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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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あの日のことは、鮮明に覚えている。

 あの日のことは、鮮明に覚えている。


 鏡が映し出したのは、大戦が終わって間もない頃の街道だった。行く宛もなく放浪していた銀髪の青年──ヴァルゼンが、草むらの陰から恐る恐る歩いている。ボロボロのローブは何日も着替えていない。髪は跳ね放題。顔色は悪く、頬がこけていた。

 元魔王。追われる身。人間の領地に迷い込んでしまい、見つかったら殺される。そんな状況で、最悪のタイミングで。


 街道の向こうから、太陽のような男が歩いてきた。


 金髪。碧眼。背中に聖剣。白銀の鎧。

 どこからどう見ても勇者だった。誰がどう見ても勇者だった。勇者以外の何者でもなかった。

 ヴァルゼンの人生で最も遭遇したくない存在が、最悪のタイミングで、正面から歩いてきた。


 映像の中のヴァルゼンが、固まった。

 足が動かない。頭も動かない。全身の血が凍りついたように。逃げろ、と本能が叫んでいたはずだ。だが体が言うことを聞かない。恐怖で思考が停止していた。


 そして──盛大に、腰を抜かした。


 膝から崩れ落ち、地面にへたり込む。顔は真っ白。目は見開かれ、口がぱくぱくと動いているが声は出ていない。完全なパニック状態だった。両手が地面をかいている。立ち上がろうとして、できない。腰が完全に抜けている。


 大広間で映像を見ているエルヴィンの眉が、ぴくりと動いた。


 映像は続く。

 腰を抜かしたヴァルゼンに、勇者エルヴィンが近づいてくる。映像の中のエルヴィンの目が見開かれていた。驚きと──畏敬の色。


「──お前、魔王ヴァルゼンか」


 映像の中のヴァルゼンが、震える声で答えた。


「ち、違──いえ、あの──し、し、し──」


 殺さないで、と言おうとしていた。声にならなかっただけだ。


「膝を折った……! 俺を前にして、自ら膝を折ったのか……!」


 違う。腰を抜かしただけだ。

 だが映像の中のエルヴィンには、そう見えていなかった。碧い瞳が感動で潤んでいた。完全に自分の中で物語を構築していた。


「大戦を終わらせた魔王が、勇者の前で膝を折る。この世にこれ以上の潔さがあるか……! お前は──噂以上の器だ!」


 それは潔さではない。純粋な恐怖だ。噂すら知らない。何の話をしているのか、パニックの頭では理解できなかった。


 これが、全ての始まりだった。

 大広間にいる今のエルヴィンの顔が、わずかに強張った。

 映像が映す「真実」と、自分の「記憶」の違いに、さすがに気づいたのだろうか。


 鏡は容赦なく、次の場面を映し出していく。


 ヴァルゼンが勇者パーティに合流した初日。森で魔物に遭遇した場面だった。巨大な猪型の魔獣だ。赤い目を光らせ、牙を剥いて突進してくる。

 映像の中のヴァルゼンが、魔物の咆哮を聞いた瞬間に全力で走り出す。後方に。全速力で。脇目も振らずに。両腕を振り乱し、情けない悲鳴を上げながら。


「見ろ、ヴァルゼンが先回りして退路を確保している! あの判断の速さ……戦場を瞬時に読み切る眼がなければ不可能だ!」


 映像の中のエルヴィンの声だ。

 していない。逃げているだけだ。退路を確保する意図も、戦場を読む眼もない。ただ、死にたくなかっただけだ。


 次の場面。盗賊団との交渉。

 映像の中のヴァルゼンが、盗賊の親玉の前で震えながら何かを言っている。膝が笑っていた。顔は蒼白だった。


「た、頼むから見逃してくれ……何でもする、何でもするから……お願いだから殺さないで……」


 命乞いだった。純粋な命乞いだった。涙声で、鼻水まで出ていた。


「見よ! 魔王が自ら膝を折って交渉に出た! あの盗賊、完全に委縮しているぞ! 言葉だけで敵を屈服させる──これぞ真の王の交渉術だ!」


 映像の中のエルヴィンの感嘆の声。

 盗賊が委縮していたのは、後ろにエルヴィンが立っていたからであって、ヴァルゼンの交渉力ではない。聖剣を背負った勇者が仁王立ちしていれば、誰だって委縮する。


 伝説の裏側が、次々と暴かれていく。


「戦略的撤退」──ただの逃走。

「冷徹な眼光」──怯えた目。

「敵を屈服させた交渉」──命乞い。

「あえて部下に手柄を譲る懐の深さ」──戦闘に参加できる能力がなかっただけ。

「沈黙の圧で場を支配した」──怖くて声が出なかっただけ。


 一つ残らず。全て。


 ヴァルゼンは俯いた。もう顔を上げられなかった。

 石畳の模様が滲んで見えた。泣いているのか。泣いているかもしれない。


 大広間に静寂が降りている。

 映像から聞こえるのは過去の音声だけだ。現在の仲間たちは、誰も声を発していなかった。


 フェリクスがモノクルを外し、布で拭いていた。拭く必要などないはずなのに、何度も何度も丁寧に拭いている。時間を稼いでいるのだ。混乱した頭を整理するための時間を。


「……分析が」


 フェリクスの声が、かすれていた。


「全て、間違っていた……?」


 フェリクスは自らの知性に誇りを持つ男だ。戦場でも日常でも、冷静な分析を武器に道を切り拓いてきた。その分析の根幹──「魔王ヴァルゼンは戦闘力を隠しているが、知略において並ぶ者なし」という前提が、今、完全に否定されたのだ。


 ヴァルゼンは何も言えなかった。

 弁解の言葉すら浮かばなかった。


 鏡の映像が、また切り替わる。


 次は何が映るのか。もうこれ以上は耐えられないとヴァルゼンは思った。だが鏡は止まらない。止められない。


 映し出されたのは──ヴァルゼンが一人で泣いている場面だった。

 夜のキャンプ。仲間たちが寝静まった後。テントの外で、一人きりで。

 膝を抱え、顔を埋め、声を殺して泣いている。

 バレたらどうしよう。弱いと知られたらどうしよう。追い出されたらどうしよう。

 また一人になったら、どうしよう。


 大広間の空気が、凍りついた。


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