沈黙がどれほど続いたのか、わからなかった。
沈黙がどれほど続いたのか、わからなかった。
一分か。五分か。それ以上か。
時間の感覚が曖昧になっていた。大広間の光源石が放つ青白い光だけが、変わらず空間を照らしている。壁面の紋様の脈動すら止まったように見えた。遺跡そのものが息を潜めているかのように。
空気が重い。肩にのしかかるような重さだ。物理的な重さではない。六人分の沈黙が、一つの空間に凝縮されている重さ。
鏡は消えた。光の粒子に分解されて、跡形もなく。
だが鏡が映し出した真実は、全員の記憶に焼きついている。消えない。消せない。
セラフィオンだけが微動だにしなかった。腕を組んだまま、壁際で浮いたまま。金色の瞳の紋様がゆっくりと回転している。観測者は、ただ観ている。
ヴァルゼンの膝が折れた。
ゆっくりと。力が抜けるように。石畳の上に膝をつき、両手が地面についた。指先が冷たい石に触れた。その冷たさだけが、今の自分に確かな感覚だった。
膝が石畳に当たる音が、やけに大きく響いた。大広間が静かすぎるせいだ。
「俺は──」
声がかすれていた。喉の奥が締め付けられるようだった。
「みんなを、騙していたのか」
顔を上げられなかった。床を見つめるヴァルゼンの視界に、自分の手だけが映っている。小さな手だ。剣を握る力もなく、魔法を放つ才能もない。何の力も持たない手。
この手で何ができた? 何もできなかった。いつもいつも、仲間に頼って、仲間に守られて、仲間が勝手に「凄い」と言ってくれるのに甘えていただけだ。
「最初は──怖かっただけなんだ」
言い訳だとわかっていた。だが、言葉が止まらなかった。堰が切れたように、溢れ出してきた。
「エルヴィンが来て、勝手に『魔王だ』って信じてくれて、パーティに入れてくれて。嬉しかった。初めて誰かに必要とされた気がして。魔王城では誰にも必要とされなかったから。ゴブリンにすら。だから──訂正できなかった」
声が震えた。
「弱いって言ったら、追い出される。一人に戻る。それが怖くて、怖くて──」
涙が石畳に落ちた。小さな染みが広がる。温かい。自分の涙が温かいということを、初めて意識した。
「訂正しなかった。何度も、何度も機会はあったのに。怖くて。卑怯で」
膝をついたまま、ヴァルゼンは続けた。止められなかった。
「グリゼルダが『武人として仕える』と言ってくれたとき。あのとき言うべきだった。フェリクスが『知略に感服した』と言ってくれたとき。あのときも。ミラベルが──泣いてくれたとき。全部、嘘の上に成り立っていた。僕が弱いと知っていたら、誰も──」
声が途切れた。
続きを口にする勇気がなかった。
──誰も、傍にいてくれなかった。そう言おうとして、言えなかった。
大広間は静まり返っていた。
パーティメンバーの誰も、声を発しなかった。ヴァルゼンの声だけが石壁に反響し、消えていく。
セラフィオンが腕を組んだまま、無言でヴァルゼンを見下ろしている。金色の瞳の紋様がゆっくりと回っている。試練の結果を──魔王の器を、見定めようとしているのだろう。
ヴァルゼンにはもう、取り繕う余力がなかった。
伝説は剥がれた。誤解は暴かれた。残っているのは、ゴブリンにすら舐められていた最弱の魔王という、裸の真実だけだ。
何も武器がない。何も鎧がない。虚飾の全てが剥ぎ取られて、丸裸の自分が、全員の前に晒されている。
「……ごめん」
小さな声だった。
「ごめんなさい。みんな」
それだけ言って、ヴァルゼンは黙った。
もう言葉が出なかった。出せる言葉が残っていなかった。
膝をついたまま、動けなかった。
動く気力すら、なかった。
石畳の冷たさが膝から伝わってくる。掌から伝わってくる。体温が奪われていくのがわかった。このまま石になってしまえたらいいのに、と思った。石なら感情がない。恥ずかしさも、罪悪感も、孤独への恐怖もない。
視界の端で、誰かの足が見えた。グリゼルダの鎧の足元だ。微動だにしない。フェリクスのローブの裾が揺れている。ミラベルの小さな靴が、僅かに震えている。ザガンの黒いブーツは、変わらずそこにある。
誰も動かない。誰も声を発しない。
それが、ヴァルゼンの告白に対する答えなのだろうか。沈黙という名の──。
沈黙の中で、微かな足音が聞こえた。
一歩。二歩。石畳を踏む、重い足音。革靴の底が石に当たる硬い音。体格のある人間の歩み。
ヴァルゼンの前で、足音が止まった。
顔を上げると、エルヴィンがいた。
碧い瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見下ろしている。
その瞳に浮かんでいるのは──怒りでも、失望でも、嫌悪でもなかった。
何か別のもの。
ヴァルゼンの知っている表情の中には、該当するものがなかった。
ヴァルゼンにはまだ、それが何か読み取れなかった。
エルヴィンは口を開かなかった。
ただ、ヴァルゼンの前に立っている。何かを──言葉を、探すように。
エルヴィンが言葉を探す。
それ自体が、異常なことだった。この男はいつだって即答する。考える前に口が動く。それがエルヴィンという人間だ。脳と口の間に検閲機関が存在しない男。
なのに今、言葉を探している。
大広間の沈黙が、わずかに震えた気がした。
エルヴィンの唇が動く。
だが、まだ声にならない。
ヴァルゼンは膝をついたまま、見上げていた。
裁きを待つように。
──あるいは、別れを待つように。




