神使の同行
神使の同行
セラフィオンがパーティに加わった初日は、混乱の連続だった。
まず宿屋に入った瞬間、主人が平伏した。文字通り、カウンターの向こうで土下座をした。
「し、神使様がお泊まりに……! うちのような安宿で、申し訳ございません! 今すぐ最上階の部屋を空けます! いえ、宿ごとお譲りします!」
「不要だ。我に睡眠は必要ない」
セラフィオンの一言で、主人は気絶しかけた。
(あの、宿の人を壊さないでほしいんですけど……)
次に問題が起きたのは食事の時間だった。
一行がテーブルを囲み、宿の食堂で夕食をとることになった。ヴァルゼンの隣にエルヴィン、向かいにフェリクスとグリゼルダ、斜めにミラベルとザガン。そしてテーブルの端に——椅子に座っているのか浮いているのか判然としない姿勢で、セラフィオンがいた。
料理が運ばれてきた。パンと肉のシチュー、焼き野菜、チーズの盛り合わせ。質素だが温かい食事だ。
全員が食べ始めた。セラフィオンだけが動かなかった。
(あれ、食べないのかな)
ヴァルゼンはちらりとセラフィオンを見た。神使は腕を組んだまま、金色の瞳でテーブルの上の料理を——観察していた。観測眼で料理を分析しているのかもしれない。
「あの、セラフィオンさん。食べないんですか?」
口にしてから、しまったと思った。神使に向かって「食べないんですか」は失礼かもしれない。
セラフィオンの翼がわずかに揺れた。
「人の食べ物は不要だ。我の体は魔力で維持されている」
「そうですか。でも……美味しいですよ、これ」
ヴァルゼンはスプーンでシチューをすくい、セラフィオンの方に差し出した。深い意味はなかった。ただ、美味しいものを目の前で食べないのはもったいないと思っただけだ。
セラフィオンの翼が——一瞬だけ、強く明滅した。
「……美味しい、とは」
「えっと、食べたときに幸せな気持ちになるというか。温かくて、お腹が満たされて——」
「栄養摂取の効率で言えば、魔力変換の方が——」
「効率の話じゃなくて。ただ、美味しいものを食べると嬉しいんです」
セラフィオンが黙った。金色の瞳がシチューの皿を見つめている。幾何学模様の回転が、微妙に遅くなっていた。
エルヴィンがにかっと笑った。
「食え食え、セラフィオン。人間の飯は悪くないぞ」
「勇者。我は人間ではない」
「まあまあ硬いこと言うなよ」
ミラベルが小さな取り皿にシチューをよそい、セラフィオンの前に置いた。
「よかったら、召し上がってください」
セラフィオンは取り皿を見つめた。三秒ほどの沈黙のあと、スプーンを手に取った。
ぎこちない手つきでシチューをすくい、口に運んだ。
翼が——ばさりと大きく広がった。
「おっ、どうした?」
エルヴィンが身を乗り出した。
「……何でもない。観測に支障はない」
セラフィオンの声は平坦だった。だが翼の明滅は、明らかにいつもより速かった。
(今、動揺した? セラフィオンが、シチューで動揺した?)
フェリクスがモノクルの奥で目を細めた。何かを記録するように。
その夜、ヴァルゼンは宿の部屋でベッドに横たわっていた。隣のベッドではエルヴィンが即座に眠りに落ち、豪快ないびきをかいている。
廊下の気配を感じた。
ドアの隙間から淡い光が漏れている。セラフィオンだ。神使は眠らない。廊下に立ち——おそらく観測を続けている。
(この人がずっと傍にいるのか。ずっと観察されるのか。胃が痛い)
だが——シチューを食べたときの翼の動きを思い出すと、少しだけ可笑しかった。
(神使でも、美味しいものは美味しいんだな)
その小さな発見が、なぜだか少しだけ、セラフィオンとの距離を縮めたような気がした。
街では新たな噂が広がり始めていた。
「魔王様に、神使がお付きになったらしい」
「神の使いが仕えるなんて、どれほどの魔王なんだ」
「試練を超越した存在に、神すら敬意を表したんだよ」
(全部違います。同行してるのは観察のためで、敬意なんか一ミリも表されてない)
だがその訂正は——いつものように——誰にも届かなかった。




