エルヴィンはまだ、言葉を探していた。
エルヴィンはまだ、言葉を探していた。
その間に、ヴァルゼンの頭の中では嵐が吹き荒れていた。
騙すつもりはなかった──本当だろうか。
本当に、騙すつもりがなかったと言い切れるのか。
訂正する機会はいくらでもあった。「実は弱いんです」と一言言えば済む話だった。たった一言。それだけのことが、どうしてもできなかった。
怖かったから。
追い出されるのが怖かったから。
一人になるのが怖かったから。
だがそれは──結局、騙していたのと何が違う?
膝をついたまま、ヴァルゼンは自分自身を問い詰めた。
誰を騙していたのか。
エルヴィンを? あの真っ直ぐな男を。何の裏もなく「信じる」と言ってくれた男を。
グリゼルダを? 武人の誇りにかけて「仕える」と誓った女騎士を。
フェリクスを? 知性の全てを懸けて「分析した」と言った男を。
ミラベルを? 誰よりも優しい目で見てくれた僧侶を。
それとも──自分自身を?
仲間たちが「強い」と言ってくれるたびに、「そうだったらいいのに」と思った。何度も思った。夜、一人で。眠れない布団の中で。彼らが見ている「最凶の魔王ヴァルゼン」に、なりたいと思った。
なれるはずがないのに。
腰を抜かしただけで「膝を折った」と解釈してもらえて、嬉しかった。
逃げただけで「戦略的撤退」と言ってもらえて、救われた。
何もできなくて黙っていただけで「沈黙の圧」と称えてもらえて、泣きそうになった。
全部、嬉しかったのだ。
嬉しくて、嬉しくて、だから手放せなかった。「違います」の一言が言えなかった。言ったら全部消えてしまうから。初めて手に入れた居場所が、温かさが、仲間が──全部。
それを──騙していたと言わずして、何と言う。
「……結果は同じだ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「つもりがあったかどうかなんて関係ない。騙したのと同じだ。訂正しなかった時点で、嘘をついたのと同じだ」
石畳が涙で滲んでいた。
と──。
「……そもそも」
ぽつりと、別の声が漏れた。自分の声だった。自嘲でも苦笑でもない、妙に冷静な声だった。
「ゴブリンに舐められてた映像まで見せる必要あった?」
涙は流れているのに、口から出たのはそれだった。
「あれは恥ずかしすぎる。いや、全部恥ずかしいけど、あれだけは格別に恥ずかしい。ゴブリンに給仕させられてた映像とか。スープこぼしたところとか。なんであんなところまで克明に記録されてるんだ。神の鏡、解像度高すぎないか。もう少し手心というものを──」
笑えなかった。笑おうとして、笑えなかった。声が途中で震えた。
ヴァルゼンは気づいていた。
こうやって冗談めかすのは、壊れそうな自分を支えるための癖だと。
笑い飛ばせるうちは、まだ大丈夫だと思い込むための。
自分の中で一番弱い部分を守るための、最後の砦だと。
だが今回ばかりは、笑い飛ばせない。砦は崩れかけていた。
仲間たちの視線が、背中に突き刺さっている。
一人一人の反応が怖かった。怖くて、振り向けなかった。
エルヴィンの足音は止まったままだ。目の前にいる。だが声は聞こえない。
グリゼルダの沈黙が重い。武人としての誇りを傷つけたのだ。彼女が最も許せないのは、自分の目が欺かれていたことだろう。あの誇り高い女騎士の目を──節穴に変えてしまった。
フェリクスの沈黙は冷たい。分析家のプライドが砕けた音が、聞こえるようだった。積み上げてきたデータの全てが無意味になった。あの精緻な分析モデルが、砂上の楼閣だったと証明された。
ミラベルの嗚咽が聞こえる。小さな、声を押し殺した嗚咽。
ザガンは──わからない。あの男はいつも静かだから。
そしてセラフィオンの視線。観測者の、全てを見通す目。
ヴァルゼンは膝をついたまま、顔を上げられずにいた。
ここが、終わりなのか。
最弱の魔王の、偽りの旅路の。
初めて居場所を見つけたと思ったのに。初めて「ここにいていい」と言ってもらえたと思ったのに。全部、嘘の上に建てた砂の城だった。波が来たら──真実の波が来たら、一瞬で崩れる城だった。
そして今、波が来た。
ヴァルゼンは石畳の上の自分の手を見つめた。小さな手。力のない手。この手に何が残っている? 伝説は消えた。誤解は暴かれた。「最凶の魔王」の仮面は剥がれ落ちた。
残っているのは、ゴブリンに給仕させられていた少年と、一人で泣いていた青年だけだ。
それでも──不思議と、解放感もあった。
ほんの僅かだが。ずっと背負っていた嘘の重さが、消えている。嘘をつき続ける苦しさから、解放されている。
楽になった、とは言えない。だが──少なくとも、もう演じなくていい。「最凶の魔王」を演じなくていい。
もっとも、演じていたつもりすらなかったのだが。勝手に祭り上げられて、勝手に期待されて、訂正できないまま流されていただけで。
パーティメンバーそれぞれの沈黙が、それぞれの意味を帯びて大広間を満たしていた。
怒りの沈黙。困惑の沈黙。悲しみの沈黙。分析の沈黙。そして──まだ名前のつかない沈黙。
誰が最初に口を開くのか。
何を言うのか。
「出ていけ」と言われるのか。「騙していたのか」と問い詰められるのか。それとも──。
ヴァルゼンには、それを待つことしかできなかった。




