庇う者
庇う者
残党の掃討が終わったのは、正午を過ぎた頃だった。
古都の守備隊が外縁部を制圧し、地下通路の侵入者も全員が拘束された。エルヴィンとグリゼルダの活躍もあり、被害は最小限に抑えられた。
だがヴァルゼンは、まだ立てないでいた。
議場の壁際に座り込んで、膝を抱えている。隣にミラベルが付き添い、背中をさすっていた。
「大丈夫ですか、ヴァルゼン様」
「う、うん。大丈夫。たぶん。……足がまだ震えてるけど」
フェリクスが水の入った杯を差し出した。
「飲んでください。糖分が入っています。精神的ショック後には糖分の補給が有効です」
「あ、ありがとう……」
杯を受け取る手も震えていた。情けないことこの上ない。
議場では、避難していた魔族たちが少しずつ落ち着きを取り戻していた。子供たちは母親にしがみつき、長老たちは互いに無事を確認し合っている。
ヴァルゼンが庇った子供——あの、膝に座ってきた子だ——が、母親の手を振りほどいてとてとてと歩いてきた。
「おうさま、けがない?」
「うん。怪我はないよ」
「よかった。おうさま、まもってくれた」
子供がヴァルゼンの手を握った。小さな、温かい手だった。
ヴァルゼンは言葉に詰まった。
(守ったんじゃない。パニックで飛び出しただけなんだ。でも——)
この子の前で、それを言うのは、なんだか違う気がした。
「……うん。大丈夫だよ」
それだけ言った。
議場の入口に、銀髪が揺れた。
グリゼルダが戻ってきた。大剣を背に負い、甲冑に土埃がついている。激戦だったのだろうが、表情には余裕があった。手慣れた掃討だったに違いない。
「ヴァルゼン様。残党は全て——」
報告の途中で、グリゼルダの足が止まった。
ヴァルゼンが壁際に座り、子供と長老に囲まれている光景を見て——グリゼルダの目が見開かれた。
「……ヴァルゼン様が、庇ったと聞きました」
ザガンが頷いた。
「はい。残党が議場に侵入した際、陛下が子供と長老の前に立ちはだかりました。武器も魔法もなく、ただ——身一つで」
グリゼルダの表情が変わった。
武人としての畏怖でも、戦友への敬意でもない。もっと根源的な何かが、蒼灰色の瞳の奥で揺れていた。
「私が——間に合わなかった、と」
「グリゼルダ殿が外縁部から駆けつけるまでの、わずかな空白でした。誰の責でもありません」
ザガンの声は冷静だったが、グリゼルダの耳には届いていないようだった。
グリゼルダはゆっくりとヴァルゼンの前まで歩いた。甲冑の足音が議場に響く。ヴァルゼンが顔を上げた。
「あ、グリゼルダ。お疲れ——」
「ヴァルゼン様」
グリゼルダの声が、わずかに震えていた。
グリゼルダの声が震えるのを、ヴァルゼンは初めて聞いた。
「あの方が——私の代わりに——」
小さな呟きだった。グリゼルダ自身、声に出したつもりはなかったかもしれない。
武人として、主を守ることが存在理由だった。騎士として、守るべき者の盾になることが誓いだった。
その自分が、主に守られた。
戦闘力ゼロの主に。
「……グリゼルダ? どうしたの? 怪我した?」
ヴァルゼンが心配そうに覗き込んだ。
グリゼルダは首を横に振った。表情を取り繕おうとして——失敗した。唇が震え、目の縁が赤くなっている。
「目に砂が……入っただけだ」
「え、大丈夫? ミラベル、治してあげて——」
「いらん!」
グリゼルダは身を翻して議場の外に出た。
足早に廊下を歩き、角を曲がったところで——壁に額を押しつけた。
胸の中で、何かが大きく揺れていた。
武人としての畏怖。それは今まで通りだ。ヴァルゼン様は読めない。あの方の懐の深さは計り知れない。そう思ってきた。
だが今——それだけでは説明がつかない何かが、胸を締めつけていた。
あの人は弱い。少なくとも、戦場においては自分のほうがはるかに強い。
なのに——あの人は、庇った。
力がないのを知っていて。死ぬかもしれないと知っていて。
それでも、子供と長老の前に立った。
(なぜだ。なぜあの方は、あんなことができる)
答えは出なかった。ただ、胸の奥の揺れが止まらなかった。
グリゼルダは壁から額を離し、深く息を吐いた。
「……忠誠の深化だ」
自分に言い聞かせた。
「私の忠義が、さらに深まった。それだけのことだ」
それだけのことだ。
そのはず、だった。
議場に戻ると、ヴァルゼンがまだ壁際に座っていた。子供が膝の上で眠っている。ヴァルゼンは困った顔で子供の頭を撫でていた。
「あ、グリゼルダ。大丈夫だった? 砂、取れた?」
「ああ。問題ない」
「よかった」
ヴァルゼンが笑った。穏やかな、力のない笑みだった。
グリゼルダは目を逸らした。
(……何だ、この感覚は)
ヴァルゼンの背中を見つめた。小さな背中だった。頼りなく、脆く、一撃で砕けてしまいそうな。
その背中が、先ほど子供と長老の盾になった。
何かが——変わった。
何が変わったのかは、まだわからなかった。




