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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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祝宴の夜、ヴァルゼンだけが浮かない顔をしていた。

 祝宴の夜、ヴァルゼンだけが浮かない顔をしていた。


 連合軍の陣地には篝火かがりびが焚かれ、各種族の兵士たちが入り混じって酒を酌み交わしていた。人間の騎士と魔族の戦士が肩を並べて笑い、精霊の術士が透明な光の花を空に咲かせて場を彩っている。大戦以来、いや、大戦中にさえ、こんな光景は存在しなかった。かつての敵同士が共に戦い、共に勝利を祝う——それだけでも歴史的な出来事だった。


 ヴァルゼンは祝宴の端に座り、杯を持ったまま動かなかった。篝火の光が琥珀色の酒面を揺らしている。


「飲まないのか?」


 エルヴィンが隣に腰を下ろした。手には大きな杯。中身はもう半分空だ。鎧を脱いで軽装になったエルヴィンは、戦場での威圧感が嘘のように気楽な雰囲気をまとっていた。


「……うん。ちょっと、考え事」


「珍しいな。お前が考え込む時は、大抵とんでもないことを閃いた後だ」


 閃いてない。何も閃いてない。ただ——気になっていた。


 虚淵ニヒラムが「引いた」こと。

 押し返されたのではなく、自ら退いたこと。


 あの感触は、確かだった。魔力感知が捉えた虚淵の動きは、外部からの力で後退するパターンとは明らかに違っていた。波が砕かれたのではなく、潮が引いたのだ。潮が引くということは——次の波が来る。もっと大きな波が。


「エルヴィン」


「ん?」


「あの虚淵、本当に『負けた』と思う?」


 エルヴィンが杯を止めた。碧い瞳が、真剣な光を帯びる。この男は普段は豪快で楽天的だが、戦いに関する直感だけは侮れない。何百もの戦場を潜り抜けてきた勇者の勘は、学者の分析より正確なことがある。


「……正直に言うと、俺もちょっと引っかかってる」


 意外な言葉だった。


「剣で斬った感触が——なんて言えばいいかな。『倒した』じゃなくて『退かせた』に近かった。手応えはあったけど、とどめを刺した気がしない。敵が逃げたのと、敵を倒したのは違う。剣士なら、その違いがわかる」


 やはりそうか。ヴァルゼンの魔力感知が捉えたものと、エルヴィンの身体感覚が捉えたものは、一致していた。


「それ、グリゼルダも同じこと言ってた。あいつが手応えに疑問を持つのは珍しい。あの銀狼が首を傾げるのは、よほどのことだ」


 ヴァルゼンは杯の中の酒を見つめた。篝火の光が液面に揺れている。


「これじゃ足りない」


 呟いた言葉に、エルヴィンが顔を向けた。


「何かが……根本的に間違っている気がする」


「間違っている?」


「虚淵を『倒す』こと自体が、的外れなんじゃないかって。倒しても倒しても、また来る。押し返しても、また押し寄せる。それは——」


 言葉を探した。正確な表現が見つからない。学者のように理路整然と語る能力は、ヴァルゼンにはない。頭に浮かぶのは、もっと素朴な比喩だ。


「……病気の人の熱を下げても、病気が治るわけじゃないだろう? 虚淵は——熱みたいなものなんじゃないか」


 沈黙が落ちた。


 篝火の爆ぜる音。遠くで兵士たちが歌う声。魔族の古い酒歌と人間の勝利の歌が混じり合って、不思議な旋律を奏でている。


「ほう」


 背後から声がした。フェリクスだった。いつからいたのか、モノクルの奥の瞳が篝火の光を反射している。手にはいつもの手帳と、もう片方の手には甘い菓子。分析中の糖分補給らしい。


「症状であって、原因ではない。——魔王殿、あなたもそう思いますか」


「え、フェリクス、いつから——」

「最初から。魔王殿が宴席で浮かない顔をしていたので、何を考えているか興味があった。観察対象の異常行動は記録すべきですからね」


 つまり観察されていた。相変わらず怖い人だ。人を研究対象として見る癖は、もう直らないのだろう。


「実は僕も、同じ結論に至っていました」


 フェリクスが腰を下ろした。手帳を開き、何かの図を見せた。三日間の戦闘で収集した虚淵のデータだった。グラフと数式がびっしりと書き込まれている。ヴァルゼンには半分も読めないが、右肩上がりの線が不吉なことだけはわかった。


「虚淵を『倒す』ことは可能です。現にエルヴィン殿の聖剣は虚淵に効果を発揮した。しかし——」


 フェリクスの指がデータの一点を差した。


「倒しても倒しても、発生源が止まらない。虚淵は無限に湧き続ける。我々がやっているのは、穴の開いたバケツから水を汲み出しているようなものです。汲み出す速度がどれだけ上がっても、穴を塞がなければ永遠に終わらない」


「穴……」


「世界の魔力循環そのものが、破綻しかけている。虚淵は、その破綻の症状に過ぎない」


 フェリクスの言葉は、ヴァルゼンが感覚的に捉えていたものを、論理的に言語化していた。感覚と論理が同じ結論に辿り着いた。それは——心強いことだった。


 症状。

 虚淵は症状だ。

 では、病気は何だ。


「虚淵は敵じゃない」


 ヴァルゼンは呟いた。


「世界の……症状だ」


 フェリクスが目を細めた。


「その通りです、魔王殿。虚淵は世界の傷が自然治癒しようとして失敗している反応——世界の免疫反応の暴走とでも言いましょうか。敵として倒すのではなく、世界そのものを治さなければならない」


 エルヴィンは黙って二人の会話を聞いていた。難しい話は苦手だが、本質は理解していた。この男は理屈は追えないが、核心だけは掴む。


「つまり、今日の勝利は一時しのぎってことか」


「そうなります」


「……じゃあ、何をすればいいんだ」


 フェリクスが手帳を閉じた。菓子の最後の一欠片を口に放り込んでから答えた。


「それを、これから考えます。ザガンの先代魔王に関する知識と、ヴァルゼン殿の魔力感知データがあれば、仮説は立てられるかもしれない」


 祝宴の騒ぎは続いている。兵士たちの笑い声が夜空に響いている。


 その中で三人だけが、勝利の先にある暗い真実を共有していた。


「……みんなには、まだ言わないほうがいいかな」


 ヴァルゼンが小声で言った。


「今日くらいは、喜ばせてあげたい」


「同感です」


 フェリクスが頷いた。


「明日から、本当の戦いが始まる。——虚淵を倒す戦いではなく、世界を治す方法を見つける戦いが」


 篝火の向こうで、グリゼルダとベリオスが腕相撲をしていた。二人の腕力は拮抗しており、テーブルが軋んでいる。ミラベルがその横で回復魔法の準備をしている——腕が折れた時のために。周囲の兵士たちが歓声を上げて見守っている。ザガンは少し離れた場所で、魔族の兵士たちと静かに杯を傾けていた。尾が穏やかに揺れている。


 みんな笑っている。

 この笑顔を守りたい。

 そのためには——虚淵を「倒す」のではなく、「治す」方法を見つけなければならない。


 ヴァルゼンは杯の酒を一口飲んだ。


「……苦い」


 酒の味なのか、現実の味なのか、よくわからなかった。


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