知恵の試練——問い
知恵の試練——問い
武力の試練から一夜が明けた。
ヴァルゼンは宿舎のベッドで目を覚ました。天空の闘技場には試練の参加者用の宿舎が用意されており、精霊たちの手で整えられた寝台は驚くほど寝心地がよかった。
だが寝心地がよくても、心は休まらなかった。
(今日が、知恵の試練だ)
昨晩から胃が痛い。食事も喉を通らなかった。エルヴィンが「腹が減っては戦はできぬぞ!」と豪快にスープを差し出してきたが、スプーンを握る手が震えてこぼした。
知恵の試練。
武力がダメなら知恵でなんとかなるかもしれない——と、一瞬だけ思った。だがすぐに打ち消した。知恵だって人並みだ。フェリクスには遠く及ばないし、ザガンにも敵わない。そもそも頭の回転が速い方ですらない。
(武力で〇・三秒。知恵でも一瞬で撃沈する未来しか見えない)
宿舎の廊下で、フェリクスが待っていた。
「おはようございます、ヴァルゼン殿。本日の試練に向けて、少々助言をしてもよろしいですか」
「あ、はい。お願いします。というか助けてください」
「知恵の試練においては、問いの形式が重要です。神使の出す問いには必ず前提が含まれている。その前提を疑うことが——」
「前提を疑う……」
「ええ。出題者の想定解に乗る必要はありません。問いそのものを問い返す——それもまた知恵の一つの形です」
(すみません、フェリクス。言ってることの半分くらいしかわからないです)
だが「ありがとうございます」とだけ言って、ヴァルゼンは闘技場へ向かった。
天空の闘技場の中央に、白い祭壇が浮かんでいた。昨日の戦闘で壊れた壁や床は、一夜で完全に修復されている。精霊の仕事は速い。
セラフィオンが祭壇の上に立っていた。白銀の髪が風もなく揺れ、三対の翼が淡く発光している。金色の瞳は昨日と変わらず超然としていた——が、翼の明滅パターンがわずかに速い。
(また、あの目で見てる。観察してる。なんだろう、虫モノクルで見られてる虫の気持ちってこんな感じなのかな)
「魔王ヴァルゼン」
セラフィオンの声が響いた。感情のない、平坦な音色。
「知恵の試練を始める」
ヴァルゼンは祭壇の反対側に立った。いや、立たされた。左右は虚空、後ろも虚空。逃げ場がない。前にはセラフィオン。完全に詰んでいた。
観客席に目を向けると、パーティメンバーたちが最前列に陣取っていた。エルヴィンが親指を立て、グリゼルダが無言で頷き、フェリクスが何かを期待する目で見つめ、ミラベルが祈るように両手を組んでいる。
(皆さんの期待が重い。物理的に重い。肩にのしかかってる)
ザガンだけが、やや離れた場所で腕を組んでいた。その表情からは何も読み取れない。
「汝に問う」
セラフィオンが一歩前に出た。翼が広がる。
「世界を救う唯一の方法を述べよ」
静寂が落ちた。
精霊たちのさざめきも消え、風の音すらない。完全な無音の中で、その問いだけが残った。
(——は?)
ヴァルゼンの思考が止まった。
(世界を救う。唯一の。方法)
頭が真っ白になった。
世界を救う方法? そんなの知らない。唯一の方法? そんなものがあるのか。あるとして、なぜ僕がそれを知っていると思うのか。
(無理だ。完全に無理だ。武力は〇・三秒で終わったけど、知恵も三秒で終わりそうだ)
しかし——三秒では終わらなかった。
ヴァルゼンは黙った。答えが出ないから黙った。ただそれだけのことだった。
だがその沈黙を、周囲は別の意味で受け取った。
「長考に入ったか」
フェリクスが顎に手を当てた。
「即答しない——出題者の意図そのものを分析している。さすがだ」
(さすがじゃない! 答えがわからなくて固まってるだけだ!)
時間が過ぎた。体感では永遠だったが、実際には数分だろうか。
セラフィオンは微動だにしなかった。急かす素振りもない。ただ観ている。試練の時間制限はないらしい。
ヴァルゼンの脳は全速力で空回りしていた。虚淵を止める方法? 魔力循環を直す方法? そんな知識はない。正解が見えない。正解があるのかどうかすら見えない。
(「唯一の」って何だ。一つしかないって言ってるのか。それとも、それぞれの答えの中に「唯一」があるのか。——いや、そんな小難しいことを考えても答えは出ない)
フェリクスの助言が頭をよぎった。「前提を疑え」。
(前提……前提って何だ。この問いの前提は——「世界を救う方法を知っている」ということだ。でも僕は知らない。知らないものは答えられない)
ヴァルゼンは口を開いた。震える唇で、絞り出すように。
「あの、一つ聞いていいですか」
セラフィオンの瞳の中で、幾何学模様がわずかに揺れた。




