魔王の衣装合わせ
魔王の衣装合わせ
魔族の長老会から使者が来た。
「現魔王の戴冠の儀を執り行いたい」
その一言で、ヴァルゼンの平穏な朝は粉々になった。
「た、戴冠?」
「はい。魔族の正式な戴冠儀式です。長老会が陛下の資質を審査し、承認した上で王冠を授ける——古来よりの慣習です」
使者は恭しく頭を下げた。
ヴァルゼンの顔色は、新雪よりも白かった。
(戴冠って、あの、王冠被るやつ? 審査って何? テストなの? 筆記? 実技? もしかして戦闘力テスト? だとしたら即不合格なんだけど)
「陛下」
ザガンが横から静かに口を挟んだ。
「ご安心ください。審査は形式的なものです。長老たちへの根回しは、私がすでに済ませております」
(根回しって。ザガン、いつの間にそんな政治工作を——)
「それと、戴冠の儀にあたり、正装をご用意する必要があります。明日、衣装合わせを」
「衣装合わせ?」
「魔王としての正装です。先代の衣装を基に、陛下の体格に合わせて仕立て直します」
(先代の衣装を僕のサイズに。先代は二メートル超えの巨漢だったって聞いてるけど。サイズ感、絶望的じゃないか?)
翌日。ヴァルゼンは衣装合わせの部屋に立たされていた。
魔族の仕立師——五百年の経験を持つ老魔族の女性——が、ヴァルゼンの体を物差しで測りながら、何度も首を傾げていた。
「……小さいですな」
(知ってる)
「肩幅も、腕の長さも、腰回りも——先代とは、その、かなり——」
「わかってます……」
ミラベルが隣で励ますように微笑んだ。
「ヴァルゼンさまはヴァルゼンさまの大きさで素敵ですよ」
(フォローありがとう。でも「大きさで素敵」って慰めとしてどうなの)
仕立師が持ってきた正装は、漆黒の長衣に深紅のマントという組み合わせだった。魔族の伝統的な魔王の正装であり、先代も戴冠の儀で着用したものだという。
問題は——マントだった。
先代の体格に合わせて作られた深紅のマントは、ヴァルゼンが羽織ると地面に三十センチほど余った。
「引きずってますね……」
「裾を切りましょう」
「いえ、先代の品を切るわけには! 折り返しで対処します」
仕立師が手早くマントの裾を折り返していく。しかし布の量が多すぎて、折り返した分が背中で膨らんでしまった。
「……なんか、背中にこぶがあるみたいになってる」
「威厳が……あの、もう少しお待ちを」
試行錯誤が続いた。マントの裾を折り、肩のラインを調整し、胸元の留め具を付け直し——二時間が経過した頃、ヴァルゼンは疲労と退屈で意識が遠のきかけていた。
「できました!」
仕立師が満面の笑みで鏡を示した。
ヴァルゼンは鏡を見た。
そこには——漆黒の長衣に深紅のマントを纏った、小柄な魔王が立っていた。角は小さく、表情は不安げで、でも——衣装だけは、それなりに様になっていた。
(あ、意外と悪くない? いやでも顔が全部台無しにしてる気がする)
「陛下、こちらのマントの留め金を」
仕立師がマントの留め金を胸元につけようとした。その瞬間、ヴァルゼンが体を捻った。
マントが絡んだ。
足を取られた。
「わっ——」
ヴァルゼンは盛大に転倒した。マントに全身を巻き込まれ、床の上で深紅の繭のようになった。
「た、陛下!?」
「だ、大丈夫です……マントが……足に……」
ミラベルが慌てて駆け寄り、マントをほどきにかかった。グリゼルダも来たが、彼女の力加減ではマントが破れかねないのでミラベルが制止した。
その光景を、扉の隙間からザガンが見ていた。
老参謀は静かに目を閉じ、尾を一振りした。
「……あえて威厳を崩すことで、民に親しみを持たせる。政治的に正しい判断です」
その独白を聞いたフェリクスが手帳に書き込んだ。
「同意。完璧な威厳は人を遠ざける。適度な人間味は信頼を生む。あれが計算だとすれば——恐ろしい。計算でないならば、天然の政治的才能だ。どちらにしても脱帽する」
(計算じゃない。マントが長すぎただけだ。断じて計算じゃない)
もっとも、マントの繭から這い出したヴァルゼンの姿は、確かに親しみやすかった。衣装が乱れ、髪が跳ね、頬が赤くなった姿は、魔王というより近所の書生のようだった。
仕立師が苦笑しながらマントを整え直した。
「陛下、歩く練習をされた方がよろしいかと」
「はい……すみません……」
戴冠の儀まで、あと三日。
ヴァルゼンの前途は——マントのように、長く重く、絡まりやすかった。




