役割という名の問い
役割という名の問い
翌朝、セラフィオンがヴァルゼンを呼び出した。
宿の裏庭にある石のベンチ。朝露に濡れた草が光を弾き、小鳥の声が聞こえる穏やかな場所だった。だがヴァルゼンの心は全く穏やかではなかった。神使に一対一で呼び出される状況は、どう考えても良い兆候ではない。
「座れ」
「は、はい」
ヴァルゼンはベンチの端に座った。セラフィオンはベンチには座らず、例によって地面の数センチ上に浮いていた。
「昨夜の観測を踏まえ、汝に伝えるべきことがある」
(伝えるべきこと。嫌な予感しかしない)
セラフィオンの金色の瞳が、真正面からヴァルゼンを捉えた。
「魔王とは、世界秩序の一部だ」
「はい」
「神々が世界を創った際、秩序の維持に複数の楔を設計した。勇者。聖女。そして魔王。それぞれが世界の均衡を保つ役割を担っている」
「なるほど……」
なるほどと言ったが、実はあまりわかっていなかった。
「汝には、その役割がある。魔王としての役割だ」
セラフィオンの声は事実を述べるように平坦だった。感情の色がない。ただの報告。
「お前の魔力感知は、世界の魔力循環を感じ取る能力だ。それは魔王として——いや、世界の管理者として、極めて重要な資質だ」
(管理者。先代の記録にも書いてあった言葉だ)
「汝には、世界を感じ取り、異常を察知し、秩序を維持する役割がある。それが——魔王の本質だ」
ヴァルゼンは黙って聞いていた。
役割。世界秩序の一部。管理者。
大きすぎる言葉の数々が、ヴァルゼンの小さな肩にのしかかろうとしていた。
「あの」
「何だ」
「役割って、具体的に何ですか」
セラフィオンの翼が止まった。
「……何だと?」
「いえ、あの。『世界秩序の一部』とか『管理者』とか仰いますけど——具体的に、僕は何をすればいいんでしょうか。毎日虚淵を感知して、避難指示を出して、それだけですか? それとも他にも何かあるんですか? 具体的に教えていただけると助かるんですけど」
セラフィオンが黙った。
金色の瞳の幾何学模様が——止まった。完全に。
(あ、まずい。怒らせた?)
だがセラフィオンは怒ってはいなかった。怒っているのではなく——言葉に詰まっていた。
「……具体的に、とは」
「はい。具体的にです。たとえば、朝起きて最初にすることは何ですか。虚淵を感知したらどの順番で対応しますか。魔力循環の管理って、何をどうすれば管理したことになるんですか」
セラフィオンの翼が不規則に明滅し始めた。
ヴァルゼンは気づいていなかったが、彼は今、数千年の歴史を持つ神使の知識体系の盲点を突いていた。
神々が設計した「魔王の役割」は、概念としては存在する。だが具体的な手順やマニュアルは——ない。歴代の魔王は圧倒的な戦闘力を持ち、本能的に秩序を維持していた。具体的な手順を必要としなかったのだ。
戦闘力のない魔王が「具体的に何をすればいいか」と問うた瞬間、神々の設計の穴が露呈した。
遠くの窓から、フェリクスが二人の様子を観察していた。
「ヴァルゼン殿の質問で、セラフィオン殿が絶句していますね」
「すげーな、ヴァルゼン。質問だけで神使を黙らせるなんて」
エルヴィンが感心した声を上げた。
「万知の王の面目躍如ですね」
フェリクスがモノクルを光らせた。
(いや、聞こえてないけど絶対変な解釈してるだろうな、あの人たち)
裏庭では、セラフィオンがようやく口を開いた。
「……その問いの答えは」
長い沈黙。神使にとって数千年で初めて味わう種類の沈黙だった。
「お前自身が、見つけるしかない」
(逃げた)
ヴァルゼンはそう思った。超然とした神使が、質問から逃げた。
だがそれを口に出すほど命知らずではなかった。
「わかりました。自分で考えてみます」
「……ああ」
セラフィオンの翼が、ゆっくりと通常の明滅パターンに戻った。だが金色の瞳には——かすかな動揺の残滓が漂っていた。
宿の窓際で、フェリクスがメモを取っていた。
「神使に概念的な質問ではなく実務的な質問を投げかけることで、相手の知識体系の限界を暴く。恐るべき知的戦術です」
(戦術じゃない。本当にわからなかっただけだ)
だがその内心の叫びは、いつものように、誰にも届かなかった。




