穏健派と懐疑派
穏健派と懐疑派
翌朝、ヴァルゼンは魔族の議場に向かう道すがら、胃の痛みと戦っていた。
議場は古都の北端にある半円形の石造建築で、すり鉢状の客席が中央の演壇を囲む構造になっていた。要するに、全方位から見下ろされる。
(最悪の構造だ。どこにも隠れる場所がない)
開場前だというのに、すでに議場の周囲は魔族で溢れかえっていた。声が飛び交い、空気が熱い。
「ずいぶんな人出ですね」
フェリクスが興味深そうにモノクルを覗き込んだ。
「昨夜の追憶の集い以降、古都中が騒然としているようです。ヴァルゼン殿を正式に王として認めるか否か——この議論は、魔族社会の今後を左右する重大な分岐点ですから」
(そんな重大な話に僕を巻き込まないでほしいんですけど)
議場に入ると、すでに席は半分以上埋まっていた。左側にはヴァルゼンに好意的な表情の魔族たちが固まり、右側には厳しい顔つきの魔族たちが座っている。
ザガンが小声で解説した。
「左が穏健派です。先代の記録を根拠に、陛下を新たな魔王として正式に認めたいと考えている。右が懐疑派。戦闘力のない者を王とは認められないという立場です」
「……半々くらいに見えるんですけど」
「おおむねその通りです。だからこそ議会が必要なのですよ」
つまり、どちらに転ぶかわからない。
(帰りたい。今すぐ帰りたい)
しかし帰路はエルヴィンの背中に塞がれていた。勇者はいつものように満面の笑みだった。
「よし、行こう。ヴァルゼンなら大丈夫だ」
「何を根拠に大丈夫だと——」
「俺が信じてるからだ!」
根拠ゼロだった。
議場の中央に設けられた演壇に立たされたヴァルゼンを、数百の魔族の目が見つめた。
穏健派の長老が最初に口を開いた。昨夜の白髪の老魔族だ。
「先代魔王の記録は明白です。魔王の本質は戦闘力ではなく、魔力循環の管理と種族間の調停にある。ヴァルゼン殿はその資質を備えている。先代の記録がそれを証明しています」
拍手が起きた。穏健派のあたりから。
だが、すぐに懐疑派の長老が立ち上がった。角が三本ある巨躯の老魔族で、傷だらけの顔に歴戦の凄みが滲んでいる。
「記録だけでは王の証明にならない」
低い声が議場に響いた。穏健派の拍手がぴたりと止まった。
「我々魔族は、千年にわたって力ある者を王と仰いできた。先代がどう書き残そうと、力なき者に膝を折ることはできぬ」
懐疑派の魔族たちが一斉に頷いた。
穏健派と懐疑派が睨み合う。議場の温度が一気に下がった。いや、正確には上がったのだろうが、ヴァルゼンにとっては凍りつくような空気だった。
(両方の言い分がわかるんだけどな……。先代の記録は確かに衝撃的だったし、でも力のない王を認められないという気持ちもわかる。だって僕自身がそう思ってるんだから)
双方の主張が激しくぶつかり合った。
「先代の遺志を無視するのか!」
「遺志だけで国は守れぬ!」
「記録が嘘だと言うのか!」
「嘘とは言わぬ。だが記録は過去で、脅威は今だ!」
ヴァルゼンは演壇の上で立ち往生した。両側から飛び交う怒号に挟まれ、足がすくんでいる。
グリゼルダが客席から鋭い目で議場を見渡していた。万が一に備えて、大剣の柄に手を添えている。エルヴィンも表情が引き締まっている。
フェリクスがヴァルゼンの横に立ち、小声で囁いた。
「このまま双方が平行線を辿れば、議論は決裂します。何か——一つでもいいので、お言葉を」
(何を言えばいいんだ。僕に何が言えるんだ。戦闘力がないのは事実だし、先代の記録に自分が当てはまるなんて思っていないし)
議場の怒号がさらに激しくなった。
そのとき、懐疑派の長老がヴァルゼンに向き直った。
「魔王と名乗る者よ」
巨躯の老魔族が一歩、前に出た。その圧に、ヴァルゼンの足が震えた。
「我々が問うているのは一つだ。お前が王であるという、たった一つの証拠を示せ」
議場が静まり返った。
数百の目が、ヴァルゼンを見つめている。
答えは——まだ、見つからなかった。




