聞く王
聞く王
ヴァルゼンは、聞いた。
最初に語ったのは、先ほどの若い女性だった。人間の国との境にある小さな村の出身で、十年前に領土紛争の巻き添えで村が焼かれた。家族は散り散りになり、彼女だけが古都に辿り着いた。
「ずっと、誰にも言えなかったんです。魔族同士でも、弱さを見せれば蔑まれるから」
ヴァルゼンは黙って聞いた。相槌を打つことすら忘れていた。ただ、彼女の目を見ていた。
「それは……辛かったですね」
出てきたのは、そんな一言だけだった。
壮大な慰めの言葉でもなく、解決策の提示でもない。ただの、ありふれた一言。
だが女性は泣き崩れた。
「ありがとうございます。ありがとう——ございます」
それを見ていた別の魔族が、手を挙げた。
「俺の話も聞いてくれるか」
壮年の魔族の男だった。鍛冶師だという。人間の商人に騙されて財産を失い、工房を畳む寸前だったという話を、朴訥に語った。
「誰に訴えても、魔族だからと門前払いだった。先代の時代ですらそうだった。魔王様には、我々の声は届かなかった」
「……一緒に考えましょう。すぐには何もできないかもしれないけど、一緒に考えさせてください」
議場がさざなみのようにざわめいた。
穏健派の長老が涙を拭いている。
「先代すら成し得なかった……民との対話だ」
フェリクスが演壇の脇で手帳に猛烈な速度で書き込んでいた。
「興味深い。威圧でも弁舌でもなく、傾聴による信頼構築。これは外交学の教科書を書き換える手法ですよ、魔王殿」
(手法とかじゃないんだけど。何も思いつかなかったから聞いてるだけなんだけど)
しかし、声は止まらなかった。
三人目。四人目。五人目。
魔族たちの話は多岐にわたった。居住地の問題。子供の教育。薬草の不足。虚淵による作物被害。人間社会からの差別。古い法律の矛盾。
ヴァルゼンは一人ずつ、丁寧に聞いた。
解決策を出したわけではない。気の利いた返しをしたわけでもない。ただ「それは大変ですね」「なるほど」「一緒に考えましょう」を繰り返しただけだ。
だが——魔族たちの表情は、確実に変わっていった。
十人目が話し終えた頃、懐疑派の長老が低く唸った。
「……こんな魔王は見たことがない」
呆れた声だった。呆れた声のはずだった。だが、その口調にはわずかな困惑と、認めたくないものを認めかけている者の響きがあった。
穏健派の魔族たちが水を得た魚のように活気づいた。
「ほら見ろ! あの方は我々の声を聞いてくださる!」
「先代にはできなかったことだ!」
「これこそが、真の——」
「おい、調子に乗るな」
懐疑派の長老が声を上げた。議場が静まる。
「聞くだけなら誰にでもできる。問題は、聞いた上で何ができるかだ」
正論だった。ヴァルゼンもそう思った。
(そうだよな。聞くだけじゃ何も変わらない。僕には力もないし、知識もないし、人脈もない。聞いたところで——)
「だが」
懐疑派の長老が、ヴァルゼンを見据えた。
「……ここまで聞いた者はいない」
議場が息を呑んだ。
「先代は強かった。しかし、民の声を聞く暇はなかった。先々代は遠かった。民の声に関心すらなかった。千年の歴史の中で、魔王が民の前に座り、一人ずつ話を聞いたことなど——一度もない」
長老の声に、認めたくない何かと戦っている響きがあった。
「……今日のところは、ここまでにしよう。話し合いは明日も続ける」
議論は終わらなかった。だが、空気は変わった。
議場を出ると、夕焼けの空が広がっていた。ヴァルゼンは精根尽き果てて、壁にもたれかかった。
「お疲れ様です、ヴァルゼン様」
ミラベルが回復魔法の光を手に灯して近づいてきた。
「身体の疲れは治せますが、心の疲れは……すみません、私の魔法では」
「ありがとう、ミラベル。大丈夫だよ。ちょっと……うん、ちょっと疲れただけ」
エルヴィンが満足そうに頷いた。
「やっぱりヴァルゼンはすごいな。あの懐疑派の頑固親父が折れかけてたぞ」
「折れてないよ。全然折れてないよ。明日も続くんだよ」
「大丈夫だ。お前なら明日も上手くやれる」
(その自信はどこから来るんだ)
壁にもたれたまま、ヴァルゼンは夕焼けを見上げた。
聞くことしかできなかった。何一つ解決できていない。
それでも——魔族たちの目が変わっていったのは、確かだった。
あの目は何だったのだろう。
まだ、わからなかった。




