も考えてなかった」と言っても今さらだろう。もう恥ずかしさの閾値を超えている。
エルヴィンがうなずいた。深く、確信に満ちたうなずきだった。
「やはりな。全てはこの瞬間のために、ヴァルゼンが導いていたんだ」
導いていない。断じて導いていない。
「まず、世界の魔力減少について」
フェリクスが大きな地図を広げた。世界地図だ。各地に赤い点が打たれている。虚淵の発生地点だ。旅の中で確認したもの、文献に記載されていたもの、各地の冒険者ギルドから集めた情報。全てが一枚の地図に統合されていた。
「これまで我々は、虚淵を個別の現象として対処してきました。一つ一つ浄化し、封じ、対処療法で凌いできた。しかし全てのデータを統合すると──虚淵は個別に発生しているのではなく、一つの現象の表出だとわかりました」
赤い点を線で結んでいく。線の集中する場所がいくつかあった。フェリクスの指が地図の上を滑り、赤い糸で点と点を繋いでいく。
「虚淵の発生地点は、大戦の激戦地と完全に一致しています」
ザガンがうなずいた。普段の無表情にわずかな緊張が混じっていた。
「先代魔王ゼルヴァス陛下と人間連合軍が激突した地点です。大規模な魔力の衝突が起きた場所──五箇所の大決戦場の全てが、虚淵の中心地と重なる」
「そこが『裂けた』のです」
フェリクスの指が地図を辿った。
「大戦で大量の魔力が消費された。それだけなら回復する。世界には自己修復の力がある。しかし問題は、魔力を循環させるシステムそのものが破壊されたことです」
ヴァルゼンの耳が、自然と集中した。
魔力感知が微かに反応している。フェリクスの言葉が、自分の中の何かと共鳴するように。ずっと感じていた「嫌な感じ」の正体が──輪郭を持ち始めていた。
「世界の魔力は循環しています。大地から湧き、生物に吸収され、使われ、また大地に還る。その循環を管理していたのが──」
フェリクスがヴァルゼンを見た。ザガンもヴァルゼンを見た。
「魔王です」
大広間が静まった。
「先代魔王ゼルヴァスは、世界の魔力循環を管理する存在でした。魔王の力はそのために存在していた。戦闘能力は副次的なもの──本来の機能は、世界の魔力の流れを制御し、均衡を保つこと」
ザガンが補足した。
「先代は一人でそれを担っておられました。誰にも知らせず、誰にも頼らず。王としての責務の傍ら、世界の根幹を──一人で。その重荷が、陛下を蝕んでいた」
ヴァルゼンは記録庫で読んだ内容を思い出した。先代魔王が倒れた理由。魔力循環の維持に全ての力を費やし、やがて限界を迎えた。最強の魔王が、最も静かな形で倒れた。
「大戦でゼルヴァス陛下が倒れたとき」
フェリクスの声が、低くなった。
「魔力循環の管理機能が停止しました。心臓が止まったのです。世界の血液循環を司る心臓が」
「それが──虚淵」
ヴァルゼンの口から、言葉がこぼれた。自分でも意識しないうちに。
フェリクスがうなずいた。
「魔力循環が止まった場所から、世界が壊死していく。それが虚淵の正体です。病気ではない。外敵でもない。世界の自壊です」
大広間に沈黙が落ちた。
全員が、その意味を咀嚼していた。
虚淵は世界の傷ではなかった。
世界が、死に向かっているのだ。
心臓を失った体が、ゆっくりと壊死していくように。
「原因はわかった」
エルヴィンの声が、静かに響いた。いつもの勢いはなかった。事態の重さを、あの真っ直ぐな男でさえ感じ取っていた。
「では、どうすれば止められる」
フェリクスとザガンが顔を見合わせた。
その視線が、同時にヴァルゼンに向いた。
「心臓の再起動です」
フェリクスの言葉が、重く響いた。
「魔力循環を再起動する。それには──魔王の力が、必要です」
全員がヴァルゼンを見た。
ヴァルゼンの胃が、ぎゅっと締まった。




