声なき声
声なき声
議会の二日目が始まった。
昨日とは空気が違った。穏健派も懐疑派も、席についた魔族たちの顔に「まあ聞いてみよう」という色が浮かんでいる。劇的な変化ではないが、拒絶が半減しているだけでヴァルゼンの胃には優しい。
だが、二日目の話は——昨日よりもずっと重かった。
最初に手を挙げたのは、片腕を失った壮年の魔族だった。
「人間の討伐隊にやられました。大戦の終結後です。和平が結ばれた後で、です」
声は抑えられていたが、その奥に積年の怒りが渦巻いていた。
「和平の後も、辺境の人間は魔族狩りを続けた。国としては禁じたはずだと言うが、末端まで行き届いていない。家畜が病気で死ねば魔族のせい。川が溢れれば魔族のせい。何でも魔族のせいにされて、ある日突然、矛が向けられる」
議場が重く沈んだ。
次に語ったのは、子連れの女性だった。
「この子は半魔族です。人間の父親と魔族の私の間に生まれました。人間の村では化け物と呼ばれ、魔族の里では血が穢れていると言われます。この子の居場所は——どこにもないんです」
女性が子供を抱きしめた。子供は何が起きているかわからないまま、母親にしがみついていた。
ヴァルゼンの胸が痛んだ。
これは——解決策を示せる類の問題ではなかった。構造的で、根深くて、何世代にもわたる憎悪と偏見が絡み合っている。「一緒に考えましょう」すら軽く響きそうで、ヴァルゼンは言葉を選べなかった。
だから、黙っていた。
黙って、彼女の目を見ていた。
「——聞いてくれるだけで、いいんです」
女性が微かに笑った。諦めと、それでも消えない微かな希望が滲んだ笑みだった。
「誰にも言えなかったから。聞いてもらえるだけで」
ヴァルゼンは何も言えなかった。唇を噛んで、ただ頷いた。
その沈黙を、フェリクスがモノクルの奥から観察していた。
「黙ることで重みを与えている。……いや、違うな。あの方は本当に言葉が見つからないだけだ。だが、その沈黙がかえって——」
フェリクスは手帳に書き込む手を止めた。
「……民の苦しみを魔王の心に刻んでいる、か。我ながら詩的な表現だが、事実そう見える」
話は続いた。
虚淵による被害の報告が相次いだ。農地が侵食され、水源が汚染され、古い森が丸ごと消えた。魔族の集落が移動を余儀なくされ、行き場を失った者が古都に流れ込んでいる。
居住地の問題。人間社会との軋轢。内部の格差。病と貧困。
魔族社会が抱える傷は、ヴァルゼンが想像していたよりもはるかに深かった。
ヴァルゼンは真剣な顔で聞き続けた。
それは演技ではなかった。本当に深刻すぎて、表情を取り繕う余裕がなかっただけだ。
だが議場の魔族たちには、別のものが見えていた。
「あの表情……我々の苦しみを、魔王様は一つ残さず受け止めている」
「先代にはなかった目だ。あの方は、我々と同じ痛みを感じている」
ヴァルゼンの内心は悲鳴を上げていた。
(受け止めるとか痛みとか、そんな大層な話じゃないんだ。ただ深刻すぎて言葉が出ないだけなんだ。でも黙ってると勝手に解釈が膨らんでいく。いつものやつだ。いつもの、いつものやつだ)
日が傾く頃、最後に手を挙げたのは懐疑派の席に座る初老の魔族だった。
議場が緊張した。懐疑派から発言があるのは初めてだった。
初老の魔族はゆっくりと立ち上がり、ヴァルゼンを見た。その目は厳しかったが、朝とは少し違う色を含んでいた。
「……話を聞くだけなら、誰にでもできる」
昨日の長老と同じ言葉だった。
「だが」
初老の魔族は一度言葉を切り、議場を見回した。泣いている者。黙っている者。拳を握りしめている者。
「ここまで聞いた者は——確かに、いなかった」
議場に、小さなさざ波が走った。
「私は今日、考えを改めたわけではない。だが——明日も話を聞いてくれるのなら、私も話そう」
ヴァルゼンは頷いた。
「もちろんです」
その声は震えていなかった。
議会の二日目が終わったとき、ヴァルゼンは演壇の上で立ったまま目を閉じた。疲労で倒れそうだった。
エルヴィンがそっと肩を支えた。
「帰ろう。今日はよくやった」
「……僕は何もやってないよ。座って聞いてただけだ」
「それが一番難しいんだとさ。フェリクスがそう言ってた」
ヴァルゼンは力なく笑った。
帰り道、ミラベルが隣を歩きながら小声で言った。
「ヴァルゼン様のお顔、変わりましたね」
「え? そう?」
「はい。……言葉にするのが難しいのですが、あの議場で話を聞いている時のヴァルゼン様は——とても真剣で、とても優しくて」
ミラベルが言葉を切った。少し赤くなっている気がしたが、夕焼けのせいかもしれない。
「この人を一人にしてはいけない——って、思いました」
「え?」
「あ、いえ。何でもないです。何でもないです」
ミラベルは帽子を深くかぶって足早に先へ行ってしまった。
ヴァルゼンは首を傾げた。
(何だったんだ、今の)
後ろでザガンが尾を微かに揺らしながら、何も言わなかった。




