加速する崩壊
加速する崩壊
一週間で、十七件。
フェリクスが作戦室の壁に貼った地図は、赤い印で埋め尽くされていた。虚淵の発生地点を示す赤点が、大陸全土に散らばっている。
「ここまで来ると、もはやパターンではなく——崩壊です」
フェリクスの声に、いつもの冷徹さが薄れていた。代わりにあるのは、知性で捉えきれない現象を前にした学者の焦燥だった。
「七日前と比較して、発生頻度は約三倍。規模も拡大を続けています。大規模なものだけで四件。中規模を含めれば——」
「もういい」
エルヴィンが遮った。
「数字を聞いても仕方ない。次に何をするかだ」
「それが——」
フェリクスの言葉が詰まった。あの弁舌の巧みな賢者が、言い淀んでいる。
「——正直に申し上げます。現状の対処法——虚淵の核を個別に封じる方法では、追いつきません。我々がグランヴェールの核を封じている間に、他の三箇所で新たな虚淵が発生した。封じてもまた噴く。モグラ叩きです」
沈黙が降りた。
ヴァルゼンはテーブルの末席で、赤い印だらけの地図を見つめていた。
(十七件。一週間で十七件。僕の感知が届く範囲には限界がある。同時に複数を封じることはできない。つまり——全部は止められない)
「このまま加速が続いた場合のシミュレーション結果です」
フェリクスが新しい羊皮紙を広げた。数式とグラフが書き込まれている。
「二ヶ月後には発生件数が現在の五倍に。三ヶ月後には大陸の面積の約二割が消失する可能性があります。最悪のケースでは——」
フェリクスのペンが止まった。
「——三割です」
グリゼルダの拳がテーブルを叩いた。
「三割だと? 大陸の三割が消えるというのか」
「あくまで最悪のケースですが、現在の加速度を考えると——楽観視はできません」
ミラベルが両手を口元に当てた。翡翠色の目が大きく見開かれている。
「そんな……世界が……」
ベリオスが壁に背をもたれたまま、低い声を出した。
「大戦の傷痕だと言ったな。戦場で使われた魔力が、世界を壊していると」
「はい。大戦で膨大な魔力が消費され、脈点が損傷した。それを修復する管理者——先代魔王がいなくなったことで、損傷が拡大し続けている。虚淵は、その症状です」
ベリオスの目が暗くなった。
「……俺たちの戦いが——世界を壊しているのか」
誰も答えなかった。
ヴァルゼンの胸の奥で、冷たい淀みが脈打っていた。グランヴェールの封印以来、感知の感度が上がったのか——あるいは虚淵が近づいているのか、常に微かな冷気を感じるようになっていた。
世界が悲鳴を上げている。そう表現するのが、いちばん近かった。
「……どうしたらいいのか、わからない」
ヴァルゼンの口から、言葉が漏れた。
全員がヴァルゼンを見た。
「虚淵を一つ封じても、次が来る。追いつかない。僕の感知にも限界がある。もっと根本的な——何か別の方法がないと——でも、それが何かわからない」
(弱音だ。こんなこと言っちゃいけないのに。皆が僕に期待してるのに。でも本当にわからないんだ。どうすればいいか、本当に——)
グリゼルダが静かに言った。
「わからないと認められる。それが真の指導者だ」
ヴァルゼンは顔を上げた。
「指導者は全知ではない。知らぬことを知らぬと言える者だけが、正しい判断を下せる。——かつて国王陛下も仰っていた」
(それはたぶん僕とは違う文脈で言ってたと思うんだけど——)
エルヴィンが立ち上がった。
「わからないなら、調べるんだ。フェリクス、ザガン。虚淵の根本原因をもっと深く掘り下げろ。対症療法じゃなくて、根治の方法を見つける」
「承知しました」
フェリクスとザガンが同時に頷いた。
「グリゼルダ、ミラベル。各地の虚淵対応の指揮系統を整備してくれ。俺たちだけじゃ手が足りない。現地の軍と冒険者ギルドに協力を要請する」
「了解だ」
「はい」
「ベリオス。魔族側の対応をまとめてくれ。帰順した魔族の中に、脈点や魔力循環に詳しい者がいるかもしれない」
ベリオスが腕を解いた。
「……ああ。古い知識を持つ者は、幾人かいるだろう」
エルヴィンがヴァルゼンに向き直った。
「ヴァルゼン。お前は体を休めろ。次に虚淵が来たとき、お前の感知が必要になる。今は——休め」
「でも——」
「これは命令だ」
エルヴィンの碧い目が、真剣だった。
(命令って——勇者が魔王に命令するの、おかしくない?)
でも——ありがたかった。正直に言えば。
疲労が蓄積していた。グランヴェールの封印以来、頭の奥がずっと鈍く痛んでいる。感知を使い続けた代償だ。
「……わかった。休む」
「よし」
作戦室を出たヴァルゼンは、廊下の窓辺に立った。
外は夕暮れだった。王都アルヴェスタの街並みが、橙色の光に染まっている。
この景色が——いつまで見られるのだろう。
(どうしたらいいのかわからない。本当にわからない。でも——わからないからって、止まるわけにはいかない)
窓の外で、風が吹いた。
北の空に、薄い灰色が滲んでいた。世界の悲鳴が、少しずつ大きくなっている。




