エルヴィンに引き上げられた後も、ヴァルゼンの足は震えていた。
エルヴィンに引き上げられた後も、ヴァルゼンの足は震えていた。
立ってはいる。だが心はまだ膝をついたままだ。
エルヴィンの言葉は嬉しかった。嬉しかったが──救われたかと問われれば、まだ答えは出せなかった。
エルヴィンは「だから何だ」と言ってくれた。だがエルヴィンは、最初から最後まで「弱いわけがない」と信じている。つまり真実を受け入れた上での宣言ではなく、真実を拒否した上での宣言だ。
嬉しい。嬉しいが──真実を突きつけられた上での「信じる」とは、微妙に違う。
仲間を騙していた事実は変わらない。
弱い自分が「最凶の魔王」の仮面をかぶり続けた事実は変わらない。
そのとき、小さな足音が近づいてきた。
「ヴァルゼン様」
ミラベルの声だった。
振り向くと、ミラベルが目の前に立っていた。帽子の下の顔は涙に濡れている。翡翠色の瞳が赤く腫れていた。鼻の頭も赤い。泣き虫の僧侶は、今日も泣いていた。
だがその目は──真っ直ぐだった。涙の中に、揺るがないものがあった。
「ミラベル……」
「私には」
ミラベルの声は震えていた。だが言葉は、驚くほど明確だった。一語一語が、丁寧に選ばれていた。
「ずっとわかっていました」
ヴァルゼンの心臓が跳ねた。
「あなたが怖がっていたこと」
一歩、近づいた。小さな足が石畳を踏む、柔らかな音。
「弱いと感じていたこと」
もう一歩。
「バレたら追い出されると、怯えていたこと」
ミラベルの涙がまた一筋、頬を伝った。だが拭わなかった。
「夜、一人で泣いていたことも──知っていました」
ヴァルゼンの息が止まった。
知っていた? あの、キャンプの夜。声を殺して泣いていたのを。誰にも聞こえないように、テントから離れた場所で。
「……テントの外で、声が聞こえたんです。最初は聞き間違いかと思いました。風の音かと。でも違った。ヴァルゼン様が、声を殺して泣いていた」
ミラベルの唇が震えた。目の前の距離で、その震えがはっきり見えた。
「追いかけたかった。『大丈夫ですか』と声をかけたかった。お傍に行って、何も言わずに隣に座っていたかった。でも──あの方のプライドを傷つけたくなくて、できなかった。テントの中で聞こえないふりをして、自分も泣いていました。自分の臆病さが、今でも悔しいです」
それは臆病じゃない。ヴァルゼンは言いたかった。あのとき声をかけられていたら、全部崩壊していた。堪えていた何もかもが溢れ出して、朝まで泣き続けていただろう。ミラベルの判断は正しかった。だが言葉が出なかった。
「私はずっと──ヴァルゼン様の弱さを、感じていました。怖がっている心を。孤独を。夜の涙を。それでも朝になれば笑顔を作って、仲間の前に出てくる──その苦しさを」
ミラベルが涙を拭った。手の甲で、乱暴に。僧侶らしくない仕草だった。いつもは帽子の陰でそっと拭うのに。今日は構っていられないとでもいうように。
「だから今日の映像を見ても、私は──驚きませんでした」
ヴァルゼンは息を呑んだ。
「驚かなかったけれど──泣いてしまったのは」
ミラベルの声が、一瞬だけ途切れた。息を吸った。
「あなたが、どれほど一人で耐えてきたかが──改めてわかったからです。映像で、見えてしまったからです。あの暗い廊下を一人で歩く背中が──どれほど寂しかったか」
大広間が、水を打ったように静まった。
ミラベルが顔を上げた。涙で濡れた翡翠色の瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見つめている。至近距離で。逃げられない距離で。
「ヴァルゼン様。あなたは弱い」
はっきりと、言った。迷いなく。
「戦えない。魔法も使えない。ゴブリンにすら──」
「それは言わなくていい! それはもう十分わかった! 今日だけで三回は聞いた!」
「──でも」
ミラベルが微笑んだ。涙の中の、小さな笑み。翡翠の瞳に光が差した。
「弱いからこそ、人の痛みがわかる」
一歩。
「弱いからこそ、誰かを頼ることができる」
もう一歩。
「弱いからこそ、仲間を集められる」
ミラベルの手が、ヴァルゼンの手に触れた。小さくて、温かい手だった。回復魔法で何百もの傷を癒してきた手。しかし今は、魔法ではなく──ただの手として。
「あなたの弱さが──みんなを救ったんです」
ヴァルゼンの視界が完全に滲んだ。
泣きそうだった。泣きそうというか、泣いていた。目の端から涙が溢れて、止められなかった。鼻の奥がつんとして、呼吸が不規則になった。
「泣いてないです」
泣いていた。明らかに泣いていた。
「泣いてないですから」
声が裏返っていた。鼻も啜っていた。どこからどう見ても泣いていた。
「ヴァルゼン様……」
ミラベルも泣いていた。二人して泣いていた。大広間の真ん中で。互いの手を取ったまま。
エルヴィンが感極まった声で言った。
「やはり……魔王と僧侶の間には、俺たちには計り知れない絆があるのだな……! 孤独を分かち合う魂の繋がりか……!」
ない。そんなものはない。こっちはただ泣いているだけだ。魂の繋がりとか壮大な解釈をしないでほしい。
だが──ミラベルの言葉は、ヴァルゼンの胸の奥深くに届いていた。
弱いからこそ。
その言葉が、凍っていた何かを溶かしていくようだった。じわりと、ゆっくりと。氷が溶けて水になるように。
ミラベルの翡翠色の瞳が、近い距離でヴァルゼンを見つめている。涙に濡れた目は赤く腫れているのに、なぜかとても綺麗だった。光源石の青白い光を受けて、翡翠の色が深くなっている。
ヴァルゼンはその目を見て、何かを──ミラベルの瞳の奥に浮かぶ感情の正体を、読み取りかけた。
……宗教的感動だな。
僧侶としての慈愛が溢れているのだろう。信仰の力はすごい。人をここまで温かい目で見つめられるのは、日々の修行と祈りの賜物に違いない。
ミラベルの手が、まだヴァルゼンの手の上にあった。温かかった。




