睨み合い
睨み合い
会議の前夜は、すでに戦場だった。
エルスタードの大聖堂に隣接する迎賓館に、各国の使者が入った。一つ屋根の下に——人間の王、魔族の長老、精霊の代表が泊まるという前代未聞の状況だ。
晩餐会が催されたが、和やかとは程遠かった。
レステール王国のルドヴィーク王は、会場に入るなり魔族の代表に「これは初めてだな」と皮肉を込めて微笑んだ。魔族の長老は「我々もです」と同じ温度で返した。精霊の若者は隅で植物と会話していた。
ヴァルゼンはその空気の中で、胃が痛くなっていた。
「こっちを見ている……みんな、こっちを見ている……」
小声の独り言をフェリクスが拾った。
「当然です。この場の全員が、貴方がどう動くかを見極めようとしている。明日の会議の主導権を、前夜のうちに読み取ろうとしているのです」
「読み取ろうとされても、何も出てこないんだけど」
「それでいいのです。読み取れないことが、かえって彼らを慎重にさせますから」
(全然それでよくないんだけどな)
晩餐の途中で、テレーヌ公国の宰相がヴァルゼンに酒を勧めてきた。
「魔王殿、一献いかが。テレーヌ自慢の蒸留酒です」
「あ、いただきます。ありがと——ぶはっ!」
一口で咽せた。度数が殺人的だった。
宰相が笑った。意味深な笑いだ。酒の場で相手の素を引き出す、外交官の常套手段。
グリゼルダがさりげなく杯を取り上げた。
「ヴァルゼン様は明日に備えて控えめにされるとのことです。私がいただきましょう」
グリゼルダはそのまま杯を一息に空けた。顔色一つ変わらない。宰相の笑みが引きつった。
晩餐が終わり、各自が部屋に引き上げた後。
ヴァルゼンは自室で、明日の段取りを考えていた。
考えていた。考えていた。考えていた。
全然まとまらなかった。
「どの議題から入ればいいんだ。虚淵の情報共有が先か。連合の目的を明確にするのが先か。でもそこで利害がぶつかるよな。領土問題。補給路の問題。指揮権の問題。どれも地雷だ。地雷原を裸足で歩くようなものだ」
ペンが進まない。紙が白紙のままだ。
深夜になっても眠れなかった。
セラフィオンが窓の外に浮いていた。翼が月明かりに光っている。
「眠らぬのか、魔王」
「あなたが窓の外に浮いていたら誰でも起きますよ」
「我は汝の睡眠に関心はない。だが——明日の会議に失敗すれば、世界の秩序はさらに崩壊する。それは我にとっても好ましくない」
「プレッシャーかけないでくれます?」
「事実を述べただけだ」
(ザガンと同じこと言うな)
セラフィオンが小首を傾げた。
「一つ、助言しよう」
「え、助言?」
「あの場に集まる者たちは——全員が恐れている。国を失うことを。民を守れないことを。判断を誤ることを。その恐怖の質は、汝のものと同じだ」
ミラベルと同じことを言っている。
「汝の弱さが、彼らの弱さと共鳴すれば——壁は崩れる。我にはそれが見える」
「……見えるんですか」
「観測者だからな」
セラフィオンは窓の外に消えた。
ヴァルゼンは布団を被った。
恐怖の質が同じ——
その言葉を反芻しながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
朝が来た。
カーテンの隙間から射し込む光で目が覚めた。紙は白紙のままだった。段取りは結局まとまらなかった。
だが——不思議と、昨夜ほどの恐怖は感じなかった。
「行くか」
独り言だった。
鏡を見た。目の下に隈がある。顔色は冴えない。角は相変わらず前髪に隠れている。どう見ても、歴史的会議の議長には見えない。
部屋を出ると、全員が揃っていた。
エルヴィンが拳を握った。
グリゼルダが無言で頷いた。
フェリクスがモノクルを磨き終えた。
ミラベルが祈るように手を組んだ。
ザガンが一歩退いて控えた。
「行こう」
エルヴィンが言った。
大聖堂の扉が開いた。
睨み合う王たちの中央に、最弱の魔王が立たされた。




