徳は周囲に宿る
徳は周囲に宿る
証言が一段落したとき、草原には百人を超える人々が集まっていた。
ヴァルゼンは呆然と立ち尽くしていた。目は赤く、袖は涙を拭いた跡でくしゃくしゃだった。およそ魔王の威厳とは程遠い姿だったが、誰もそれを笑わなかった。
セラフィオンが動いた。
草原の中央に降り立ち、三対の翼を静かに広げた。金色の瞳が、集まった人々を一人一人見渡していく。観測眼が全ての証言を記録し、分析し、結論を導き出そうとしている。
「——徳の試練は、本来、受験者自身の内面を問うものだ」
セラフィオンの声が草原に響いた。感情を排した、平坦な声。しかし——その平坦さに、わずかな揺れが混じっていた。
「受験者が自らの善行を語り、その真偽を我が観測眼で判定する。それが、歴代の試練の形式だった」
翼が微かに明滅した。
「だが」
セラフィオンが言葉を切った。金色の瞳の幾何学模様が、通常とは異なる速度で回転している。
「この者は——自らの善行を語れなかった」
視線がヴァルゼンに向けられた。
「善行を善行と認識せず、偶然と呼び、たまたまと言い、自分は何もしていないと主張する。それが本心であることも、我の観測眼は確認している。虚偽ではない。この者は本当に——自らの善行に気づいていない」
草原の人々がざわめいた。
「だが——代わりに、証言者が現れた」
セラフィオンの視線が、百人を超える人々に向けられた。
「この者たちが語った証言に、虚偽は一つもない。我の観測眼にかけて断言する。全て真実だ」
エルヴィンが拳を握った。「だろうな」と呟いた。
「ここで我は、認めねばならぬことがある」
セラフィオンの翼が、一瞬だけ大きく広がった。
「武力で測った。知恵で測った。そして徳を——本人に問うた」
声が、わずかに硬くなった。
「全て間違いだった」
草原が静まり返った。精霊たちの光の粒子が、凍ったように動きを止めた。
「武力で測ろうとしたが、この者の力は武力にはない。知恵で測ろうとしたが、この者の知恵は一人で完結しない。そして徳を本人に問うたが——この者の徳は、本人の内にはない」
セラフィオンが、集まった人々を見渡した。
「徳は、周囲に宿っていた」
その言葉が、草原の風に乗って広がった。
ミラベルが両手を口に当てた。涙が溢れている。エルヴィンが目頭を押さえた。フェリクスのモノクルが曇った——拭おうとして、手が震えた。グリゼルダは無言だったが、その蒼灰色の目に光るものがあった。
「我は歴代の魔王を観測してきた。全員が、己の力を示し、己の知恵を語り、己の徳を誇った。それが魔王の試練だった」
セラフィオンの声が、超然とした平坦さを取り戻そうとして——取り戻しきれなかった。
「この者は、何一つ示さなかった。語らなかった。誇らなかった。代わりに——周囲が、全てを語った」
金色の瞳が、まっすぐにヴァルゼンを見つめた。
「これは我の試練設計の誤りだ。武力・知恵・徳を個人に帰属するものとして測定した前提そのものが——この者には通用しない」
精霊たちがざわめき始めた。セラフィオンが自らの試練設計を批判している。数千年の歴史を持つ試練の在り方を、神使自身が否定している。
噂は瞬時に拡散された。「神使が自らを正した」「魔王が神使を変えた」——新たな神話の種が、草原から世界へと広がっていく。
ヴァルゼンは立ち尽くしていた。
(何が起きてるのか、半分もわかってない。でも——セラフィオンが困ってるのは、わかる)
「あの」
気がつけば、口が動いていた。
「セラフィオンさん。その……難しく考えなくていいと思います」
セラフィオンの翼が一瞬止まった。
「……何だと?」
「僕、何も大したことしてないんです。本当に。でもこの人たちが来てくれて——それで僕は嬉しかった。それだけでいいんじゃないですか」
沈黙。
セラフィオンの金色の瞳が、長い長い間、ヴァルゼンを見つめていた。
「……もういい。わかった」
その声に含まれたものが何だったのか——ヴァルゼンには、まだわからなかった。




