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最弱魔王なのに勇者パーティに『史上最凶の魔王』と誤解されています〜怖くて訂正できないまま世界を救うことになりました〜  作者: 蒼月よる


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合意文書に署名した瞬間、ヴァルゼンの手は震えていた。

 合意文書に署名した瞬間、ヴァルゼンの手は震えていた。


 会議室に残ったインクの匂いが、まだ鼻の奥に残っている。大陸全種族の代表が一堂に会した歴史的な多国家会議は、ついさきほど閉幕した。そしてその合意文書の最後には——どういうわけか、ヴァルゼンの名が刻まれていた。


万策ばんさくの魔王……」


 廊下を歩きながら、ヴァルゼンは呟いた。会議の終盤、精霊の長老がそう呼んだのだ。それを聞いた人間の王たちが頷き、魔族の代表が同意し、気づけばその称号は事実として確定していた。


 万策の魔王。あらゆる策を持つ魔王。

 ——いや、持ってない。何一つ持ってない。みんなが怖い顔をしていたから「怖いですよね」と言っただけで、それが「全ての立場を理解する外交術」と解釈されて、気づいたら合意が成立していただけだ。


「ヴァルゼン!」


 背後からエルヴィンの声が響いた。勇者は満面の笑みで駆け寄ってくると、ヴァルゼンの肩を豪快に叩いた。身体が浮きそうな衝撃だった。


「やったな! 大陸史上初の全種族合意だぞ! 歴史に名が残る!」

「い、いや、僕はただ——」

「お前がいなければ実現しなかった。全員がそう言っている。俺も同感だ」


 エルヴィンの碧い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。その目には一片の疑いもない。太陽のような笑顔が眩しすぎて、直視するだけで目が焼ける思いだ。ヴァルゼンは視線を逸らしたくなったが、逸らしたら逸らしたで「謙虚な魔王」とか言われるに決まっている。


「フェリクスの分析もすごかったし、グリゼルダが各国の武官を黙らせてくれたし、ミラベルが泣いて場の空気を変えてくれたし……全員のおかげだよ」


「ほう」


 フェリクスが後ろから歩いてきた。モノクルの奥の瞳が、いつもの知的な光を帯びている。


「功績を仲間に分散させる。これもまた高度な統治術ですね、魔王殿。個人崇拝を避け、組織全体の士気を高める。教科書通りの——いえ、教科書を超えた手腕です」


 教科書も何もない。ただ本当のことを言っただけだ。


「ヴァルゼン様」


 ザガンが静かに歩み寄った。老臣の顔には珍しく、かすかな感慨が浮かんでいた。四百年を生きた魔族が見せる感慨は、言葉以上に重い。


「先代も先々代も、他種族との全面的な合意を成し遂げたことはありません。四百年の魔族の歴史において、これは初めてのことです」


 四百年。

 その重みが、ヴァルゼンの肩にずしりと乗った。


「さすがは陛下。力ではなく言葉で世界を動かす——これぞ、貴方にしかできない王道です」


 王道。

 ただ怖かっただけだ。会議の席で対立する代表たちの顔を見ていたら、みんな怖い顔をしていて、怖い顔の人たちを落ち着かせるにはまず怖くない話をすればいいと思って、だから「怖いですよね」と言っただけで——


「各国の使者が帰路につく前に、報告が入っております」


 ザガンが一枚の書簡を差し出した。ヴァルゼンは受け取り、目を走らせた。


 合意を受けて、各国が連合軍の編成を開始する。精霊の森からは古代結界の技術者が派遣される。人間の王国からは騎士団と輜重しちょう部隊。魔族の古都からは魔戦士と攻城魔法の術者。辺境の都市国家からは情報網と偵察部隊。


「これだけの戦力が一箇所に集まるのは、大戦以来です」


 フェリクスが書簡を覗き込みながら言った。


「ただし大戦は種族間の戦い。今回は種族を超えた共闘。指揮系統の統一が課題になりますが——」


 フェリクスの視線がヴァルゼンに向いた。

 グリゼルダの視線もヴァルゼンに向いた。

 エルヴィンの視線は最初からヴァルゼンに向いていた。

 ミラベルの翡翠色の瞳も、期待に輝きながらこちらを見ていた。


 全員の視線が、一人の魔王に集中していた。


 嫌な予感がする。すごく嫌な予感がする。


「……え、ちょっと待って。まさか指揮も僕が——」

「当然だろう」


 エルヴィンが当然のように言った。当然すぎて疑問の余地すらないという顔だった。


「全種族が信頼する唯一の存在はお前だ。指揮官はお前しかいない」

「いやいやいやいや、僕は戦争なんてやったことないよ!?」

「経験の有無ではありません」


 フェリクスがモノクルを押し上げた。


「全種族の魔力を感知し、戦局全体を把握できる存在は、この大陸に魔王殿ただ一人。技術的に、あなた以外に適任者がいないのです」


 技術的に。

 その言葉が、最後の逃げ道を塞いだ。感情論なら反論できる。だが技術的な事実には反論しようがない。


 ヴァルゼンは天井を仰いだ。高い石造りの天井に、夕日の赤が差し込んでいる。

 万策の魔王。大陸最高の外交官。

 サインしただけなのに。ただサインしただけなのに、いつの間にか世界最大の連合軍の総司令官になりかけている。


「……僕の意見は」

「無論、尊重します」


 ザガンが一礼した。尾が微かに揺れている。あれは満足の揺れだ。四百年の付き合いはなくとも、最近はザガンの尾の動きが読めるようになってきた。


「ただし、辞退される場合の代替案を伺いたく存じます。全種族が合意する別の指揮官がおられるなら」


 いない。

 そんな人物がいれば、ヴァルゼンがこんな目に遭っていない。


「……わかりました」


 観念の溜息が、廊下に響いた。


 エルヴィンが拳を突き上げた。グリゼルダが深く頷いた。フェリクスが薄く笑った。ミラベルが瞳を潤ませた。ザガンが深々と頭を下げた。


 窓の外では、各国の使者たちが帰路についていた。それぞれの国旗を掲げた馬車が、夕焼けの街道を四方へ散っていく。精霊の使者は風に乗り、魔族の使者は転移陣の光に包まれ、人間の使者は護衛の騎士に囲まれて。全ての方角に、合意の知らせが広がっていく。


 大陸史上初の全種族連合が動き出す。

 その中心に、大陸最弱の魔王が立っている。


 ——なんでこうなるんだよ。


 ヴァルゼンの内心の叫びは、誰にも聞こえなかった。


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