議場の魔王
議場の魔王
「お前が王であるという、たった一つの証拠を示せ」
懐疑派の長老の声が、石壁に反響して消えた。
議場に沈黙が降りた。数百の魔族の目が、演壇の上の小さな魔王に集中している。
ヴァルゼンの足が震えていた。
正確に言えば、膝から下の全部が震えていた。ローブの裾が小刻みに揺れているのが自分でもわかる。止めたいのに止まらない。
(証拠。証拠って言われても。僕が王である証拠なんて、あるわけないだろう。ないものは出せない。どうする。どうすればいい。逃げるか。逃げたら終わりだ。でも逃げたい。死ぬほど逃げたい)
穏健派の魔族たちが不安そうにヴァルゼンを見つめている。懐疑派は腕を組み、値踏みするように目を細めている。
客席のエルヴィンが立ち上がりかけたのを、グリゼルダが腕を掴んで制した。「今は、あの方の番だ」と唇が動いたのが見えた。
フェリクスが演壇の脇から小声で促す。
「何か、お言葉を」
ヴァルゼンは口を開いた。そして閉じた。また開いた。
「あ、あの……」
声が裏返った。
懐疑派の長老が眉をひそめた。穏健派の長老が額を押さえた。ザガンは無表情だったが、尾の先が微かに揺れていた。
「えっと、その……証拠、と言われましても……」
情けない声だった。魔王の威厳は完全に不在だった。
だが、ヴァルゼンは逃げなかった。膝は震えていたけれど、足はその場に留まっていた。
「僕には……たぶん、皆さんが求めるような証拠はありません」
議場がざわついた。穏健派から悲鳴に近い声が上がる。
「い、いや、ちょっと待ってください。最後まで聞いてください」
ヴァルゼンは両手を前に出した。全力で宥める姿勢だ。魔王というより学校の先生に近い。
「僕が強いかどうかは——正直、わかりません。皆さんが認めてくれるような強さがあるかも、わかりません」
懐疑派の長老が鼻を鳴らした。「ほら見ろ」と言わんばかりの表情だ。
「でも」
ヴァルゼンは、自分でも予想していなかった言葉を口にした。
「皆さんの話を、聞かせてください」
議場が静まった。
「昨日の夜、篝火のそばで先代の話を聞きました。皆さんが先代を敬っていたこと、そして——先代を一人にしてしまったことを、ずっと悔やんでいること」
穏健派の長老が目を見開いた。
「それを聞いて、僕は——何て言えばいいんでしょう。皆さんが何を大切に思っていて、何を恐れていて、何を望んでいるのか、もっと聞きたいと思いました」
ヴァルゼンの声は震えていた。堂々とした演説には程遠い。しかし、その震えた声は議場の隅まで届いていた。
「だから——王の証拠を出す代わりに、皆さんの声を聞かせてもらえませんか。僕にできることがあるかどうかは、それから考えます」
長い沈黙が落ちた。
穏健派が顔を見合わせた。
懐疑派が顔をしかめた。
穏健派の長老が口を開きかけたとき——客席の一角から、低い拍手が響いた。
振り返ると、客席の片隅に座っていた若い魔族の女性が、泣きながら手を叩いていた。
「聞いてくれるんですか。本当に?」
ヴァルゼンは頷いた。
「は、はい。もちろん」
「じゃあ——聞いてください。私の村のこと。人間の国との境にある村で、十年前に起きたことを」
堰を切ったように、女性が語り始めた。
それを皮切りに、議場の空気が変わった。
一人、また一人と、魔族たちが手を挙げ始めた。穏健派だけではない。懐疑派の席からも、恐る恐る手が上がった。
懐疑派の長老が苦虫を噛み潰したような顔で、だが——止めなかった。
フェリクスが客席のミラベルに目配せをした。ミラベルはすでに泣いていた。いつものことだ。
エルヴィンが満足そうに腕を組んだ。
「な。ヴァルゼンはすごいだろう」
グリゼルダが小さく頷いた。
「ああ。——あの威圧の前で一歩も引かなかった。さすがだ」
(威圧とか引かないとか、そういう話じゃないんだけど。震えてただけなんだけど)
だが、その内心は誰にも聞こえない。
議場に、魔族たちの声が響き始めた。




