最凶の解釈
最凶の解釈
ヴァルゼンが闘技場の壁からなんとか体を剥がしたとき、周囲ではすでに解釈合戦が始まっていた。
〇・三秒。
その数字が、天空の闘技場に集まった精霊たちの間をざわめきとなって駆け抜けている。歴代の魔王が半刻から三日を費やした試練を、〇・三秒で終わらせた存在。前代未聞にもほどがある。
(いや終わらせたんじゃなくて終わらされたんだけど。一方的に吹っ飛ばされただけなんだけど)
ヴァルゼンは砕けた壁の破片を払いながら、よろよろと闘技場の中央に戻った。全身が痛い。ローブの左袖は完全に破れ、右膝も擦りむけている。これのどこが「武力の試練を突破した」姿なのか。
だがパーティメンバーたちは、そんなことを気にする連中ではなかった。
「さて、改めて分析しようか」
フェリクスがモノクルを押し上げた。あの目だ。ヴァルゼンが最も恐れる、知的好奇心に火がついた賢者の目。
「〇・三秒。この数字が持つ意味は二つある。一つは、ヴァルゼン殿が神獣の攻撃を受けて立った——つまり回避行動を一切取らなかったということ。あの魔力感知があれば、攻撃の予兆は捉えられたはずだ」
(捉えられてない! 速すぎて何も感じる暇がなかった!)
「もう一つは、一撃で沈んだにもかかわらず、骨一本折れていないということ。本来、アルセイオンの一撃は岩盤すら粉砕する。なのにヴァルゼン殿は壁に叩きつけられて擦り傷程度で済んでいる」
グリゼルダが腕を組んだ。蒼灰色の目に、確信の色が灯っている。
「つまり、受け身を取ったのだな。それも完璧な。一般人なら死んでいる一撃を、最小限の被害に抑えた」
(受け身なんか取ってない! 壁の材質が柔らかかっただけだと思う! たぶん!)
「なるほど!」
エルヴィンが手を打った。
「つまりヴァルゼンは、攻撃を受けることも、受け身を取ることも、全部計算づくだったってことか!」
(計算できるわけないだろ! 〇・三秒で何を計算するんだ!)
ミラベルが涙を拭きながら、しかし温かい目でヴァルゼンを見つめた。
「ヴァルゼンさんは、暴力では何も解決しないと示されたんです。あの一撃を受けて立つことで……力に、力では応えないのだと」
涙声だった。ミラベルの言葉には常に感情がこもっていて、聞いている側の心まで揺らしてしまう力がある。
(ミラベル、頼むから泣かないで。君が泣くと僕の罪悪感がとんでもないことになる)
精霊たちのざわめきが、さらに大きくなった。
「武を超越した存在……」
「力を否定するために、あえて力を受けた……」
「歴代の魔王とは、根本的に違う」
称号が、その場で生まれようとしていた。精霊というのは噂好きな生き物で、面白い出来事があると光の速さで情報を拡散する。〇・三秒の敗北は、すでに「〇・三秒の超越」に書き換えられつつあった。
唯一、ザガンだけが腕を組んだまま沈黙を貫いていた。
琥珀色の瞳が一瞬ヴァルゼンを見て、そしてすぐに逸らされた。
(ザガンは……何を考えてるんだろう。まさか、普通に負けただけだって気づいて——)
いや。気づいていたとしても、ザガンは何も言わないだろう。あの男はそういう男だ。
セラフィオンが、闘技場の高みから降りてきた。白と金の長衣の裾が石畳の上で揺れ——いや、石畳には触れていない。常に数センチ浮いている。地に足をつけない存在。それが神使だった。
「付き人」
セラフィオンが静かに呼んだ。闘技場の隅に控えていた小柄な精霊が、光の粒子をまとって前に出た。
「記録せよ。武力の試練において、受験者は〇・三秒で——」
セラフィオンが言葉を切った。
金色の瞳の中で、幾何学模様が忙しく回転している。適切な言葉を探しているのだ。「敗北した」と言うべきか。「終了した」と言うべきか。
「——〇・三秒で、前例のない結果を出した」
曖昧だった。神使にしては、あまりにも曖昧な記録だった。付き人の精霊が困惑した表情を浮かべたが、セラフィオンは構わず続けた。
「次の試練の難度を上げる」
ヴァルゼンの背筋が凍った。
(難度を上げる!? 今ので十分すぎるくらいなんですけど!?)
「セラフィオン殿」
フェリクスが声をかけた。
「試練の合否は?」
セラフィオンの翼が一瞬、強く明滅した。苛立ちか、困惑か。あるいはその両方か。
「……保留する」
その一言を残して、セラフィオンは光の粒子とともに闘技場の上層へと消えた。
後に残されたのは、擦り傷だらけの魔王と、勝手に感動しているパーティメンバーと、噂を拡散し始めた精霊たちだった。
ヴァルゼンはその場にへたり込んだ。
(次の試練の難度が上がる。つまり、もっと酷い目に遭うってことだ。なんで僕がこんな目に)
ミラベルが駆け寄ってきて、回復魔法の光をヴァルゼンの体に当てた。温かい光が擦り傷を癒していく。
「大丈夫ですか、ヴァルゼンさん」
「あ、はい。大丈夫です。体は」
体は大丈夫だ。問題は心の方だった。
天空の闘技場の上空で、精霊たちが光の文字を紡いでいるのが見えた。
「武を超えし者——魔王ヴァルゼン」
(やめてくれ。その称号は全部誤解だ)
だが、その叫びが誰かに届くことは——この先も当分、なさそうだった。




