それぞれの確信
それぞれの確信
試練の開始は翌朝と決まった。
セラフィオンは「準備の時間を与える」と言って宿の屋上に消えた。消えた、というか浮遊して上昇していった。階段を使うという選択肢は神使の辞書にないらしい。
残されたパーティは、自然と円陣を組むように集まった。
ヴァルゼンは円の中心にいた。いつもそうだ。本人は端にいたいのに、気づけば真ん中にいる。
「さて」
エルヴィンが腕を組み、にかっと笑った。
「明日からの試練だが——正直、楽勝だろう」
(楽勝の要素がどこにあるんだ)
「武力の試練。ヴァルゼンの実力なら、どんな相手でも問題ない。知恵の試練。この方の深謀遠慮は俺たちが一番よく知っている。徳の試練。言うまでもないだろう」
エルヴィンは拳を握り、目を輝かせた。
「三つとも、ヴァルゼンの得意分野じゃないか」
(三つとも苦手分野だよ。武力はゴブリン以下、知恵は人並み、徳に至っては自覚がない。どこが得意なんだ)
フェリクスがモノクルを押し上げ、分析を始めた。
「問題は、試練の形式ですね。セラフィオンが何を基準に『器』を測るのか。武力であれば単純な戦闘か、あるいは魔力の質を見るのか。知恵であれば問答か、実地の判断か。徳に至っては——」
フェリクスは一度言葉を切り、モノクルの奥からヴァルゼンを見つめた。
「——まあ、徳に関しては心配していません。ヴァルゼン殿ほど徳を体現した存在は、歴史上でも稀でしょうから」
(体現してない。僕が体現してるのは臆病さだけだ)
「武力も問題ないでしょう」
フェリクスが続けた。
「あの方は常に実力を隠しておられる。試練の場でどこまで見せるか——それが唯一の変数です」
(隠してない。ないものは見せようがないんだ。変数じゃなくてゼロなんだ)
グリゼルダが壁に背を預け、腕を組んだまま口を開いた。
「ようやくだな」
低く、しかし力のこもった声だった。
「ヴァルゼン。お前の実力を正式に示す場が、ようやく来た。今まで何度も、お前は力を隠してきた。だが神使の試練ならば——隠す理由がない」
(隠してきたんじゃなくて、なかったんだ。ないものは示しようがない。グリゼルダ、頼むからその期待の目をやめてくれ)
グリゼルダの目には、純粋な確信があった。
「武人として、お前の全力を見届けられることを光栄に思う」
(全力を見届けたら失望すると思うんだけど。僕の全力、たぶん一般兵士の準備運動以下だぞ)
ミラベルが、ぽろぽろと涙をこぼした。
泣いている。もう泣いている。試練はまだ始まっていないのに。
「ヴァルゼンさん……」
「ミラベル、なんで泣いてるの?」
「だって……ヴァルゼンさんは、いつも一人で重荷を背負って……やっと、神様にも認めてもらえる機会が来たんですね……」
(認めてもらえる機会じゃなくて、消される機会が来たんだよ。泣くならそっちの理由で泣いてくれ)
「わたし、信じてます。ヴァルゼンさんなら——絶対に、大丈夫です」
ミラベルの涙混じりの笑顔は、いつだってヴァルゼンの心を締めつけた。
純粋な信頼。疑いのない確信。
それが誤解に基づいていると知っているからこそ、胸が痛い。
ザガンは、少し離れた場所で黙って聞いていた。
元参謀の表情は、いつも通り読めない。だが、ほんの僅かに眉間に皺が寄っていた。
ヴァルゼンは知っている。ザガンは——たぶん、気づいている。ヴァルゼンが最弱であることに。少なくとも、戦闘力が「最凶」とは程遠いことに。
だからこそ、ザガンの沈黙は重かった。
「……ザガン」
「はい、陛下」
「僕、大丈夫かな」
小声だった。他の面々には聞こえないように。
ザガンは一拍の間を置いて、答えた。
「陛下は今まで、一度も倒れていません」
(それは周りが勝手に助けてくれたからだよ)
「結果だけを見れば——陛下は常に、困難を突破してこられた。方法は、型通りではありませんでしたが」
(型通りどころか、全部偶然と誤解の積み重ねだよ)
「……今回も、同じだと」
ザガンは答えなかった。
代わりに、屋上の方向をちらりと見上げた。セラフィオンがいるはずの場所を。
「あの神使は、陛下の戦闘力が最底辺であることを——おそらく、初見で看破しています」
ヴァルゼンの心臓が跳ねた。
「え」
「観測眼とやらの能力でしょう。あの目は、全てを計測する目だ。陛下の魔力量も、身体能力も、一瞬で読み取ったはずです」
「じゃあ——」
「にもかかわらず、試練を課した」
ザガンの目が、真っ直ぐにヴァルゼンを見た。
「看破した上で、なお試す価値があると判断した。それが何を意味するか——私にはまだ、わかりかねますが」
ヴァルゼンは黙った。
看破した上で、試す。
それは——希望なのか、絶望なのか。
答えが出ないまま、夜が更けていった。
宿の屋上では、セラフィオンが星空の下に佇んでいた。
翼が、不規則に明滅を繰り返している。
感情の制御が——ほんの僅かだが、乱れていた。
(武力、最底辺。魔力量、一般魔族の平均を大幅に下回る。身体能力、人間の成人男性の中でも下位。——だが)
金色の瞳が、眼下の宿を見下ろした。
(あの者たちの信頼は、本物だ。演技ではない。洗脳でもない。あの魔王を中心に、確かな秩序が形成されている。力なき者が、力ある者を従えている)
紋様が回転した。
(計算が、合わない)
セラフィオンは、数千年の観測の中で初めて——データの不整合に、苛立ちを覚えていた。




