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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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グリゼルダが動いたのは、それからしばらく経ってからだった。

 グリゼルダが動いたのは、それからしばらく経ってからだった。


 女騎士は壁際に移動していた。全員から少し離れた場所。片手を壁につき、もう片方の手で剣の柄を握り締めている。

 その姿は、普段の凛とした立ち姿とは似ても似つかなかった。壁に体重を預けている。グリゼルダが壁に寄りかかるなど、ヴァルゼンは見たことがなかった。あの女騎士は常に自分の足で立つ。誰にも何にも寄りかからない。それが武人の矜持だと、一度だけ語っていた。


 ヴァルゼンはその背中を見ていた。

 グリゼルダの背中は、これまで常に堂々としていた。鎧に包まれた広い肩、真っ直ぐに伸びた背筋。パーティの盾として幾度となくヴァルゼンの前に立った、その背中。

 それが今、微かに──本当に微かに、揺れている。


 武人にとって、目が曇ることは致命的だ。

 相手の力量を見誤ることは、戦場では死を意味する。一瞬の判断が生死を分ける世界で、観察眼は命そのものだ。グリゼルダが「強者に仕える」と誓いを立てたのは、自分の目で見極めた強さに殉じるという武人の矜持からだった。

 その目が──。

 最初の一歩目から間違っていた。


 ヴァルゼンは胸が痛んだ。自分のせいだ。訂正しなかった自分のせいで、グリゼルダの武人としての誇りを傷つけてしまった。彼女にとって一番大切なものを。


 グリゼルダが、低い声で呟いた。


「……強さとは、何なのだ」


 独り言のようだった。だが大広間の静寂の中では、全員に聞こえた。声は低く、かすれていた。


「剣の腕か。魔力の大きさか。戦場で敵を打ち倒す力か。私は──そう信じてきた。父もそう教えた。師もそう語った。強き者に仕え、強き者と共に歩む。それが武人の本懐だと」


 剣の柄を握る手に力がこもっていた。指が白くなるほど。


「あの方に仕えると決めたとき──私の目は確かに何かを見ていた。圧倒的な器を。他の何者にも揺るがぬ王の風格を」


 声が微かに割れた。


「それが──全て幻だったと? 私の武人としての目は──この目は──」


 ヴァルゼンは何か言わなければと思った。謝罪の言葉でも、弁明でも、何でもいい。「あなたの目は間違っていない」と言ってあげたかった。だが口が動かなかった。そもそも、間違っていないと言い切る根拠がヴァルゼンにはなかった。間違っていたのだ。事実として。


 グリゼルダの肩が震えた。

 微かに。鎧越しでもわかるほど。


 そして──止まった。


 何かを思い出したように、グリゼルダの体がぴたりと静止した。震えが消えた。代わりに、全身に緊張が走ったのがわかった。


 それは第二の試練のときの記憶だった。

 崩落する遺跡の中で、瓦礫がグリゼルダに向かって落ちてきた瞬間。天井の巨石が割れ、まっすぐにグリゼルダの頭上に向かって落下した。鎧では防げない重量だった。

 そのとき──誰よりも弱いはずの魔王が、叫びながら飛び出してきた。


 ヴァルゼンの体が庇うように前に出た。

 細い腕が、グリゼルダの肩を押した。


 あのとき、何の力もないこの男が、自分を守ろうとした。腕の力では動かせないとわかっていたはずだ。それでも。


 瓦礫はエルヴィンが砕いた。ヴァルゼンが守ったわけではない。結果だけを見れば、無謀な飛び出しでしかなかった。何の意味もない行動だった。


 だが──飛び出したのだ。

 弱い体で。震える足で。声を裏返らせながら。それでも。


「あの方は──弱いのに」


 グリゼルダの声が変わっていた。震えが消えている。代わりに、何か新しい感情が声に宿っていた。


「弱いのに、私を守った」


 壁についていた手が離れた。グリゼルダがゆっくりと振り返る。


 その顔には、もう動揺の色はなかった。

 代わりにあったのは、まだ名前のつかない感情だった。困惑と、戸惑いと、そして──何か温かいもの。武人が初めて出会う種類の感情。剣の道では教わらなかった何か。


「強さとは、何なのだ」


 同じ言葉を、もう一度。

 だが今度は、問いかけの意味が違っていた。答えのない問いから、答えを探し始めた者の声に変わっていた。閉じた扉ではなく、開きかけた扉の音。


 グリゼルダの手が剣の柄に触れた。握り直す。しっかりと。まだ答えは出ていないが──剣を手放す気はない。そう語るように。


 ヴァルゼンはその様子を見て、少しだけ息が楽になった。

 完全に見放されたわけでは──ないのかもしれない。まだ、希望があるのかもしれない。


 いや、希望を持つ資格があるのかは、わからなかったけれど。


 グリゼルダが元の位置に戻る途中、ヴァルゼンの横を通り過ぎた。足を止めはしなかった。視線も合わせなかった。だが通り過ぎざまに、小さな声が聞こえた。


「……あのときのこと、忘れてはいない」


 それだけだった。

 それだけで──十分だった。


 ヴァルゼンの目頭が熱くなった。


 大広間では、まだエルヴィンが黙ったままだった。


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