表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
240/308

戦闘が始まって六時間が経過していた。

 戦闘が始まって六時間が経過していた。


 丘の上に、一人の魔王が座っていた。


 目を閉じている。微動だにしない。地面にあぐらをかき、両手を膝の上に置き、まるで瞑想するかのように静止している。風が銀灰色の髪を揺らし、簡素なローブの裾をはためかせる。額の左右にある小さな角が、午後の日差しにかすかに影を落としていた。


 その姿だけを見れば、何もしていないように見えた。


 だが前線は違う。


 眼下の平野では、連合軍と歪みの怪物の激闘が続いていた。剣が閃き、魔法が炸裂し、結界が軋み、怒号と雄叫びが交錯する。血と魔力が飛び散る戦場。そこかしこで爆発が起き、怪物の咆哮が響き、兵士たちの叫び声が途切れない。


 そしてその戦場の全てが、丘の上の一人の声に従って動いていた。


「第二隊、三十歩後退。そこで踏みとどまれ」


 ヴァルゼンの声は、六時間前より明らかにかすれていた。だが的確さは変わらない。指示を受けた部隊が三十歩退くと、彼らがいた場所に虚淵ニヒラムの亀裂が走った。


「南の結界、第四層に亀裂。術士を交代させろ」


 目を閉じたまま、ヴァルゼンは戦場を「見て」いた。

 魔力の流れが世界の地図になり、味方の位置が光の点になり、虚淵の動きが黒い潮流として感覚に流れ込んでくる。数千人の兵士と、無数の歪みの怪物と、脈動する虚淵——その全てを、一人の魔王が感知している。


「エルヴィン、休憩を取れ。次の大波まで七分ある」

「七分か。ありがたい。剣を研ぐ時間はあるな」


 エルヴィンの声が伝令を通じて返ってきた。まだ余裕がある声だ。さすがは勇者だった。六時間の連続戦闘でも、あの男は笑っていられる。


 しかしヴァルゼンには余裕がなかった。


 六時間の連続感知。精神が削られ続けている。視界が——いや、目は閉じているのだから視界とは言わないが——魔力感知の「視野」が、少しずつ狭まってきている。最初は戦場全体を俯瞰できたのが、今は端の方がぼやけている。


 大丈夫だ。まだいける。中央部は鮮明だ。

 そう自分に言い聞かせた。


「……陛下」


 ザガンの声が、すぐ傍で聞こえた。


「水を」


 閉じた瞼の裏で、ヴァルゼンは苦笑した。ザガンにはわかるのだ。四百年の経験が、主君の限界を正確に察知する。言葉にしなくても、呼吸の乱れや汗の量から全てを読み取っている。


「ありがとう」


 目を開けずに手を伸ばし、水筒を受け取った。一口含んで、また目を閉じる。水が喉を通る冷たさが、わずかに感覚を研ぎ澄ませた。


 視線を——否、感知を戦場に戻す。


 そのとき、後方の監視所から使者が丘を登ってきた。各国から派遣された観戦武官の一人だった。初老の人間の将軍で、大戦の英雄として名を馳せた人物だ。


「あ、あの魔王は何をしているのだ」


 使者は困惑した声で呟いた。


「六時間、目を閉じて座っているだけではないか。前線の将兵が命を懸けて戦っているのに——」


「黙れ」


 ザガンの声が、氷のように冷たく響いた。老臣は使者を振り返りもせず、ヴァルゼンの傍に佇んだまま言った。


「陛下は今、最も過酷な戦いの只中におられる。剣を振るう戦いではない。世界の全てを感じ取り、全ての命の行方を同時に判断し続ける——それがどれほどの重圧か、貴殿に想像できるか」


 使者は言葉を失った。ザガンの琥珀色の瞳が一瞬だけ使者を射抜き、すぐにヴァルゼンの方に戻った。


 そこへ、別の報告が入った。南の結界が一時的に破られ、歪みの怪物が数体突破したという報告。兵士たちに緊張が走る。


「南東に走った三体は放置していい。あと三十秒で消える」


 ヴァルゼンが目を閉じたまま言った。


「……消える?」


 使者が眉をひそめた。結界を突破した怪物を放置するなど、常識では考えられない判断だ。


 三十秒後、南東に走った歪みの怪物は、魔力の薄い地帯に入った途端に崩壊して消滅した。虚淵から離れすぎると、怪物は存在を維持できなくなる。ヴァルゼンはそれを、魔力の流れから読み取っていた。


「……あの魔王は、目を閉じただけで戦局を操っている」


 使者の声が、震えていた。先ほどの懐疑は、畏敬に変わっていた。


「あれが、魔王の真の姿か」


 別の声が響いた。


 振り返ると、セラフィオンが丘の端に立っていた。白銀の髪が風に揺れ、三対の半透明の翼が淡く明滅している。金色の瞳に浮かぶ幾何学的な紋様が、ゆっくりと回転していた。


「力で敵を打ち倒すのではない。世界の全てを感じ取り、その流れを導く。——汝が見せる姿は、我の知る『王』の概念にはなかった」


 セラフィオンの声には、超然とした響きの中に、微かな何かが混じっていた。それは驚きにも似ていたし、理解に近づこうとする手探りの音にも聞こえた。


 ヴァルゼンにはセラフィオンの言葉は聞こえていなかった。全神経を魔力感知に注いでいた。


 そのとき。


 ヴァルゼンの閉じた瞼が、かすかに光った。


 淡い金色の光が、閉じた目の隙間から漏れ出している。頬を伝う汗の筋が、金の光に照らされてきらめいた。小さな角も、同じ金色に淡く発光していた。


 魔力感知の全力稼働。

 ヴァルゼンの魔王としての血統が持つ、唯一にして最大の力。「感知・共鳴・接続」に極端に偏った魔力が、限界を超えて開放された瞬間だった。


「……美しいな」


 グリゼルダの呟きが、伝令の通信越しに漏れた。前線から丘を見上げたのだろう。


「戦場にいるとは思えない。まるで——」

「祈っているようだ」


 エルヴィンが続けた。


「世界のために祈る魔王。——俺は、あいつの剣であり盾でありたい」


 丘の上で、金色に輝く瞳の魔王が座っている。

 眼下で、多種族の戦士たちが剣と魔法を振るっている。


 戦場で最も美しい光景は、何もしていないように見える一人の王だった。


 ——何もしていないんじゃなくて、これしかできないだけなんだけどな。


 ヴァルゼンの内心の呟きは、金色の光に溶けて消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ