フェリクスとザガンの共同分析は、九日目の深夜まで続いた。
フェリクスとザガンの共同分析は、九日目の深夜まで続いた。
司令部のテントの中、二人は机に向かい合って座り、先代魔王の記録とヴァルゼンの魔力感知データを突き合わせていた。ランプの光が二人の顔を照らし、手帳と古文書の上に影を落としている。ヴァルゼンも同席していたが、難解な魔術理論の議論にはついていけず、半ば聞き役に回っていた。二人の会話は高度すぎて、三割も理解できない。
「先代の記録によれば、脈点は大陸に三八箇所存在する」
ザガンが古い地図の上に指を走らせた。地図には脈点の位置が赤い点で示されている。大陸全域に散らばる三十二の点。それが世界の血管の要所だった。
「そのうち、大戦で直接的に破壊されたのが七箇所。間接的に機能不全に陥ったのが十一箇所。合計十八箇所の脈点が正常に機能していない」
「十八箇所……」
フェリクスが眉をひそめた。三十二のうち十八。半分以上が壊れている。それは想像以上に深刻な数字だった。
「残り十四箇所は機能していますが、十八箇所分の負荷が分散されている。過負荷で、残りの脈点も徐々に劣化している。心臓に例えれば、血管の半分が詰まった状態で、残りの血管が倍の血を送ろうとしている」
「つまり、放置すれば残りの脈点も壊れていく」
「その通りです。先代がお一人で維持していた均衡が、先代の崩御とともに崩れた。今の虚淵の拡大は、その崩壊が臨界点に達しつつあるということです」
ヴァルゼンは目を閉じた。魔力感知を展開する。
確かに感じる。世界の魔力の流れは、あちこちで詰まり、溢れ、枯れていた。大きな河が堰き止められ、支流が氾濫し、別の支流が干上がっている。その混乱が、虚淵という形で世界を蝕んでいる。地図上の赤い点が、ヴァルゼンの感覚の中で暗い穴として感じ取れた。
「感じたことをそのまま言ってくれますか、魔王殿」
フェリクスが手帳を構えた。ペンの準備は万端だった。
「えっと……世界の魔力の流れが、川みたいなものだとすると。あちこちで岩が落ちて川が塞がってる。塞がった場所の上流は溢れて、下流は涸れてる。涸れた場所が虚淵になってる」
「具体的に、どの方角が最もひどいですか」
「東。大陸の東側が一番ひどい。流れがほとんど止まっている場所が——三箇所、いや四箇所ある。真っ暗で、何も感じない。虚無がぽっかりと口を開けているような感覚」
「先代の記録と一致します。東方戦線の脈点が四箇所壊れている」
フェリクスのペンが走る。ヴァルゼンの感覚的な言葉を、フェリクスが数値と座標に変換していく。「真っ暗」が「魔力密度ゼロ」に、「ぽっかりと口を開けている」が「消滅域半径推定値」に変わる。
「他には?」
「南にも二箇所。ここは完全に止まってるんじゃなくて、細くなってる感じ。かろうじて流れているけど、すごく苦しそう。息が詰まるような——」
「機能低下した脈点ですね。先代の記録では南の脈点は『損傷軽微だが放置すれば悪化する』と記されています」
「あと、北西にも一つ。これは最近おかしくなり始めた気がする。前は感じなかった違和感が——」
「新規の劣化。過負荷による連鎖的崩壊の兆候です」
二人の分析は夜通し続いた。
ヴァルゼンが魔力感知で世界の状態を「感じ」、フェリクスがそれを論理的に「分析」し、ザガンが先代の記録と「照合」する。三人の能力が噛み合い、世界の病理図が少しずつ完成していった。誰か一人が欠けても成り立たない共同作業だった。
夜明け前。
フェリクスが手帳のペンを置いた。
「結論が出ました」
ヴァルゼンとザガンが顔を上げた。ランプの油がほとんど尽きかけており、テントの中は薄暗かった。
「世界の魔力循環を再起動するには、壊れた脈点を修復し、止まった流れを繋ぎ直す必要があります。先代の記録とヴァルゼン殿の魔力感知データを突き合わせた結果、理論上は可能です」
「理論上は」
「はい。ただし——」
フェリクスがヴァルゼンを見た。モノクルの奥の瞳が、いつもの冷静さではなく、深い真剣さを湛えていた。
「再起動の起点となれるのは、世界の魔力循環と共鳴できる存在だけです。つまり——」
「魔王」
ザガンが静かに言った。
「先代もそう書いていました。循環の再起動は、魔王の力でしか行えないと」
ヴァルゼンの心臓が、どくんと鳴った。
「ぼ、僕が……?」
「はい」
フェリクスの声は、いつもの皮肉を含まなかった。珍しく、真っ直ぐな言葉だった。モノクルの奥の瞳が、ヴァルゼンをまっすぐに見つめている。
「この結論に至れたのは、ヴァルゼン殿の魔力感知データがあったからです。世界の状態をここまで詳細に把握できるのは、この大陸であなただけだ。先代の記録は断片的でしたが、あなたの感知がその空白を埋めてくれた」
「俺は感じたことをそのまま言っただけなんだけど……」
「それが天才ということです」
フェリクスが言った。
皮肉なし。留保なし。本気の言葉だった。「万象の解剖者」の異名を持つ男が、分析ではなく直感で発した言葉。
ヴァルゼンは面食らった。フェリクスがこんなに真っ直ぐな褒め言葉を言うのは、出会って以来初めてだった。
「……フェリクス、熱でもあるの?」
「失礼な。僕は常に正確な評価を心がけています。今回は正確な評価が褒め言葉になった、というだけです」
少しだけ、いつものフェリクスが戻ってきた。ヴァルゼンはほっとした。あまりに真っ直ぐなフェリクスは、むしろ怖い。
「ただし」
フェリクスの表情が再び真剣になった。
「再起動の具体的な方法は、まだ完全には解明できていません。先代の記録が途切れている部分——おそらくそこに核心がある。手がかりは先代の記録のどこかに、まだ眠っているはずです」
「探しましょう」
ザガンが言った。
「先代が残した記録は、まだ全てを読み切ったわけではありません。古都の封印区画には、まだ手つかずの文書がある」
答えは、まだ見えない。
だが手がかりの輪郭は、確実に浮かび上がってきていた。
「ザガン。フェリクス」
ヴァルゼンは二人を見た。ランプの最後の光が、二人の顔を照らしている。
「ありがとう。二人がいなかったら、ここまでたどり着けなかった」
「礼には及びません、陛下」
ザガンが一礼した。
「僕も同感です。——ただ、魔王殿」
フェリクスが手帳を閉じた。
「お礼を言うのは、答えが見つかってからにしてください。まだ道半ばです」
「……うん。そうだね」
テントの外が白み始めていた。夜明けの光が、戦場を照らしていく。
連合軍はまだ戦っている。
虚淵はまだ広がっている。
だが——希望の糸は、細いながらも繋がっていた。




