小競り合い
小競り合い
議会三日目の朝、異変が起きた。
古都の外縁部から、角笛の音が響いた。長く、鋭く、途切れなく——魔族の警報だ。
ヴァルゼンは宿の窓から飛び起きた。いや、飛び起きたというのは語弊がある。布団にくるまったまま悲鳴を上げて転がり落ちた。
「何だ、何の音だ!?」
隣室からエルヴィンが甲冑を纏いながら飛び出してきた。さすが勇者、この状況でも目が輝いている。
「敵襲か! よし、行くぞ!」
「なんで嬉しそうなの!?」
グリゼルダはすでに完全武装で廊下に立っていた。寝ていなかったのか、それとも甲冑のまま寝ていたのか。後者の気がする。
「魔族強硬派の残党です」
ザガンが足早に合流した。
「懐疑派とは別の勢力——穏健路線を許さない武闘派が、古都の外縁から侵入を図っています。規模は小さい。数十名程度でしょう」
「ザガン殿、前線の状況は」
「古都の守備隊が対処しています。が——」
ザガンの目が厳しくなった。
「陽動の可能性があります。外縁部に意識を向けさせ、別動隊が内部に入り込む手口は古典的ですが有効です」
グリゼルダが即座に判断した。
「私とエルヴィンで外縁部に向かいます。ザガン殿、ヴァルゼン様の護衛を」
「承知しました。フェリクス、ミラベルも陛下のそばに」
エルヴィンが背中の聖剣に手をかけた。
「ヴァルゼン、ここにいろ。すぐ片付けてくる」
「う、うん。気をつけて」
二人が駆け去った。廊下に金属の足音が響き、やがて消えた。
ヴァルゼンはフェリクスとミラベルとザガンに囲まれて、議場に移動した。議場なら防御しやすい構造だとザガンが判断したためだ。
議場には、すでに魔族たちが避難していた。昨日まで穏健派と懐疑派に分かれて座っていた者たちが、区別なく入り混じって身を寄せ合っている。子供を抱きかかえた母親。杖にすがる老人。不安に顔を強張らせた若者たち。
外から戦闘音が聞こえてきた。金属がぶつかる音、魔法の爆裂音、叫び声。
議場がざわめいた。恐怖が伝播する。泣き声。悲鳴。
ヴァルゼンの魔力感知が反応した。
外縁部の戦闘——確かにそこが主戦場だ。だが、もう一つ。かすかだが、別方向から近づいてくる気配がある。
(……来る。別動隊だ。ザガンの読み通りだ)
「ザガン、別動隊が東側から接近しています。十人前後」
ザガンが目を見開いた。
「それは確かですか」
「たぶん。嫌な感じがするのが、その方向からなので」
「了解しました。守備隊に伝令を出します。——フェリクス、防御結界の展開を」
「承知しました」
フェリクスが詠唱を始めた。議場の入口に淡い光の膜が形成されていく。
ザガンが指示を飛ばす。古都の守備隊の一部が転進する。
だが、ヴァルゼンの魔力感知が別のものを捉えた。
(……もう一つ? いや、これは——)
議場のすぐ裏手から、気配が這い上がってきた。地下だ。地下通路から来ている。
「ザガン! 地下から——」
叫んだ瞬間、議場の床石が一枚、内側から吹き飛んだ。
土埃の中から、武装した魔族が五人、這い出てきた。
議場に悲鳴が上がった。避難していた魔族たちがパニックを起こして逃げ惑う。
「くっ——」
フェリクスの結界は入口に展開されていた。背後からの奇襲には対応が遅れる。ザガンが即座に魔法を放ったが、五人の侵入者は散開して回避した。
混乱の中、侵入者の一人が議場の奥——子供と長老が固まっているあたりに向かって突進した。
ヴァルゼンの体が動いた。
考えるより先に。
恐怖より先に。
子供と長老の前に、立っていた。
両手を広げて。
侵入者の刃が、目の前に迫っていた。
「——っ」
声にならない声が漏れた。目を閉じた。
死ぬ。
そう思った瞬間——
「皆さん、落ち着いてください!」
自分の口から出た声が、議場に響いた。
怯えた声だった。震えた声だった。
だが——響いた。
パニックの議場が、一瞬、静まった。
その一瞬で——
銀光が閃いた。
グリゼルダの大剣が侵入者の武器を弾き飛ばし、蹴りで壁際まで吹き飛ばした。間に合った。外縁部から全速力で戻ってきたのだ。
エルヴィンが床の穴から残りの侵入者を聖剣の光で制圧した。
数秒で、戦闘は終わった。
ヴァルゼンは膝から崩れ落ちた。
足が、もう一歩も動かなかった。
「ヴァルゼン様!」
ミラベルが駆け寄って回復魔法を展開した。怪我はない。怪我はないが——精神的ダメージは甚大だった。
(死ぬかと思った。死ぬかと思った。いや本当に死ぬかと思った。なんで僕はあそこに飛び出したんだ。パニックで体が勝手に動いただけだ。たぶん。きっと。そうに違いない)
議場のざわめきが、ゆっくりと戻ってきた。
だが——その質が、さっきとは違った。
「魔王様が……庇ってくれた」
「我々を守ろうとした」
「あの方は、我々の盾になろうとした」
声が、議場を満たしていった。
ヴァルゼンは否定したかった。違う、パニックだっただけだと。でも膝が震えすぎて声が出なかった。
エルヴィンが残党を拘束しながら振り返り、満面の笑みを浮かべた。
「やっぱりヴァルゼンはすげぇな。声一つで魔族を統御するとか——」
「統御してない! 全然してない!」
だが、この叫びもまた、誰にも正確には届かなかった。




