万知の王
万知の王
精霊たちは噂好きだ。
それはもう、人間の比ではなかった。光の粒子を媒介にして情報を伝達する精霊たちのネットワークは、大陸を横断するのに半日もかからない。面白い出来事があれば、瞬く間に世界中の精霊が知ることになる。
そして今、天空の闘技場で起きた出来事は——間違いなく「面白い」の最上級だった。
「聞いた? 聞いた?」
「知恵の試練で『わからない』って答えた魔王がいるらしいよ」
「それ、ただの馬鹿じゃないの?」
「違うの! 『わからないから、仲間に聞けばいい』って言ったの!」
「……それが知恵なの?」
「セラフィオン様が黙ったんだって」
「えっ、あのセラフィオン様が?」
「試練設計者の敗北って言われてる」
精霊たちの間を駆け巡る噂は、光の速さで尾ひれがついた。半日後には大陸の半分が知ることになるだろう。そしてその頃には、事実の三倍くらいに膨らんでいるはずだ。
ヴァルゼンはそんな噂の中心にいることを知らず、闘技場の隅で膝を抱えていた。
(何が起きたんだ。本当に、何が起きたんだ)
知恵の試練。「世界を救う唯一の方法を述べよ」。
答えられなかった。本当に答えられなかった。だから正直に「わかりません」と言い、「誰かに聞けばいい」と付け加えた。ただそれだけだ。
なのに——
「万知の王」
フェリクスがその場で生み出した称号が、すでに精霊たちを通じて拡散を始めていた。
(万知の王って何。僕は無知の王の間違いじゃないのか)
「ヴァルゼン殿」
フェリクスが隣に腰を下ろした。珍しく、興奮を隠しきれない表情だった。
「あの回答は——正直に申し上げて、私の想像を超えていました」
「フェリクス、あの、本当にただわからなかっただけで」
「ええ、そうでしょう。だからこそ素晴らしいのです」
フェリクスの目が据わっていた。知的好奇心で据わる目は、ある意味セラフィオンの観察眼より怖い。
「知恵の試練における正解は、通常、出題者の想定する枠組みの中で最適解を示すことです。しかしヴァルゼン殿は、枠組みそのものを問い直した。『一人で答える必要はない』——これは試練の前提を根底から覆す回答です」
(前提を覆したつもりはまったくないんだけど)
「結果として、試練設計者であるセラフィオン殿自身が想定解の限界を認めた。つまり——出題者が回答者に知恵で負けたのです」
(負けてない。僕は何にも勝ってない)
エルヴィンが大股で歩いてきた。
「ヴァルゼン、さっきのは最高だったぞ! 『わからないから聞こう』——シンプルだけど深い! 俺もそう思うぜ、仲間がいるなら頼ればいい!」
「エルヴィンさん、あの、僕は——」
「なあヴァルゼン、俺も知恵の試練を受けたとしたら、きっと同じ答えを出したと思うぜ!」
(いや、エルヴィンさんなら何か別の答えを出すと思うんだけど)
グリゼルダが静かに近づいてきた。
「ヴァルゼン殿。先ほどの答え——」
蒼灰色の目が、まっすぐにヴァルゼンを見つめた。
「私は、あの言葉に救われた」
「え」
「仲間に頼ればいいと——あなたが言ってくれたことで、私自身も救われた気がするのです。武人は一人で戦うものだと、ずっと思っていたから」
(グリゼルダ……)
ヴァルゼンは言葉を失った。そんなつもりで言ったのではない。ただわからなかっただけだ。ただ仲間がいることを思い出しただけだ。
だが——グリゼルダの目に、嘘はなかった。
ミラベルはもう泣いていた。いつものことだったが、今回は声を上げて泣いていた。
「ヴァルゼンさんは……ヴァルゼンさんは、いつもそうです……自分のことなんて考えないで、みんなのことを……」
(考えてる! 自分のことめっちゃ考えてる! 助かりたいっていつも思ってる!)
ザガンが壁に背を預けたまま、ぼそりと呟いた。
「万知の王、か」
琥珀色の瞳がヴァルゼンを捉えた。
「……悪くない響きですね、陛下」
(ザガン、あなたまで乗るの?)
ヴァルゼンは膝を抱えたまま、天を仰いだ。空は青く、精霊たちの光が流星のように飛び交っている。あの光の一つ一つが、噂を運んでいるのだろう。
(万知の王。僕が。ただ「わからない」って言っただけなのに)
だがその称号は、もう止められないところまで広がり始めていた。
天空の闘技場の高みで、セラフィオンが付き人に告げていた。
「最後の試練——徳。これだけは、誤魔化せないはずだ」
金色の瞳の幾何学模様が、慎重に回転していた。
だがその声に、先ほどまでの超然とした確信は——もう、なかった。




