王の儀式
王の儀式
残党襲撃の翌日、懐疑派が折れた。
正確に言えば、懐疑派の長老が議場に現れ、開口一番こう言った。
「——認める」
議場が静まり返った。
「力なき者を王と仰ぐのは、千年の伝統に反する。それは今も変わらん。だが——」
長老はヴァルゼンを見据えた。傷だらけの顔に刻まれた皺が、篝火の光で深く影を落としている。
「民を盾にせず、民の盾になった王は——千年の歴史の中に、一人もいなかった」
穏健派から歓声が上がった。懐疑派の席でも、戸惑いながらも頷く者が出始めた。
ヴァルゼンは演壇の上で固まっていた。
(え。認められちゃった。どうしよう。認められちゃった。正式に魔王として認められるって、それ今後もっと大変になるやつじゃないのか)
穏健派の長老が涙を拭きながら立ち上がった。
「では——受容の儀式を執り行います」
「儀式」
ヴァルゼンの声が裏返った。
「ご安心ください。形式的なものです。先代の時代から伝わる、魔族が王を迎える古式の儀礼。陛下は中央に立ち、魔族の代表者が忠誠の言葉を述べる。それだけです」
(それだけ? 本当にそれだけ? 嫌な予感しかしないんだけど)
嫌な予感は、半分当たっていた。
議場が即席の儀式場に変わった。床に古代紋様が描かれ、四隅に篝火が灯された。壁際には古都中から集まった魔族たちがひしめき合っている。昨日の襲撃の後だというのに、いやむしろ襲撃があったからこそ、魔族たちの結束は高まっていた。
ヴァルゼンは紋様の中央に立たされた。
足が震えている。
もう三日くらいずっと震えている気がする。いつ止まるんだこれは。
穏健派の長老が、儀式の言葉を読み上げ始めた。古代魔族語の厳かな響きが議場に満ちる。
懐疑派の長老が、渋い顔のまま——だが、確かに膝を折った。
一人、また一人と、魔族の代表者たちが忠誠の言葉を述べ、頭を垂れていく。
ヴァルゼンはその光景を見ていた。見ていることしかできなかった。
手が震えた。
緊張と、それから——名前のつけられない感情で。
この人たちが自分を王と認めている。先代の真実を知った上で。自分に戦闘力がないことを(たぶん)察した上で。それでも——力ではなく、何か別のものに頭を下げている。
嬉しいのか。怖いのか。申し訳ないのか。
全部だった。
手の震えが止まらなかった。
そのとき。
とてとてと小さな足音が聞こえた。
あの子供だった。
母親の手を振りほどいて、紋様の中央まで歩いてきた。周囲の大人たちがぎょっとした顔をしたが、子供は気にしていない。
「おうさま、て、ふるえてる」
子供がヴァルゼンの右手を、小さな両手で包んだ。
「だいじょうぶ。こわくないよ」
ヴァルゼンは——笑った。
力の抜けた、少し情けない、でも温かい笑みだった。
「ありがとう。もう大丈夫だよ」
震えが止まった。
その光景を、議場の魔族たちは息を呑んで見ていた。
魔王が震えている。子供がその手を握る。魔王が微笑む。
それだけの光景だった。
だが——魔族たちの心を、何かが貫いた。
「あの魔王は」
懐疑派の長老が、誰に言うでもなく呟いた。
「力ではなく——心で、民を導くのか」
穏健派の長老が頷いた。
「そうだ。我らが千年待ち望んだ王は——こういう方だったのかもしれない」
儀式は、そのまま終わった。形式的な手続きは残っていたはずだが、誰も気にしなかった。子供が魔王の手を握った瞬間に、全てが終わっていた。
ヴァルゼンは子供を抱き上げて、議場の外に出た。夕暮れの空が赤く燃えている。
エルヴィンが拳を突き上げた。
「見たか! ヴァルゼンが魔族の王として正式に認められた! 歴史的瞬間だぞ!」
「歴史的って……」
「魔王が人間にも魔族にも認められた唯一の存在! これはすごいことだ!」
(すごいことなんだろうか。子供に手を握ってもらっただけなんだけどな)
グリゼルダが横に立った。
「おめでとうございます、ヴァルゼン様」
「あ、ありがとう。……何がめでたいのか、正直よくわからないけど」
フェリクスがモノクルを外して磨きながら言った。
「わかっていないところが、貴方の最大の武器ですよ、魔王殿」
ミラベルは——泣いていた。当然のように泣いていた。
「ヴァルゼン様……おめでとうございます……うぅ……」
「泣かないで、ミラベル。僕まで泣きそうになるから」
ザガンが一歩下がったところに立ち、静かに頭を下げた。
「陛下。先代がご覧になっていたら——きっと、安心されたことでしょう」
ヴァルゼンは空を見上げた。
魔王として認められた。人間にも。魔族にも。
嬉しいような。怖いような。不安なような。
(俺が魔王とか、絶対なにかの間違いだと思うんだけど……)
でも——もし、本当にこの人たちの力になれるなら。
ほんの少しだけ。本当にほんの少しだけ。
悪くないかもしれない、と思った。




