食卓の外交
食卓の外交
古都での二日目の昼食は、魔族の食堂でとることになった。
ザガンが案内してくれたのは、古都の中層にある大食堂だった。天井から岩盤が迫り、壁面には魔族の古い彫刻が施されている。長いテーブルが何列も並び、そこに魔族たちが座って食事をしている——のだが、ヴァルゼン一行が入った瞬間、食堂全体が凍りついた。
箸を持つ手が止まり、スープを飲む口が止まり、会話が止まった。
「ま、魔王様が食堂に……!?」
給仕の魔族が皿を取り落としそうになった。
(お邪魔してすみません。本当にすみません。どこか隅っこでいいんですけど)
「こちらへどうぞ、陛下」
ザガンが先導し、食堂の中央のテーブルに案内された。中央。一番目立つ席。ヴァルゼンの望みとは正反対の位置だった。
料理が運ばれてきた。
見慣れないものばかりだった。赤黒い肉の煮込み。紫色のスープ。虹色に光るゼリー状の何か。菌糸のようなものが絡まった炒め物。
(……何これ。全部見たことない。食べて大丈夫なのか、これ)
「魔族の伝統料理です」
ザガンが説明した。
「火山岩の近くで育った獣の肉を低温で煮込んだもの、地底の苔から抽出したスープ、魔力を含んだ果実のゼリー、そして菌糸と岩塩の炒め物です」
(全部の説明が怖い。火山岩の獣、地底の苔、魔力の果実、菌糸。ファンタジーが過ぎる)
エルヴィンは何の躊躇もなくスープを口に運んだ。
「おお、これは! 独特だが旨いぞ!」
フェリクスが肉の煮込みを一口食べて、感心した顔をした。
「なるほど。低温調理で肉の繊維が崩れるまで煮込んでいる。人間の料理にはない手法ですね」
グリゼルダは黙々と食べていた。量は人一倍多いが、武人にとって食事は栄養補給だ。味については何も言わない。
ミラベルは恐る恐る虹色のゼリーを口に入れ——目を丸くした。
「甘い……! すごく甘くて、口の中で溶けます……!」
ヴァルゼンも覚悟を決めて、スープを一口飲んだ。
(……あ。美味しい)
予想に反して、優しい味だった。苔のスープと聞いて覚悟していたが、実際には深いコクのある、温かいスープだった。体の芯に染みるような味。
「美味しいですね」
素直に言った。声が少し大きかったかもしれない。
食堂が——沸いた。
「ま、魔王様が! 美味しいと!」
「我々の料理を認めてくださった!」
「料理長! 料理長! 聞いたか!」
厨房から、巨体の料理長が飛び出してきた。身長二メートル超え。腕の太さはヴァルゼンの太ももくらいある。角は見事に二本、天を突いている。
その料理長が——泣いていた。
「魔王様に美味しいと言っていただけるとは……! 私は今日のために五十年間厨房に立ってきたのです……!」
(五十年!? いや、美味しいって言っただけなんですけど!?)
「長年、人間社会からは『魔族の飯は食えたもんじゃない』と言われてきました。それが——それが——」
料理長が号泣した。巨体が震えている。
(なんでこんな大事になるの。僕はただ感想を言っただけなのに)
エルヴィンが料理長の背中をバンバン叩いた。
「泣くな泣くな! 美味いもんは美味いんだ! もっと食わせてくれ!」
「はいっ! いくらでも!」
料理長が涙を拭いて厨房に戻り、次から次へと料理が運ばれてきた。食堂の空気が一変し、緊張が解けて賑やかになった。魔族たちが恐る恐るヴァルゼンのテーブルに近づき、自分の好物を薦め始めた。
「これも食べてください、魔王様。自慢の干し肉です」
「こっちは岩塩の結晶飴です。子供に人気で——」
「地底水で作った酒はいかがですか」
(断れない。全部断れない。お腹がはちきれそうだ)
ヴァルゼンは苦笑しながら、差し出されるものを片端から食べた。美味しいものも、微妙なものもあったが、全部「美味しいです」と言った。嘘ではない。少なくとも、一生懸命作ってくれたものを不味いとは言えなかった。
食事が終わる頃には、食堂全体がヴァルゼンの歓迎会のようになっていた。
ザガンが静かに呟いた。
「あれを見れば、わかりますか」
ヴァルゼンが振り向くと、ザガンの視線は食堂の窓の向こう——古都の最奥にそびえる黒曜石の建物に向けられていた。
「先代魔王の記録保管庫。あれを見れば——魔王とは何かが、わかるかもしれません」
その声には、先を見据えた静かな覚悟があった。




